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2007年12月17日 (月)

地上の星(コンサートバージョン)

一晩たって、興奮がやや薄らいだところで…

前の記事で「地上の星」のアレンジがぶっ飛んでいたことを書いた。
あれって、中島みゆきさんのこの曲に対する思い入れじゃなかろうか?

そして、私はその思いに共感する。

この曲がオープニングに提供された番組「プロジェクトX」は私も良く見た…
見たが、ある時期から胡散臭さを感じ始めて見なくなった。

なんつうかなぁ…。
最初の頃の製作は「大プロジェクトの影にいた無名の人」にスポットを当てていた。
たとえば、黒部ダムの物語では崖のふちぎりぎりまでブレードを持っていくブルドーザの運転手であり、青函トンネルでは事故死した部下を記憶に残したまま生きる班長であり…。だからこそ、多くの人の共感が得られたんじゃないか?
私事で恐縮だが、私自身小さなプロジェクトでリーダーを事故で失い、その再立ち上げから完遂まで亡くなられた方の代理を務めたことがある。
そんな経験を持っている人はこの世に何千といるだろう。
その何千といる人たちの思いの、ほんの一部なりとも掬い上げたからこそ、この番組はヒットした。

それが「敗残者の復活の物語」となり、最後には「成金物語」に変容したような生臭さが漂っていた。
その変容により、この番組自体の取り扱われ方が、企業のマネジメント読本(部下の尻をいかに引っぱたくか=部下の無能は部下の責任的な教育読本)に堕していった(堕すという表現はいささか過激かも知れないが、この番組の持っていた影響力を考えるとこのくらい言っても良いのではなかろうか)

その変容振りに、そして、変容した番組の象徴としてこの曲が使われ続けていたことに、みゆきさんもやりきれないものを感じていたのではないだろうか?
「そんな番組に私の曲(子供)を提供したわけじゃないよ!」とでもいうか…

それが、今回のアレンジにつながったと思うと、わかる気がする。
番組製作において最初の頃に持っていた「地上の星」たちへの共感が薄れていったこと。それを唯々諾々と受け入れていった視聴者。そんなものへの怒りとも言い得る表現が今回のアレンジなのかもしれない。

前の記事で、この曲の前に演奏された「本日、未熟者」で立ち上がって手拍子を送っていた人たちが固まったことを書いた。
この人たちは、彼女のこの曲にこめられた怒りの前に、立ちすくんでしまったのかもしれない。自分がいかに軽佻浮薄な存在であるか、身にしみたのかも。

今回「地上の星」があったからこそ、ラストの「背広の下のロックンロール」では大勢の人が立ち上がって、手拍子をとり、共感を表明したのかも…
ラストの曲で立ち上がった人たちは、「プロジェクトX」の初期の姿勢に共鳴した人たちでもあるのだろう。(少なくとも一人はそうだ)

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