2009年6月30日 (火)

追加

なんか書き足りないなぁと、思ってたんですが…
結局、脳死臓器移植の私にとって最大の問題は、命の重さに「役に立つ・立たない」という価値判断を絡めていることに対する嫌悪感なのかもしれません。

ちょっと考えてみます。
人の命の重さに「普遍的な」役に立つ・立たないという価値観を絡めることは適当なのでしょうか?
…という以前に「普遍的な」役に立つという事象はどれだけあるのでしょうか?
例えば、アラビア数字などは普遍的に人類の役に立つと言ってよいでしょう。

しかし、人の命はそう簡単に役に立つ・立たないと区分けできるのでしょうか?
私は、そんなもんじゃないと思っています。
脳に障害を持って生れた子供は誰の役にも立たないのでしょうか?
たとえ一生寝たきりであっても、その子を支えに生きている親御さんがいても不思議じゃないでしょう?
親御さんの心の支えになっているという視点からは、その子は立派に役に立っているのです!

(乱暴な言い方になりますが)脳死臓器移植は、役に立たなくなった「死体」から臓器を摘出して、別の「生体」を役に立つ状態にすることではないでしょうか。
ここで私が言いたいのは「死体」→「生体」の物質的な移動よりも、むしろ、「役に立たないものは見捨てる」=「役に立つものは助ける」という考え方がはたして正しいのか?ということです。

そこで問題になるのは、「役に立つ・立たない」の切り分けが普遍的に正しいものとして成立しうるかという点です。
時間と目的を短く絞って個別の事象に限定して考える場合は、役に立つ・立たないという判断はあり得ます。
しかし、時が過ぎ目的が変われば、それまでの価値観が逆転することもあり得ます。
最近の事象(流行)でいえば「エコ」がそれにあたるでしょう。
ちょっと前までは、エコなんてものは経済発展の阻害要因として排除されていました。
それが、今では経済発展の鍵として信奉されるありさまです(その中で「エコ」の意味するところも変容しています)。

まして、事柄は人の命です。
「汝殺すなかれ」「殺生戒」…人倫の基本ではありませんか?
それを、たまたま今という時点に限っての「役に立つ・立たない」という価値判断で左右してよいものでしょうか…。

ここで思い浮かべてしまうのが「靖国」です。
あの目的は、国のために戦死した人々を祀るものです。戦死とは…相手を殺そうとして返り討ちにあったということです。敢えてきつい言い方をしますが、国が殺人を強要したことを正当化する存在と言えます。

ここに、今回の臓器移植法案との類似性を認めます。
今回の法案は「死」の判断を本人(や、その家族)の手から取り上げ、未だ浸透しているとは言えない「法」の定義に従うことを強要していることになりかねません。
…自分が経験した「死」では、温もりが徐々に失われていき、そのことにより死を納得する時間がありました。
しかし、「脳死=死」と定義された場合。必ずしも同じような訳にはいきません。
場合によっては、まだ脈もあり、温もりもある状態で「死」を受け入れなくてはならないのです。
その定義が一般的に受け入れられて、初めて「法」で定義できるんじゃないでしょうかね。

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2009年6月29日 (月)

すれ違い

散歩している先で「強欲」という言葉について一悶着起きている。
事の起こりは臓器移植法案。今回衆議院で可決された法案の内容について批判的な立場から、当該の法案を法制度の中に取り入れることを「強欲ではないのか」と問いかけた記事に対し、今まさに苦しんでいる生者を救済する道を広げるべきだという考え方から「それは言い過ぎだ」という批判が出ている(ように見える)。

「脳死 臓器移植 問題点」でググってみた。

論点を整理してみる。

・脳死臓器移植は基本的にドナーが存在しなければ成り立たない。ドナーの「死」を    前提とした医療術である。
・誰でもドナーとして適しているわけではない。若くて健康な者でなければドナーとして役に立たない。
・脳死診断を行う患者の前提条件は、1.器質的に脳が障害されている、2.深昏睡・無呼吸である、3.脳障害の原因が確実に診断されている、4.適切な治療をもってしても回復不能である、の4点である。
・「死亡判定」の基準は大きく言って二種類、三徴候と脳死…三徴候でも絶対に死ぬとは限らない。そのため、死亡宣告から火葬・埋葬までの時間が規定されているのである。ただし、三徴候死の段階で死亡宣告を受ければ、通常であれば(適切な救急救命措置を取らなければ)心臓も間もなく止まり脳への血流も停止するのである。
・脳死臓器移植先進国のアメリカにおいては、高額の医療費がかかるにもかかわらず、需要過大な状況にある。(彼の国には日本のような皆保険制度はない)
・救急救命医療も進歩しており、従来なら脳死状態に陥るような事例から回復するケースが増えてきた。
・従来なら臓器移植しか治療法がないと考えられてきた分野の病気でも、それに替わる治療法が出現しつつある。
・移植を受けた側も免疫抑制剤の終生投与を続けなければならない。
・一部の移植術においては、移植を受けた場合と受けなかった場合の予後に関する統計がきちんととれていない。

さて…と…
素人であるところの私が直観的に考えたことは、「脳死」という状態は「明らかに生きている」状態と、「明らかに死んでいる」という状態のグラデーションの中にあるグレーな部分ではないかということ、そして、その状態は日々変化しつつあるのではないかということである。
「日々変化しつつある」というのは、救急救命医療の進歩により従来ならば死者となるような事例でも回復する場合が増えつつあるということ、すなわち、「脳死」の基準が「明らかに死んでいる」状態に徐々に近づいていることである。
…ということは、臓器の提供は今後どんどん少なくなることが予想されるわけである。
「…だから、今法律により脳死臓器移植のドナーを増やすことを目指すべきだ」
というのは、論理の倒立だ。
むしろ、供給が先細ることが見えているからこそ、代替医療の研究・開発に努めることが求められているのではないか?…と、素人は考えるのである。

また、生と死のグラデーションの中に「法律」という形で線を引くことにも怖さを感じる。
少なくとも、ここ数日の報道からは、救急救命医療や代替医療の進歩を評価する声が聞こえてこない。
しかし…である。「法律で決まったことだから」ということを免罪符になってしまうのではなかろうか?
その免罪符が独り歩きし始めるのが怖いのである。
先に、臓器移植においては需要過大な状況にあることを述べた。このギャップを埋めるための法律であるとすれば、「脳死」の基準はどんどん「生」の方に動いて行ってしまうのではないか。そして、さらに恐ろしいのは、「臓器移植が当たり前(代替医療より手っ取り早い)」という意識が醸成されてしまうことである。いくら「脳死の基準」を「生」に近づけるといっても、一定の歯止めはかかるだろう。しかし、そこに「臓器移植さえすれば」という意識が働けば…「闇の子供たち 」の世界ではあるまいか?
この点に関する危機感を以て、脳死臓器移植法案の成立を「強欲」と表現するのならば、その危機感に同意するものである。

私の結論
A案は論外、百歩譲ってC案。
さらに、脳死臓器移植は緊急避難的医療行為であり、医学の本道に悖ることを明示するべきと考える。
また、付則でも何でもよいから、救急救命医療や代替医療の研究・開発への支援も盛り込まれるべきである。

おもな参照先
脳死・臓器移植の行方(関西医科大学大学院生命倫理学研究室)
臓器移植法改正問題に対する意見書(日本宗教連盟)
「インターネットで読み解く!」第8回「臓器移植法と脳死・移植の行方」
脳死臓器移植の問題
死体からの臓器摘出に麻酔?

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2009年6月23日 (火)

米百俵ってさぁ…

どっかの国に…

人材派遣法を改訂して派遣切りを容易にしたり、日本中の郵便局網をぶっ壊して簡保の宿をお友達に大安売りする仕掛けを作ったり、年寄りには金をかけない医療制度を導入したり、…象徴的なエピソードとして、この人物から「痛みに耐えてよくがんばった」と称賛されたプロ運動選手は、その後鳴かず飛ばずの状態に陥って引退した

総理大臣がいたんだけど…

この大臣、盛んに「強い国、日本」を目指すと公言し、そのためには今を我慢しろというお説教に「米百俵」を持ち出したんだと思うんだけど…。
国民の生活向上に気概を持つ政治家なら、国民にただひたすら我慢を強いるんじゃなくて、こういうことをしなくちゃいけなかったんじゃないのかなぁ?(いや、政治屋なら、まぁあの言動も理解できなくはないけどね)

 日本で「派遣切り」が広がっていた1月中旬、オランダ北東部の金属部品メーカー、ラーデマーカースも世界不況の波に洗われていた。昨夏以降、受注量が半減。約130人いる従業員の雇用維持が難しい状況で、社長が決断したのは、解雇ではなく、働く時間を分け合い雇用を守るワークシェアリングだった。
 5月下旬、社内の会議室でコル・ブロックさんは同僚と表計算ソフトに取り組んでいた。現場に入るのは週3日。あと2日は会社の研修コースで技能を身につける。4週間のコースを終えたら、次は原料買い付けや機械補修のノウハウを学ぶつもりだ。
 政府が昨秋打ち出した「時短奨励制度」が契機になった。社員に研修の場を用意することなどを条件に時短に伴う給与減額分の7割を最長15カ月間、失業保険の財源で国が穴埋めする。オランダが得意とするワークシェアリングを深化させ、経済危機を乗り切る試みだ。
 同社は制度の申請にあたって労使で協議。公費で賄えない分は会社が負担し、従業員には時短前の給与を当面100%維持することで合意した。「
不況はいつか終わる。その間に従業員の技能が向上すれば、次の景気回復でもっと飛躍できる」と人事部門の責任者はいう。(6月21日 朝日新聞)

 
さて、我が祖国…日本
 
 
この冬、「派遣村」がマスコミで頻繁に取り上げられていた(今はあまり報道されてはいないようだけれど、状況は変わっちゃおらんだろう…ということはさておき)。

その中でNHKスペシャル「緊急報告 製造業派遣は何をもたらしたのか」から…派遣切りの問題を取り上げられていて、現行の制度の基礎にある問題点は、企業の側にもある程度認識があるように感じられたのが救い。<ただし、まだまだ認識は甘いな…とも思えた。
取材対象の若者が求人先の面接を受けに行って、5分で出てきた…

落とされた理由が「ノギスが使えない」…。

これだけ見れば、落とす理由もわからないわけじゃない。機械関係の製品を作るとき、ノギスを使う技能(少なくともその仕組みを肌で知っていること)は必須だろうから。
しかし、彼がそれまでの派遣先でノギスを使う訓練を受けていないことも事実なわけで…そういう非熟練労働者を大量に生み出しているのが、現行の派遣法制度なのだから、そして、それに甘えて熟練技能者を育てる訓練を怠ってきたのが、派遣を利用してきた企業なのだから、企業が技能の継承ができないことに悩むのは、明らかに自己撞着に思えるのだ。

…派遣を使わない場合なら、素人の新人を雇用して一定のスキルを持った技能者に育てないと、企業自体の存続が危うくなる。逆にいつでも切れると思ってれば、そりゃ教育に金を使わなくなるのは当たり前だ。

 
 
ちなみに、「派遣」という言葉は、派遣法ができる前からあった。

派遣法制定時、某電機メーカーの工場で起きたどたばたは、それを冷ややかに見る立場にあった。なんせ、そのメーカーと元請けがどんなごまかしをやろうとも、現場で実際に仕事をする私たちは、「派遣」だったのだから。

ただ、そのころの「派遣」と、今問題視されている「派遣」の大きな違いは教育機会(OJT)にある。当時の「派遣」は元請けにとっても存在を無視しえないもので、ある程度の訓練を施して時給単価の高い仕事を発注元から引き出さないともうからない仕組みになっていたのだ。さらに言うと、現場、特に工期を限って構成する飯場のような場所で、他人を見下す言動をとるようなレベルの人間は仕事の邪魔になるので、親会社といえどもそういう手合いは現場へ送り出さなかった。

実際、私のいた会社が派遣先から引き揚げた後、そこでは大混乱が起きたそうだ。なにしろ、採算の合う労務費で、単独で海外の現場に出せる頭数が激減してしまったのだから…と、ふとした機会に知った。
 
 

そのあたりが、今の「派遣」と大きく違っていた。

当時の「派遣」は、今でいう特定派遣に相当し、レベルの低い労働者しか供給できない派遣元は利益を上げられなかったのだ。

今のありようになったのは一般派遣を法制上認めてしまったことの弊害だと考える。

本来なら、一般派遣は紹介派遣以外認めないくらいにしないと、大量の非熟練者を生み出してしまう。
それは、産業界にとってもマイナスだと考えるのだが…どうも、アメリカ流の経営手法を信奉する政治家やその取り巻きの学者にはその点が思い至らないようだ。

-------追記------
朝日新聞の記事で(中略)としていたところを追記しました。
当該記事の小見出しは
  仕事分け合い雇用維持
とされ、ワークシェアリング自体がテーマとされていましたが、内容を読むと、ワークシェアリングにより発生した不稼働時間を、政府の援助を受けながら自腹も切りつつ、従業員の技能向上に振り向けている企業群が紹介されていました。
こういう取組こそが「米百俵」と同根のものではないかと考えるのです。
その意味では、ワークシェアリングによる減収を当然の前提としている我が国の政労使のあり方は、大きく的を外したものに思えます。
殊に失業保険の保険料収入から多くの非失業者のための福利施設を建てまくり、挙句にバッタ屋へたたき売った政の責任は重大でしょう。

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2009年5月30日 (土)

新型

ショールームで発売前の先行展示開始というので、早速見てきた。
結論:パス

いや、従来の機種に比べて格段の小型化、軽量化がされたのはわかった。
しかも、防塵・防滴機構もしっかりされ、久々の金属ボディ。
電子水準器なんてギミックも良い。

ライバル他社のうち…
N社とは競争できるだろう。
C社には軽量化でも勝っている。
S社にはバランスで圧勝。(つか、競争価格帯の製品ひっこめてるし)
O社にはファインダーで圧勝。

いや、個人的には比較対象はN社だけなんだけど…
(ミラーを落っことすようなC社とかは問題外…)

でも…
まだ…

図体がでかいよぉ(泣
N社が先鞭をつけたボディグリップ…あれが邪魔だ。
(でも、N社よりボディグリップの厚さは大幅に少ない)
もともと手が小さいからつかみにくいこと夥しい。
…重量バランスは良いと思ったけど。

ファインダーが小さいよぉ(泣
ピントの山が見にくいよぉ(泣
これが最大の問題だ。

 
 
ぶちぶち係員にケチつけたら…
「今 何をお使いですか?」
「××です」
「あ…それと比べられると…(^^ゞ」
…××もあんたの会社の製品だぞっ。

ということで、次のモデルに期待…(その前に潰れそうな不安もあるが)

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2009年5月26日 (火)

おい こら

最近、世間がいろいろ煩いのだが…

敵基地攻撃、法的に可能=能力保有には言及せず-麻生首相
 麻生太郎首相は26日夕、北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力について「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できるということは昭和30年代からの話だ」と述べ、法的には可能との認識を示した。ただ、能力を保有すべきかどうかには言及しなかった。首相官邸で記者団に答えた。(時事通信)

おい、こら、ちょっと待て!
こういうことを平然といってのけるのが総理大臣か?
相手を挑発してどうする?

何度でも書くぞ。

日本国憲法はこう書いてある!

   第二章 戦争の放棄

第九条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

   第十章 最高法規

第九十九条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

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2009年5月13日 (水)

試し

試し

Photo

※フルオート (速度:1/60、F値:5.6、ISO:125)

まぁ露光関係はこれから追い込んでいくとして…
ファインダーはなかなか良い。
暗い所へ行くとノイジーになるのは今後の課題だろうけど、とにかく倍率が高い&fpsが大きいのがなにより。
35mm換算で0.7はMF全盛期に比べりゃ小さいが、今の世の中あんまり贅沢は言えないだろう。
少なくとも0.5~0.6が主流の一眼レフに比べりゃ天地の差がある。

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2009年5月 5日 (火)

壊れた…(/_;)

いや、脳味噌はとっくに壊れてるんだけど…

約10年前に買った銀塩の一眼レフ、最近では現像やってくれるところがめっきり減ったのであんまり使っていなかった。
しかぁし、黄金週間である。
久しぶりにフィルムを入れて撮りに出かけようとした。
まぁ、使用頻度が激減しているので、念のため動作確認をしたわけである。
…ファインダーが真っ黒…
デジカメではないから、電源SW入れ忘れとかいう話ではない。
レンズを見る…キャップは外してある。
レンズを外す。
ミラーが上がりっぱなし…空撮りを何度か繰り返すが、ミラーが降りる気配は一向にない…(/_;)
ひょっとして、このカメラ、ミラーアップ機能あったっけ?
取扱説明書を読む。
そんな機能はない。

壊れた…

こうなると、インターネットは有難い。
メーカーのHPから修理費見積もりを出す。割と安い。
ついでに、その他の気になっているところの見積もりも出して見る。
サービスセンターを探す…比較的近所にあった(電車で30分)
持ち込む…
担当者:「あ、だめですね。こりゃ。修理します?」
私:(当り前だ)「いくらです?」
担当者:「じゃ、見積もりますから。………○○円になりますが、よろしいですか?」
私:(お、ネットの見積もりと同額だ)「もちろん!」
…ここで、要らん欲が出た…昔持ってたカメラが経年劣化でダメになったことを思い出した…
私:「ついでに、△△の交換と全体のオーバーホール頼めます?」
担当者:「できますよ。見積もるからちょっとお待ちを……××円になりますけど、本当にします?」
この××円、ネットでその修理の見積もりを見たときの額の半分である。
私:「お願いしまっす!」
担当者:「でも、今GWなんで、修理はその後になりますけど…構いませんか?」
私:「(うげ(/_;))…仕方ないですよね。構いません」

こうして、GWにフィルムカメラを持ち出す計画はおジャンとなったのだった(/_;)

実は、本当の問題はその後にあった…
帰り道、しょぼくれながらYカメラに立ち寄った。
前々からちょっと気になっていたカメラがあった。
本当は、修理に出したメーカーの新型に期待していたのだが、期待通りのものをなかなか出してくれない。
その期待にかなり近いカメラなのだ…

価格表示を見た。新型が出たせいで大分安くなっていた。
問題は…価格表示の下についていた。
【GW期間限定! 下取り:どんなデジカメでも○千円】
……メモ帳代わりに使っているデジカメがある。7年ほど前に買ったものだ。
ソフマップの中古買取では(スペックが古すぎて)金額がつかない代物である。
悩、悩、悩、悩、悩、悩、

今ある古いデジカメを下取りにだして買ってしまおうか?
悩、悩、悩、悩、悩、悩、

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2009年4月26日 (日)

システム

システムという言葉って、割といい加減に使われているような気がする。
よって、ここでもいい加減に定義する。
 
「入力→処理→出力」の流れをシステムということとする。
※処理だけではなく、入力があって、その入力を処理した結果が出力される というくらいの意味

まぁ 普通、入力が無くなれば出力も無くなるわけです。

「『入力が無くなれば出力も無くなる』=あったりまえのことだろ、ば~か」という声が聞こえてくるような気もしますが…
こんなとこの記事を読むとねぇ…

http://www.tml.co.jp/ramnet/pdf/081215shichi-seisaku.pdf

えっと、リンク先は長文ですが、とりあえず25ページの頭を読んでみてくださいな。

【泡瀬干潟や大浦湾ではサンゴの産卵も確認されており、これらの地域が東海岸のサンゴの幼生の供給源となっている可能性も高い】

と記載されております。
この記載は、専門家によってなされているためか断定はしていません。
しかし、沖縄東部全体のサンゴ礁保全の鍵を握っているのは、上記の泡瀬干潟や大浦湾からの幼生の供給による可能性が高いわけです。

で、サンゴの保全の必要性については環境省のこれにも書かれているわけですな。

http://www.env.go.jp/nature/biodic/coralreefs/#IGI

となると、「入力=幼生の供給」を減少させる(というか 断つ)ということの意味はいかなるものか…と、素人は考えてしまうわけです。

え…2か所のうちの1か所だけの話だろうって?
まぁ右バナーは内1か所である泡瀬のことですけどね…

大浦湾ってのもググってみてくだされ。
辺野古崎って地名見えましたかな?
んじゃ 辺野古でググってみてくだされ…

まぁ、ここまでお付き合いいただけたなら、何を言わんとしているかはお分かりいただけたかと思います。

環境省がHPでサンゴの大切さを説く一方で、別の省庁が環境省の意図に反する行動をとっているわけです。
何たる不整合か…と思うわけです。
 
こういうことを考えていたら、
泡瀬埋め立て しゅんせつ工事“保留”
というニュースが入りました。
しかし、既に今年になって開始された護岸工事の影響は出始めているわけです。
手遅れにならないうちに現状復旧まで視点を戻してほしいものです。

 
 
 
 
 
 
 
などとうだうだ書いてたら…
沖ノ鳥島にサンゴ移植だって…
経済水域確保のためという人間の浅はかさが見える…

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2009年3月15日 (日)

ブランド

一般によく聞くファッションの類のブランドには無縁な生活をしてるんだけど、意外な持ち物がブランド品だったりする。
普段使いに買ったショルダーバッグ、家電量販店のカメラバッグコーナーで見つけた品なんだけど、出張してきた会社の同僚から「えぇ~ えらいもの持ってるなぁ」と言われた。…おかげで気軽に使えなくなった(←この点、なんか間違ってる気がしないでもない)

このバッグ、それまで使っていた¥1,000のバッグがあちこち裂けて買換えたもんだけど。
当然ながらブランドなんて意識せず、使い勝手が良さそうで、そこそこ丈夫そうなのを選んだだけなのだ。
まぁ、確かに言われてみれば、ゴム引きした糸が織り込まれているので肩ひもが滑りにくく、厚手のコットン生地なので擦り切れてきてもそうそうはみすぼらしくないなぁ…位のことは買う時に考えたなぁ。
で、値段も確かに高かったけど、まぁ 払う価値はあるなと判断したわけだ。

ブランド品ってのは、品質が上等だからブランドとして成立するってのは、確かにそうかもしれない。
まぁ、実物をじっくり見たことはないけど、バッグの有名ブランドは材質・縫製からして違うというのは聞いたことくらいある。

ん~、品質に価値があると認めたら少々高くても奮発するというのがブランド嗜好だと言われれば、確かにその通りだなぁ とは思う。
でもねぇ、材料の品質や作りを丁寧にしたら、それなりに値段が張るのは仕方ないことだろう。
別に、ブランドとして確立していない品物でもそれは同じだろうとも思うのだ。
逆に、ブランドだから…って理由で品質が上等とは限らないのかもしれない。
家電メーカーなんかだと、年を経る中で製品の指向が変わっている物も結構あるし…。

大体が、偽ブランドの摘発なんてのがニュースになったりするのも、このあたりの割り切りが不十分なのかなという気もする。
有限責任中間法人ユニオン・デ・ファブリカンというところで、偽ブランドのタイプが掲載されているんだけど、この中のタイプ2は、私には微妙な位置づけに思える。
作りは比較的良い
 細部にわたって、本物に似せてあり、
 偽造の保証書や箱も付いている。」
微妙というのは、「作りは比較的良い」というところ…本家が認める通り、作りは比較的良いのだよ。問題はそっくり真似をすることで真っ当じゃない利益を生むことができるということ。
商売の本筋からいえば、真似なんかしないで堂々と別ブランド立ち上げればいいんだけど、それじゃ商売にならないから偽ブランドとして出荷してしまうんだろうなぁ。
消費者側が、きちんと品質と値段のバランスだけで割り切る購入をしていれば良い話だけどね。
「ブランドだから」買う…のではなくて、「良い品だから」買う…となれば、偽ブランドなんて減ると思うんだけどね。
消費者側も「ブランドだから良い」という信仰を持ってるから、いつまでたっても偽ブランドがなくならないんじゃないのかなぁ…まぁ、それ以前に「良いものとは、どういうものか」という判断ができるだけの訓練を受けているか/受ける機会があるか…という問題もないではないが。

しこう(嗜好)と、しんこう(信仰)
ふりがなだと一文字の違いだけど…

現物に当たるときの考え方には雲泥の開きがある。
こういうことって、世間では結構多いかもしれない。対象に勝手に自分の思いを乗っけて、思いこみだけで「あれは良い。あれはだめ!」と決めつけるようなスタイルは、ネットでも時々見かけるが、何なんだろうなぁ。あれって…「信仰」の部類に見えてならない。たとえ、それがニセ○○を批判すると称していても…。
 

 

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2009年2月 9日 (月)

「夜会vol 15」関係検索でおいでの皆様へ

最近、「夜会vol 15」関連のキーワード検索でこちらへお出での方が多いようなので。

おそらく、今回の夜会をきっちり読み解きたい、中島みゆきさんの世界観を受け止めた上で、なお、その世界が生み出すアートを味わい尽くしたい…ということだろうと(勝手に)推測させていただきます。
その前提で、夜会をご覧になった方にお願いがあります。
今宵はみゆきさんのあの歌声をじっくり噛み締めておられることと思います。
そして、その歌に込められた意味を考えておられることと思います。

夜会パンフレットのあとがきを是非ともお読みください。

その上で、一度、このブログでも取り上げている泡瀬干潟の件について調べてみてください。

 参考URL:
  http://shark.ti-da.net/
  http://kenkokenko.ti-da.net/

そして…そこで何かを感じていただけたら、右のバナー「泡瀬干潟と浅海の埋め立て中止を求めるWEB署名(第3期)」をクリックしてみてください。

え、別にクリックしたからといってどうにかなるもんじゃないです。
そこから先は貴方のお考えしだいです。匿名でも、仮名でも署名はできます。

 
右の署名数は毎日増えています。
バブル崩壊時のあの愚行を今繰り返していることの重さを、その危うさを受け止め、どうしていけばいいのか…一度立ち止まって考えてみませんか?

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