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2007年11月

2007年11月29日 (木)

書き足りないこと

今日は久しぶりにゆっくりお休み…

過去記事を読み直してみて思う。
やっぱり、文章が下手だ。

思いが書き足りないことがいっぱいある。
普段心の奥でむずむずしているけれど言葉に表しきれていないもの、こういうものを書いていこうと思っていたのだが、なかなか難しい。

徐々に過去記事に書いたものの中身を補足していこう。

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2007年11月27日 (火)

本革装丁の文庫本

文庫本って、どういう扱いをされてるんだろう?
私の場合、気に入った文庫本はどこへ行っても、どんな場所でも、開くことができて直ちに没入してしまう。
そういう扱いをするのに、柔らかい紙のカバー&表紙という装丁は非常に具合が良い。
これが本革装丁だったりすると持ち歩きに不便で、内容がよほど良くないと開くことがなくなる。

短篇集』中島みゆき

このアルバムを初めて聴いたときに思ったのが、これに近い。
ちなみに収録タイトルは、順に…

「地上の星」
「帰省」
「夢の通り道を僕は歩いている」
「後悔」
「MERRY-GO-ROUND」
「天使の階段」
「過ぎゆく夏」
「結婚」
「粉雪は忘れ薬」
「Tell Me,Sister」
「ヘッドライト・テールライト」

最初と最後はNHKの有名番組のオープニング&エンディングなのだが…
間に入っている曲となんかイメージが合わない。
「地上の星」でズンズンと響く低音のリズムに乗せられて肩に力をこめて聞き始めると、そのあと延々とメロディアスな曲が続く。
おもいっきり肩透かしを食った気分になってしまった。

…あ。「地上の星」も嫌いじゃないんですよ…ただ、みゆきさんのアルバムって全体でひとつのイメージが湧くような選曲がされているものと考えていたもんで、なんかイメージが違うなぁ…と思うわけです。
たとえば、初期のアルバム『親愛なる者へ』などは、収録曲の中の、どれかが爆発的に売れたっていう印象はないんだけど、結果としてアルバムはヒットしたわけでして…私も人に勧めるときはこれを一番推すのですが…
・・・先月書いたとおり、個別の曲では「友情」がベストだと思ってますけど、これは『臨月』だし…

そんな印象から食わず嫌いをしてしまったこのアルバム、2曲目から聞き始めると結構良いことに最近(やっと)気づいた。

都会の町並みの様子から帰省シーズンを切り出して、普段街頭にあふれている人々のぎすぎすした表情に隠された優しさを歌った「帰省」をプロローグとして、ごく普通の〔私〕が持つ劣等感を、そうじゃないよと包み込む「Tell Me,Sister」でエンディング。
ううむ、ちゃんとひとつの流れになってる…。
「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」は、「帰省」~「Tell Me,Sister」で構成されている中身を包む表紙だったのか。
それも、「気合を入れて聴けよ」というメッセージか…やはり、このアルバムは本革装丁の文庫本だ。
ならば、これからはそれに応えて【2曲目から】真剣に聴こう^^;

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2007年11月25日 (日)

アフィリエイトリンクについて

今更ですが…

本文中で、アルバムタイトル等にAMAZONへのアフィリエイトリンクを張ってるものがあります。
リンク先での感想等も参考にしていただけたら、違う切り口も見えて面白いかな?という気持ちと、買ってみてというすけべ心もちょっぴりありますm(__)m

基本的には、中島みゆきさんの関係はテキストリンクのみ、その他はケースバイケースで画像もつけようかと思います。

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2007年11月22日 (木)

映画「未知への飛行」

映画…

結構好きなつもりなのだが、映画館で金を出して見たことはほとんど無い。
…貧乏性なのかなぁ…
最後に映画館で見たのは「未知への飛行」だったかな。
原作の邦訳を読んでいて、監督がシドニー・ルメットでヘンリー・フォンダが助演で出演していたので見たっけ(十二人の怒れる男のコンビだったから)。
映像としては、ヘンリー・フォンダが演じたアメリカ大統領の迫力が印象に残った。
キューブリックの「博士の異常な愛情」と対比される映画だけど、キューブリックの方は映画館では見ていない。…シュールで難解な演出と高い目線に抵抗を感じるのだ、キューブリックの作品は…

この映画、最近DVDで発売されたらしい。

ので、ストーリーはここには書かない。
原題は「Fail safe」。これがどういう理由で「未知への飛行」となったのかは見てみればわかる。
『未知』という言葉の意味は、「未知との遭遇」のような能天気な映画の『未知』ではない。
かなり怖い映画です。
64年に公開された映画が日本での劇場公開が84年、DVD化がつい最近ということと、米ソ冷戦終結と併せ考えても興味深いかもしれない。
この作品に付けられた『未知』の意味を考える機会が減ってきたからか?

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2007年11月21日 (水)

やまねこ

「やまねこ」(中島みゆき 36.5℃ 収録)

この歌を聴くたびに思い出すのは、なぜか東南アジアのある国のスナック。
とっくに期限切れとなった旅券に押されたビザによると20年ほど前のことである。
現地作業班の中でその国にほぼ常駐していた先輩に、連れて行ってもらった。

当時は日本もその国もバブルのはしり位の頃。
その国での日本人観光客の醜態もしばしば新聞ネタになっていた。

そんな土地柄ながら、日本人でも仕事で滞在している人々はいるわけで…
そのお店は、そういうビジネスパースンの休憩の場として存在していた。
だから、醜業とされるようなサービスはなし、日本でもごく普通にあるスナックだった。
まぁ、そのときの仕事ではいろいろあってかなり凹んだことがあった。
そんなとき、そのお店にあったカラオケの中で「これなら知ってる」とヤケッパチに怒鳴りまくったのがこの歌…

あとで考えると無茶苦茶な歌をうたったものである。
従業員の方々も日本語か英語をそれなりに理解してくれていて、世間話でいろんな話を聞かせてもらった。
かなりハードな話もしてもらった。
話をする方は平気な顔をしているんだけど、実際に現地に行ってみると人身売買もあるかも知れないと思わせる光景が広がっていたりした。

その国で仕事をしているうちに出会った、名前も知らない「日本人」の行動をみてから、それまで以上に「日本って何様よ?」と思う気持ちも強くなったようだ。
地方都市の大きなホテルでチェックアウト手続きをしているときに耳に入ってきた日本語…その会話の醜さに耳を疑い、彼らを見るフロントの従業員の厳しい(ゴキブリをみるような)視線に思わず身をすくめてしまったこともある。
なにしろチェックインのときに書いた私の国籍は、彼らと同じなのだから…。
国籍なんていうつまらないもので、やつらと一緒にされたくはないとしみじみ感じたのを時折思い出す。

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2007年11月20日 (火)

雑感

夜会 2/2 感想の続き

このストーリー…
前の記事に書いた「幸せ」な人にとっては、おそらく何等の感動ももたらさないだろうと思う。
彼らのような人がみたら、
「ビジネスパーソンが仕事に疲れて、ずる休みをして…当然の報いを受けただけじゃぁねぇか。なんでハッピーエンドなんだよ。」
で終わりのような気がする。

自分が自分であること、他人は自分ではないこと、そこに「孤独」を感じつつも孤独を克服したいと願望する。

中島みゆきという人の表現のなかに、私はそれを見続けてきたような気がする。

2/2の安宿の場面、似て非なる経験もある。
一文無しというわけではないが、持っている金は業務用経費のみ(自分のための金は一文もない)という状態で異国の地のああいう宿に泊まると、結構怖い^^;。

…鍵を渡してくれない宿に泊まったときには、一緒に泊まったメンバー(日本人は私だけ)で交替の見張り番…翌日の仕事がきつかった(笑)

冗談はさておき、2/2への感情移入は自分が異国の地で仕事をしていたことがあったためかもしれない。
日本語が通じないのは当たり前で、英語でさえ(こちらの英語力にも大きな問題があるとはいえ)しばしば通じないという環境で仕事をしているとだんだん日本語の感覚が麻痺してくる。
結構内省的になったりもする。
私の場合、ぶっつけ本番身振り手振りで一人で市場を徘徊したり「大胆だなぁ…」とあきれられたりしたけれど…

(話はどんどんそれていく)
紅い河…
「美しい国」なんて見苦しいキャンペーンを張った連中のことはさておき、日本の透き通った川ってのは、普通じゃない美しさだと思っている。
普通は「紅い河」で表現された土色の河なのだ。
それが大河の証明みたいなもの。もちろん河の源流は透き通った水で始まるけれど、流れ流れて大河の河口は赤い(茶色い)水が海に流れ出していることで河の存在がわかる。
…そういう意味では日本にはおおらかな大河というものは存在しないのかも…

(ちっと元に戻す)
自分が育った環境からいきなり切り離されたら…という想像力。
こういう想像力を持ち得ないと、他人との共感を持つことが困難になるような気がする。
大体、「私」と「私と話している他人」が理解しあうためには、「私」の前にいるのは「私」ではないという認識が必要だろう。

…何故か、私とそりが合わない人と私の間にはこの点に共通認識をもっていないことが多いような気がする。
彼らの表現には、私が彼でないことへの苛立ちが常に感じられるのだ。
そんなことに苛立たれても、こちらとしてはいかんともしがたい。

また明日もそういう人との一日が続く…

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2007年11月17日 (土)

幸せ?

リアルの世界で、不快感とともに興味をもって観察している人物がいる。

こんな人物(評価においてバイアスあり)

・○○県人会にこまめに出席して。××社長と直接話したと延々会議の席上でで吹聴をする。
・スペシャリストの職員(部下)が、その分野以外で失敗するとその一点を多数の面前で延々罵倒する。
・上司の誰それと仲良くしていると事あるごとに強調する。
・上司の趣味に合わせて趣味を持つ。
・部下の提言に必ず一言嫌味を言う。
・結婚願望はあるらしい。
・私と反りの合う人で彼を知っている人は、彼に対する評価を公言することを避ける。
・部下にやらせる××宣言の類を上司に提出することが好き。
・測定器類を扱う姿を見たことがない。
・パワーポイントで文書を作る(&作らせる)のが好き。
・高い視点でものをいう。
・自分の意見を言うときは「○○に曰く…」を前振りする。
・部下を非難するとき「××がこういっていた…」と他人が発していたように表現する。

まぁ、ここまで書けば「不快」なのは理解いただけると思う。
興味があるのは…
・自分にとって反面教師ではないか?
・この人、幸せなのかな?
という点である。

自分がこういう人物になりたくはない…
ただ、それなりの所得と職位をかちえたという「自信」はあるのだろう。
でも、看板を背負うのではなく、看板を盾にとって隠れて生きて…何が楽しいのだろう。
盾に取っていた看板がなくなったら…という想像力は働かないらしい。
それとも、次に隠れる看板を探してあるのかな?
隠れて隠れて隠れ続ける人生を送る気なのかな?

それで幸せ…なんだろうな…きっと…

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2007年11月16日 (金)

正義ってなんだ?

以前から折にふれ思うこと。

「正義」とは世の中に存在しうるの?
誰の目から見ても正しいと言い得る「正義」というものはあるのか?

「○○にとっての正義」なら数限りなく存在している。
しかし、往々にしてその正義は、同量の「悪」の存在によって支えられている。

何故なら、その正義は悪を糾弾することで成立しているから…
ただ、逆も真なり…で、彼らに悪とされた側にも言い分がある。

企業は株主利益を最大にすることが正義だと高らかに叫ばれ、そのために法人税は安くなり、株主として生活する高所得者への所得税累進税率の軽減も実現した。
それは企業株主にとっての正義の実現であった。
しかし、会社の底辺で実務を支えている社員にとって、それは「悪」である。
社員の立場からすれば、自分たちに回ってくるはずの金が会社の利益から還元されなくなるのだ。

さて、その会社のサービスに金を払う人にとってはどうだろう?
そんな会社のサービス(商品)の品質が落ちてくるのだ。
実際、自分の仕事に関係している国産メーカーの保守(修理)の質はどんどん落ちてきている…まるで昔のアメリカ並み…きちんとPDSCを回さない…回したくても、そのための人件費は出せないのだと容易に推定できる料金しか請求してこない。まともに修理報告を要求すると目の玉が飛び出るほどの料金になってしまう。そんな会社のサービスが正しいことなのだろうか?
たいてい、安い料金で修理する会社のものはしょっちゅう壊れる…(某米国大手コンピュータ通信機器メーカーなんてのが典型…なにしろ修理報告まで欲しいなら特別お高い料金での保守契約を…)
修理部門から開発部門に情報が回っていないのが見え見え。

…そういえばPDSCを回すってのはアメリカが発祥の地だったが…ISO9000なんて宣伝し始めるとろくなことにならないのだな…真面目に情報を回すとISO監査に合格できなくなるから。

税金だってそうだ…何かっていうと安直に「消費税率アップ」というが、減税の恩恵を受けてる人たちは、もともと金持ちだから生活を切り詰めるのも簡単…でも、貧しいものが同じように切り詰められるわけではない。
手取り年収1億の人が9千万だった支出を1千万にするのは簡単(だと思う)、でも手取り年収100万の人が年10万で…暮らせるか?

そういえば、正義を振りかざしてよそ様の国に攻め込むのが戦争の始まりだな…現代では…

…中島みゆきの「Nobody is right」を聞いていたら、なんかこんな記事になってしまった^^;

歌詞情報→Nobody Is Right 中島みゆき 歌詞情報 - goo 音楽

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2007年11月10日 (土)

原爆投下機長の訃報

ポール・ティベッツ氏死去の記事を読んだ。
故人の持たれていた考えを憶測するのは不謹慎かつ無礼な行為かもしれない。
しかし、あえて記事にしたい。

-引用は2007年11月10日付け朝日新聞国際面より-

(引用開始)
 機長は03年の米紙との会見で語った。「戦争に道徳なんてない。国家紛争の解決の手段としての戦争はなくす道を探すべきだ。」
(引用終了)

故人について、私はマスコミで報道された姿しか知らない。
それは大まかにいって次の2点である。
・広島に原爆を投下した爆撃機の機長
・核兵器の所有/使用を容認する〔幸せな〕米国のシンボル

特にスミソニアンでのエノラ・ゲイの展示方法問題での、原爆投下の正当性を主張する米国退役軍人団体のシンボルとしてのイメージは大きかった。

それだけに、「戦争に道徳なんてない。」という言葉は重要である。
なんで、この言葉をもっと早く言ってくれなかったんだろう。
あるいは、晩年になってこのことに気づいたのかもしれない。
少なくとも、原爆を投下したときには、その行為の正当性を信じていただろう。
しかし、将校であった(退役時の階級は准将)からには、それなりに優秀な人だったのだろうから、おそらく、この考えは早いうちに持っていたのではと感じる。
ただ、組織の縛り、社会の縛りがそれを表に出すのを妨げていたのではないかな…と。
彼が将校として積極的に戦争に関わる立場にあったことを前提とすると、私のような「戦争を知らない者」とは重みが違う。(戦争を知らずに、戦争の準備をさせたがる方がこの国にはいるのが、個人的には非常に残念なので…)

この記事を読まれた方には、日本国憲法と上に引用した彼の言葉を読み比べていただくことを希望する。

日本国憲法第九条  
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』

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2007年11月 9日 (金)

銀河鉄道

夜会 VOL.13 24時着 0時発
アルバム転生発売の前、「命のリレー」がTVドラマの主題歌としてタイアップされていて、そのサビの部分からひょっとして?とは思っていた。

「線路の外の風景」タイトルとイントロ…ジョバンニとカムパネルラが途中下車して遊ぶ星の川原がぴったりイメージとして重なった。

この夜会は銀河鉄道の夜へのオマージュではないか?

ただ、夜会vol.13ではジョバンニという固有名詞は出てこない。
再演された夜会vol.14ではジョバンニという名詞が出てくるらしいので、ひょっとすると「銀河鉄道の夜」はそれほど知られていない作品なのかもしれない。

賢治の銀河鉄道は、平行世界を結ぶ手段として描かれている。その平行世界には「あの世」駅と「この世」駅も存在しており、「この世」から「あの世」へ旅に出る人々と主人公のジョバンニとの交流がメインに描かれている印象が強い。一緒に旅をしていたカムパネルラが「あの世」行きの乗車券を持ち、ジョバンニは行き先指定無しの乗車券であったということ。その結果としての親友との別離という結末が、この物語の陰を濃くしている。さしずめ、人は片道切符を手にして生きているのだとでもいうかのように。
ただ、賢治の銀河鉄道は、永遠の中を動いている。

対して、中島の銀河鉄道は停まっている。厳密に言えば、袋小路に入ったまま戻ることもならず立ちすくんでいる。何が鉄道を停めたのかは『リゾート・ラッシュ』に暗示されている。
主人公の道連れは、彼女の影。そして、袋小路から脱出するための行動を起こすのも主人公。
中島みゆきの徹底した個人主義が仄見える。
無論、この個人主義は利己主義とは相容れないものである(念為)。
あ…これってグスコーブドリじゃないか?賢治の世界全体へのオマージュなのかな、この作品。

理屈はともかく、この夜会DVDの映像、見所が多い。

体力編
みゆきさんがぺったり横になったまま歌う『分水嶺』。
普通あの姿勢で歌は歌えんぞぉ…(ブレスしたときの呼吸が、引いたレンズ越しにはっきり見える。すごい肺活量。)
『フォーチュン・クッキー』が歌われている場面で、助演の香坂千晶さんが綱のぼりのパントマイムをしているのだが…背筋をのばしたまま上体を起こしていく演技…並みの人間ではもっと背中をまるめないと上体は起きない…
役者さんや歌い手さんって、本当に体を鍛えてるのがよぉくわかります^^;

衣装編
主人公とその影…場面によって入れ替わるこの関係が衣装で表現されている。恥ずかしながら、最初は気づかなかった。多分、夜会そのものを1回見ただけでは見過ごしていただろうと思う…DVDでよかった。
また、大勢の出演者の衣装に添えられている赤い色…これが、その人たちの正体を明らかにしている。

歌(アルバム未収録…今後収録を期待)編
この夜会、台詞はほとんど歌によって表現されており、大部分はアルバム「転生」に収録されているのだけれど…収録されていない歌の中から…
『サヨナラ・コンニチハ』
『分水嶺』
『パーティー・ライツ』
『水を点して火を汲んで』
特に「サヨナラ・コンニチハ」は「無限軌道」(転生に収録)と対を成す曲なので、転生に収録されなかったのが不思議である。

歌(アルバム収録済だけど、こっちのアレンジが…)編
『サーモン・ダンス』
『帰れない者たちへ』
「サーモン・ダンス」はアルバムではギターが基調音になっているけれど、映像であの踊りを見てしまうとバイオリンを基調としたこちらのアレンジの方がどうしてもしっくりする。
「帰れない者たちへ」はこちらのほうが切々と歌い上げて、この歌の持つ寂しさが強く感じられる。

所謂【中島みゆき】ファンでない人に勧めたいな…このDVD。

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2007年11月 5日 (月)

夜会(DVD版)2/2の感想

中島みゆきの夜会vol.7 2/2

DVDは時間がかかるので、持ってはいてもなかなか通しでみることはできない。
でも、CDに載ってない佳曲があったり、CDとは別のアレンジがあったりするので面白い。
本編も通しで見るのは久しぶり…^^;

前半は、現在と近い過去のカットバックの連続。
これが伏線になって後半の展開が納得できるのだが、これを舞台でやったことにまず脱帽。
DVDだとロケの映像も入るからついていけるけれど、舞台では演じる方も見る方も大変だったろうなぁ…また、こういう演出を具象化できる大道具を作るのも…。

前半部では場面の切り替えに入る「TOURIST」が聴き所かな?
最初はもう目一杯能天気なアレンジ、それが進行にしたがってだんだんマイナーなアレンジに変わる。
それがシナリオでの事態の深刻さを伝えてくるしかけになっている。
それに輪をかけるのが「一人旅のススメ」…これも曲自体は明るいのだけれど、一種【ヤケッパチ】な空気をそこはかとなく漂わせている。

後半に入って、ヒロインがそれまで持っていた繋がりを断ち切られてしまう場面に入る。
そして、最後まで拠り所にしていた物まで手放す(過去と絶縁する)決意にいたる。
ここで流れる「竹の歌」…日~WINGS~で聴いたときに感じた、明るい曲調なのになんか暗い印象が納得できる。
このシーン、それまでの拠り所としていた場所から拒絶され、絶望にいたるところの映像が見事と思う。
ただ、単なる絶望ではなく、自分が本当に望んでいたことはなんなのか?という問いかけとその一次解がこの歌にこめられているようだ。
それが「紅い河」へつながっていく。自分の思いはどうあれ、滔々と流れる河の流れにのっていくしかない諦めという一次解。

過去を諦め拒絶しているから、最後の逆転による「幸せになりなさい」が効いてくる。
この曲は、優しい歌い方で初期の楽曲に似ている。その優しさが涙を誘う。

…しかし最後に幽霊がでてくるとは思わなかった。それもとっても陽気な幽霊が…

DVDはレンタルなどでも見つかりにくいと思うので…

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2007年11月 1日 (木)

「自己責任」

飲み屋での会話から…

飲み屋の常連のある人から「Tさんは『自己責任』という言葉をわかってる人だよ」と褒められた…ようだ(なんせ、酔っていたzzz)

しかし、「自己責任」ってなんだろう?
よく判らない言葉である。

「責任」という言葉を使う場合には、『「誰が」「何に」「どのように」責任をとる』という使い方が一般的であると思う。
とすると、「自己責任」というのは、「自分が」「自分に」「自分に属するなにかを以って」責任をとるということではあるまいか?
「自己」という単語が付いた瞬間に「責任」は個の内部に局限された言葉となる。
「自己責任」という言葉は、自己に対してのみ発することが許される言葉ではないか。

よく判らないのが、この言葉が「他人」を批判するときに頻繁に用いられること。
他人に対して、その他人の所為を「自己責任」と批判する。
そのとき、この言葉を発した人は、それを投げつけた相手に対して己が神のごとき存在と錯覚しているとしか思えない。それとも「自己」と「他者」というものの関係を無視できることが許されるような(ある種)甘い世界しか知らないのか。
他人がいてくれるからこそ、人間は社会的動物足りえるのに…。

不思議なことに、この言葉を他人に対して発する人が、己の行為について「自己責任」と言ったのはあまり聞かない。これは、この言葉を他人に用いる人たちが、如何に他人を無視して存在しているかを示しているようだ。

最悪なのが、何年か前にイラクで反米組織に拉致された民間人に対して、日本政府の内閣官房長官がこの言葉を用いたことである。そして、その後(その以前からかも?)財政関係の大臣がこの言葉を濫用するようになる。
私の論理では、これは政府が国民を無視するという態度の表明になってしまう…。
あろうことか、当時の内閣官房長官が今の総理大臣なのだが…。

20年以上前に取得したパスポートの見開きには以下の文言が記載されている。
「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」
ひょっとして、今のパスポートの見開きはこんな風に変わっているのだろうか?
「本旅券の所持人は日本国民であることを証する。日本国外務大臣」

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バナー変えてみました

始めたときから思ってたんだけど、なんか味気ないテンプレートだったんでちょっと変えました。
バナーの背景はアパートのベランダから撮ったものをちょいといじりました。

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