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2008年3月

2008年3月29日 (土)

花は散り際…なんてことはない

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世代を引き継ごうとして、幹に咲いているこの花。
枝に密集して咲いている花も美しいが、この花を愛おしいと思う。

無粋なことを言うと、ソメイヨシノは種から繁殖しない。
品種改良の結果、種で増えることができないようにされてしまったのだ…人の手によって…。

当たり前のことだが、花が散れば実が残る。
その実によって種は生き残っていくのが自然の姿だ。
それによって、種の中の遺伝子の多様性が確保され、環境の変化にも対応していく。

ソメイヨシノにはそれができない。それでも、世代を引き継ごうと精一杯に咲いている。
その花の散り際を美しいと思う心は、ある種の残酷さを秘めているのかもしれない。

人の世ではどうだろう?
精神の根本を「かくあるべし」と固定したものたちで溢れかえったら…
高みにたった(と信じている)ものたちが、かくあるべしと決めた価値観の精神のクローンたちで溢れかえった社会を想像してみる。
外部からの刺激に画一的な対応しかできない集団になるだろうとは、素人考えで思いつく。
その刺激が、種の生存に不適当な方向の刺激だったら…
なぜ、そのことに思いが至らないのだろう。
それを考えているのなら、なぜ画一的な価値観(=偏狭な価値観)を教え込もうとするのか。
自由な価値観の存在を教えようとする行為を押しつぶすのか。

教育は国家百年の計…と誰かが言っていた。
それをたかだか60年で方針転換というのは、間違いだ。
少なくとも、さまざまな価値観の自由を押さえ込む方向は昔言われた「逆コース」そのものだ。

ソメイヨシノは確かに美しい。しかし、ソメイヨシノだけが美しいわけじゃない。
オオイヌノフグリだって美しいじゃないか…

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2008年3月27日 (木)

なんで…物陰に隠れるのだ?

ネットへの自由なアクセスができない環境にいたので、更新もできなかった(←言い訳)
もちろん、仕事中にネタを考えてる余裕なんかないのだが、休憩中にニュースサイトなどは見ている。
…で、ここ数日「なんで?」ということが立て続けに起きているわけだが。

かなり、ひっかかったのが「 沖縄の怒り全国に訴え/きょう午後 県民大会」。
特に、当該記事の第三節。
先日の事件の被害者について名前を出して批判し、県民大会を潰そうとしたらしい。
国旗国歌推進なんていう運動体の本質がここに顕れていると考えるのは、私の独断に過ぎるか?

個人の尊厳よりお国が大事なのか?
人がいて、共同体があって、国家がある。
この順番は逆にはならない。

そんな簡単なことが何故判らないのか、否、判ろうとしないのか。

国家大事と唱える人々だって、社会の中で生きている(はずだ)。
ならば、顔の見える仲の良い知り合いもいる(はずだ)。
その顔見知りと、顔の見えない「お国」…どっちが大事だ?

私は顔見知りを大事にしたい。
顔見知りをお国のために犠牲にするという考え方を受け入れることはできない。
そういう考え方をする人の言葉は、物陰に隠れて顔を見せない行為に思える。

なんで…物陰に隠れるのだ?
そんなに「人を大切にすること」が怖いのか?

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2008年3月24日 (月)

「狂信者なら殺しても良い」に反対する

先の○○に関連して…
今新聞にも出ているチベット自治区の問題について、犠牲者を「一般市民」と「狂信者」に分類した上で後者は殺されて当然と抜かす腐れ外道があちこちに出没している。
前回の記事では伏字にしたけど、こうまであからさまだときちんとした単語にせざるを得ない。

無論、私はこの種の言動をする輩に好感は持たない。
人間何十年かやっていれば、「殺したろうか この野郎」と思ったことが無いとは言わない。
しかし、その怒り・憎しみは具体的な顔をもっていた。

それと比べ、この腐れ外道は「狂信者」なら殺しても良いと抜かす。
果たして、この外道の頭のなかで、己が殺されても仕方の無いと処断した人々の顔は見えているか?
断じて「否」
具体性の無い「狂信者」をでっち上げて国家権力の暴走を後押しする。

こやつの精神構造は、前記事にあげた○○の意識が膨らんでいったものである。

人殺しに正しい・悪いの区別なんかあるものか。
この外道が…

あ、外道がここを見た場合のために言い添えておく。
このブログにきても無駄だよ。コメント・TBどちらも削除するから。

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2008年3月22日 (土)

無自覚な○○たち

そもそも「この国に住まわせてもらっている(からお上にたてつくな)」なんぞと一見謙虚に言ってる輩の心中は、自分が「お上」になったと錯覚した瞬間に「この国に住まわせてやっている(からお上にたてつくな)」になるわけで。共通している部分は「お上にたてつくな」という権力者に媚をうる醜態でしかない。
そこにあるのは、自分より上か下かでしか他人を見ることのできない=差別主義であり、下劣な利己主義の残骸でしか無い。彼らには「知識」はあっても「知性」はない

それゆえに、彼らの言動には一貫性が欠けることになる。
最近の例では…
(1)あるところでは、国歌・国旗に対する敬意の外形的表明の強要は当然であると主張し
(2)別のところでは、国家権力への反発を称揚する

(1)と(2)が国家というものの捉え方において、まったく逆のベクトルを有していることに気づかない。
通常、こういうのは「ダブルスタンダード(略称:ダブスタ)」と呼ばれるのだが…

彼らにとって、自分が快であることがいかなる場合であっても最優先されるべき事柄であり、他者は彼らに仕える下僕でなければならない…と信じているとしか思えないのだな。
そして、強者に媚を売ることによって快を得ている彼らとしては、身近な自国においてはそこでの強者にすりよる(1)の主張を行い、国際社会での出来事についてはそこでの強者へすりよるために(2)の主張を行う。
そこに人類普遍の考え方とか理想とかいう概念は入ってこない。

その点について、彼らはまったく無自覚なのだ。

そういう手合いから「日本国民として云々」とぎゃあぎゃわめかれるのは、非常に不愉快なのだ。
彼らが日本国のあり方を規定している精神から程遠いところにいるのは明らかだから。

以上について異論はあるだろう。異論を持つ自由を私は認める。
しかし、それならばせめて下記の文の持つ意味を勉強してくれ。
国際社会から名誉ある地位を占めるにあたり、自分たちの行動が専制と隷従・圧迫と偏狭にどう対峙しているのかを考えてくれ。

日本国憲法前文より抜粋
----------------------
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
----------------------

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2008年3月19日 (水)

ぼやき

昔々のお話だが…
「教職を目指さないか」とか「弁護士を目指したら」とか言われていた時期がある。
いろんな人から言われたこの勧めを、かなり頑固に蹴って今に至っている。

なぜか?
その種の職業は、他人の生き方にコミットし、それを評価することにより成立するからである。
場合によっては、その他人の人生を大きく狂わせることもありうる。
その可能性に耐えられなかったからである。

教えること自体は、結構好きな方かもしれない。
教えあうことはもっと好きだ。
でも、その結果を評価することは嫌いなのだ。
職場で後輩にあたる人たちに技能的なことをいろいろ教えて、それが彼らの身についていく過程を一緒に過ごせるのは、ものすごく楽しい。
彼等がこちらの期待するほど吸収してくれなかったときは、自分の教え方が悪かったのかなと反省したりもした。
でも、それは自分に対する評価であり、相手を評価しろといわれたら震えが来るのは変わらない。

私は変わり者なのかな…
世の中には他者を自分の価値観で評価すること、ことに負の評価をすることに喜びを覚える人も多いらしい。
なんでだろう?
そこまで自信をもてる価値観ってあるのかな?
いや私だって価値観はあるよ。でも、その価値観は「相手を貶めない」という価値観なのだ。
それは、相手に自分の価値観を押し付けないということ/押し付けられた価値観には反発することにつながる。
だから、「相手を貶めることで自己を優位の立場におく」という価値観の持ち主とは猛烈にぶつかる。

世渡りには不向きな価値観だな(笑

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2008年3月18日 (火)

ハリネズミ

いかん いかん
よそ様のところへコメントつけてたら、自分のところに書くことがなくなってしまった(笑

ということでハリネズミ。

防御のために針毛を逆立てる

何があったのか
何に怯えているのか
何から身を守ろうとしているのか
手を差し伸べても
ひたすら毛を逆立てているだけのハリネズミ

人にもいますねぇ。
自分だってそういうときがある
そういう人に何を言っても無駄かもしれない…と思いつつも、
手を差し伸べたくなるのが人の性。
いや、それは業か?

そして、それを拒否するのも人の性か…
知ることの面白さよりも
知らないものへの怖れを抱くようになってしまったから

なんで、そんなに怖がるの?
それで何が守れるの?

えぇ…中島みゆきさんの「ハリネズミ」の歌詞を紹介しようとしたらリンク先が見つかりませんでした。関心をお持ちの方はこちらへ→夜会 VOL.7 2/2

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2008年3月15日 (土)

美談を美談とすることの怖さ

前の記事を書きながら、つらつら考えたこと。
「公共の精神…」が盛んに強調されると、ひょっとしてこんなものが教材に使われるんじゃなかろうか?
小説「塩狩峠 (新潮文庫)

所謂「美談」である。
しかし、これは美談と受け取って終わりにできるような代物ではない。

主人公を死に至らしめた事故の原因。
当時の鉄道の技術的限界や社会環境等々徹底的に突き詰めて、それでも主人公の死を当然と受け入れるか、それを「美談」で終わらせるか。
終わらせてしまった時、物事の改善や発展が否定される。
「美談」はそれが特異な事象であり、かつそれを利用するものがいるから「美談」足りうる。
物事を(世の中を)良いものにしていこうという努力を否定するものたちが「美談」を利用するのだ。
これが怖い。

あえて言う。
「美談」は起こしてはならないことなのだ。
起きてしまったら、また起こさないためにはどうしたらよいかを考えなくてはならない。
子供たちを、次の「美談」の主人公にしてはならないのだ。
子供たちには、美談の影に隠れている「WHY」「WHAT」を知り、次の美談を起こさないよう努力する人物になってもらいたいものだ。

…使われ方によってはもっとヤバイ小説(童話)を思い出したので付記
グスコーブドリの伝記 (宮沢賢治絵童話集)

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「道徳」とか「どう解く」とか「どう説く」とか

教育基本法の改正に対応した学習指導要領案の主な改訂点の1ページ目…
まぁ、よくも並べた「道徳」という単語。

正直なところ、学校に「道徳の時間」というものがあるのを忘れていた。
これ、はっきり無駄だと思う。
具体的な中身が見えてこないんだな、「道徳学習」ってやつは…。
だいたい、「各教科等においても、道徳の教育内容を適切に指導することを明確化。」ってのがわからない。理科で道徳って何?まさか水伝説を真実として教える気…(ちょっとありそうで怖い)

大事なことは事柄の問題点を見つけて「どう解く」か、そしてその解法を他人に「どう説く」かという手法を身につけることなんじゃなかろうか?

それなら「道徳の時間」なんてご大層なものはいらんだろう。
むしろ、その時間を数学・国語・理科・社会・保健体育をきちんと、正確に教えることに使った方が良いんでないかい?
(英語は日本語をある程度こなせれば、生きていくうえでの最低限の会話ぐらいは何とかなる←海外の工事現場にて実感済:そもそも個々人において今後必要になる外国語が英語とは限るまい。)

数学において、結論は同じでも解法は一様ではないことを知り、
理科において、物理法則は人間の意図では変えられないことを知り、
国語において、論理的な或は情緒的な文章を読み解き表現できる技法を知り、
社会において、人類の試行錯誤の経過を知り、
保健体育において、頭の中で考えたことを肉体で表現することの難しさを知り、
全ての学科において、人間は工業部品ではないこと、即ち個々人は各々違っていて当たり前、その違いを相互に尊重しあうことで社会が維持できていることを知ってもらうこと。

「教えてやる」というのではなく「知る」ということの手助けをする…それが学校教育、特に初等教育の主眼であろう。

歴史の流れの中で「道徳」って規範はどんどん変化した。
私が生まれる前には「修身」ってことで、「臣民」教育がされた。
その結果がどうなったか…。
その反省を受けて、それまでの人類の英知の蓄積を理想を高らかに謳い上げたのが現在の憲法であり、一昨年までの教育基本法だ。
そのことを踏まえたうえで「道徳」単体を教えることに困難を感じないような人間には、教員をやってほしくない。

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2008年3月 8日 (土)

サービス低下

公共事業の民営化=サービス低下という概念ができて久しい。
古くは国鉄→JR、最近では郵便局→日本郵便グループである。
国鉄の場合、都市部の民鉄と競合していたところに住んでいた人にはサービス低下は判らないかもしれない。が、国鉄しかなかったところでは料金値上げは言うに及ばず、第3セクタ化した後の行政の赤字補填(当然財源は…)等々サービス低下は明らかである。
電電公社はどうなんだ?という声が聞こえてきそうだが、業界の端っこに棲んでいるものから見ると、あの民営化でFTTHは10年遅れた感がある。

で、郵便局のサービス低下の事例である。

その1:
夜間窓口の終了時刻が異常に早くなった。以前なら0時まで開いてた局も、軒並み19時~20時で閉店してしまう。月曜の夜に不在通知なんぞ届いていた日には、受け取るまでまるまる1週間かかってしまう。…その分、夜間配達を増やしましたって言い出す馬鹿もいそうだけど、18時から21時の間にお届けします(だから18時には家にいてね)って言われても、その時間に帰宅できないから苦労するんだ。
夜間配達を増やすより、窓口の営業時間を長くしてくれた方がなんぼかうれしい。
郵便局に働く人だって、その方が(体は)なんぼか楽だろう。

先日、ネットで注文した古本が…火曜日に不在通知が入っていて、読めたのは土曜日の夜(泣
古本屋さんもネットの発注をうけて素早く発送してくれたのに…。
役所(現業)時代なら、夜間窓口が20時まで開いてたから水曜日には読めたのに…。
本だから良いようなもの、生ものだったらどうするんじゃ!

その2:(こっちが本題)
料金が高くなった。
公共料金でもきっちり手数料をとりやがる(怒

本当のサービスとは、なんだろうと考えさせられたこと。

いい歳こいてファンクラブなんぞというものに入っている。
そういうものに入っていると、会費というものを払わなければならない。
先日、その払い込み用紙が送られてきた。
ミシン目が2本入っていて、郵便局での払い込みとコンビニエンスストアでの払い込みを選択できるようになっている。
印刷されている会費は郵便局払い込みのほうが100円安い。ところが…油断大敵、郵便局は払い込み手数料120円が必要なのだ。
おまけに、コンビニエンスストアは営業時間が長い(これはこれで別の問題があるのだが)。
はっきり言って、近所にコンビニエンスストアがあるなら、そちらの方がお得なのだ。
だったら、コンビニエンスストアでの払い込み用紙だけにすれば良いだろうって?
確かにそういう支払い方法を指定する会社もある。
でも…さぁ、コンビニエンスストアが近所に無い場合はどうすんのよ?
このファンクラブを運営している会社はそこまで見越して、払い込み方法の手配をしてくれてるわけ。
もちろん、そのコストは会費に織込み済みだろうけど、それなりにサービスを理解しているように思えるのよ。
ここまで書いたから、このファンクラブは、中島みゆきファンクラブで、運営はヤマハってとこまで書いて終わりにしよう(笑)。

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2008年3月 7日 (金)

メーカー名を知りたい

先月の東京航空交通管制部のトラブルの件、広報資料を読んで思ったこと。

設計ミスじゃん!

どんなバス使ってたかまでは書いてないけど、普通BUS-TimeOut位は監視項目に入れるんでね?つか、昔は入れたぞ。
それとも、現代のハードウェアは信頼性が著しく高いから、昔とは設計手法やBUSの仕様が変わってるのかな?

明らかにデバッグ漏れ。
この装置のメーカーをぜひ知りたいな。
このメーカーの設計部門なら、まだ私のようなものでも使ってもらえそうな気がする(笑)。

しかし、自分たちの身近なところの劣化を見せつけてくれるような事例だ。

これもまた、「自分は正しい」思考のなせる業か…。
ネットなんぞで駄文を書き散らしてる分には「自分は正しい」思考も、まだ「勝手にしたら」と流せないこともない。(私の駄文なぞ流されまくっておるわけだし)
流せない駄文を書き散らしているマスコミ人もいるにはいるが…。

しっかし、一技能者としては、技術者にはそんな馬鹿はいてほしくないと願う次第である。

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2008年3月 4日 (火)

憲法前文を国語科で

いまさらといえばいまさらなんですが

みんななかよく様で紹介されていたパブリックコメントなんてのを考えていたら…
これを社会科だけで教えるのは、あまりにもったいない。
国語の教材としても取り上げたら面白いかな…なんて不埒なことを考えてしまい、思考停止状態。
もちろん、けっして読みやすい文章じゃないよね。
それをもっと読みやすい文に直してみるなんて学習方法も「国語科ならあり」かな…なんて。
その過程で、この憲法が自分にとって良いものかどうか、現状はどうなのかなんて風に学習範囲を広められたら素敵なことなんじゃなかろうか。

日本国憲法 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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2008年3月 3日 (月)

PDSC(または言葉の暴力)-追記あり-

タイトルを読めば判る人には判ると思う。

PDSC(またはPDCA)という言葉があります。
品質管理に関わったことのある人なら、必ず聞いた事があるはずです。

Plan→Do→See→Check→Plan→Do→See→Check→以下循環

問題が発生したとき、このループをぐるぐる回して解決をはかるということです。

・問題の原因を見極めて対策aを考える(Plan)
・対策aを実行する(Do)
・対策aの結果を観察する(See)
・対策aにおける問題が無いかを検討する(Check)

・Checkにおいて問題が解決されていなかったなら対策bを考える(Plan)
…このループで最終的に問題を解消するという手法です。

ここで、注意しなければならないことがあります。
Planの段階です。
ここでは、解決しようとする問題がなぜ起きたのかを考えなければなりません。
この時点で、原因を見誤ると何度も何度もループを回さなければなりません。
それだけ無駄に労力・コストと時間を費やすことになります。
ここで、原因を見誤る要因となるものに、対策立案者への圧力というものがあります。
上部組織の面子にこだわった圧力がかかると、あるいは、納期などの営業的な圧力がかかると、その場しのぎの対策しか立てられず、問題の再発を生みます。

この手法は製造業だけのものではありません。
サービス業でも同様の手法を用います。

さて…行政も市民に対するサービスとして存在しています。
市民の安全を守るということは、行政サービスの中でかなり重要なものと申せましょう…
ある集団に属するもの(X)が、ある事件(Y)を起こしたとします。
そして、むにゃむにゃの運用を見直すという対策(Z)がとられたとします。
その対策がとられた後に
また、同じ集団に属するもの(X’)が、同様の事件(Y’)を起こしたとします。
この場合、一般的にはZが無効と考えられてもおかしくありません。
もちろん、実際には、変数であるXとX’、YとY’の差異も考慮して、Zという対策が妥当なものであったのかという検証が必要となります。
重要なことは、検証を行うということです。

……なれない言葉を使ってきたんで、だんだん疲れてきた。
さっき、「圧力」って言葉を使ったよね。
検証を妨げる圧力をネット上で、マスコミでかけたのはどこの誰なんだよ?
類似の事件が起きてるのに、てめぇらはどういう形で責任をとる気なんだよ?

gooのブログ検索で見て、あきれ果てた…

----(追記)-----
YとY’の差異を殊更に言い立てることによってZの妥当性の検証を無視することが問題の解決につながらないことは、私には自明のように思えるのです。
しかし、極めて残念なことに、YとY’の差異を言い立てることによって問題の本質から目を背けている論調が多数のブログに見られる。

それが、所詮「日本人」なのか?
そうではないと、私は信じています。
人間としての誇りを高らかに謳い上げている方々が多くいること…それが、私にとっての救いです。

本記事において、具体的な事件を示すことは避けております。
被害者とその関係者の方々の思いを察するに余りあるからです。

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2008年3月 2日 (日)

「問う女」…彼女にとっての「敵」とは

「問う女」(中島みゆき 著、幻冬舎 刊)の感想 続き。
前回の記事はかなり書き急ぎだったんで、少し補足。

昔々、中島みゆきさん&松任谷由美さんの対談記事をAERA(だか朝日ジャーナルだか)で読んだ記憶がある。但し、ググってみてもひっかからないので記憶違いの可能性もあるが(あの「中島みゆき研究所」でも見つからなかったのだから)。
当時は「中島みゆき=暗い」VS「松任谷由美=明るい」的イメージが流行していたのだが、その記事の中でみゆきさんが「(両者にとって)『敵』は同じだもんね」と言っていた。

その記事をを読んでからしばらくの間、彼女にとっての「敵」とは一体誰なんだろうと考えていた。
「ひょっとして、私も含めたリスナーが『敵』なのかな?」なんてことも考えた。
世間の波に簡単に流されていく彼女たちの顧客層。その軽さを指して、敵と表現したのかななどと。
でも、それでは敵となる対象が広すぎるような気がしていた。

「問う女」を読んで、その範囲が少し絞られた様な気がする。
そして、彼女の歌に垣間見られる自責の念の源もちょっと見えたような気も。

みゆきさんは「言葉の重さ・怖さ」を知っている。
人は往々にして、その重さ・怖さから逃れるために、自分の言葉を音声化しないことで「逃げる」。
しかし、いくら音声としての言葉を語らなくとも、人は何らかの形で言葉を発するし、その意図はわかる人にはわかってしまうのである。

この小説の主人公も、基本的には「逃げて」いる。
逃げているうちに、外国人売春婦と会い、彼女との交流で自分が「逃げていた」ことに気づく。
そして、悲劇が起こり、その中で、主人公の周りには2種類の人がいることに気づく。
それは、主人公の勤めていた会社の上層部のような、言葉を鎧として使い自分にとって都合の悪いもの(それは往々にして弱いもの)を切り捨てて何の呵責も感じない人々と、自分たちの言葉を周囲の人間を気遣い受け入れることに使っている人々。主人公は後者の人々の存在を敢えて無視して自分の世界に閉じこもっていた。それがふとしたきっかけで、後者の人たちの存在に気づく。
そして、自分が過去に傷つけた他者は後者に属する人だったことを知る。そこから、自分の言葉を取り戻しにかかる。そのことで、つらい壁に打ちかかっていくが、その壁は自分の言葉で語り始めた主人公にとっては、意外にも壁ではなく、自分を受け入れてくれた。

ここで、みゆきさんの「敵」の姿がおぼろげな形を取ってくる。
「敵」とは言葉を使って、目の前にいる相手の思いを切り捨てる連中。みゆきさんが作った曲をただのBGM代わりに聞いている(聴いているではない)連中。他者の決めたフォーマットで、弱者を責め立てる連中。多数派にいるという安心感から、相手をどれだけ傷つけても自分の心は痛まない鈍感さを持った連中。
この小説の主人公もまた「敵陣」にいた。

そういう現実に目覚めた主人公は、みゆきさんの見方(分身)に立つことを決意する。
それが、この小説の結びの独白だろう

本当は、主人公だって、こんな醜さを露にする集団の中には戻ってきたくないんだ。
音声としての言葉は通じなくとも、言葉が伝わっていた人たちの世界にもぐりこみたいのだ。
でも、それでは本当の解決には結びつかないことを、既に知ってしまった。

だからこそ、この小説は主人公の独白で結ばれている。

------引用開始(太字等の強調は引用者による)------
「――――行って来ます。どれだけ長くかかるかわからない旅だけど、メャオを娘に返したら、私はきっと帰ってきます。
日本人しかいなければ安全だと嘯く彼等の国へ、私は、日本人である私を、強制送還します

------引用終了------

上っ面の音声だけで意思疎通ができているという錯覚に陥っている、そんな敵にもう一度向かい合って生きた言葉を伝えること、そのためには、先ず「逃げる」という行為から脱却しなければならない。
そして、「日本人しかいなければ安全だと嘯く彼等」にまっすぐに向き合わなければならない。
まっすぐに向き合うことで、彼らの傲慢を打ち砕き、彼らの醜い精神の鎧を引き剥がす。
そのためには、逃げたいという自分の首根っこを捕まえて「強制送還」しなければならないのだ。
それにより、戦闘は開始されるのだ。

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2008年3月 1日 (土)

気持ちの整理

今朝の朝日新聞一面
この件は、当ブログでも何度か取り上げた以上、一旦ここで整理しておきたい。

事が親告罪である以上、日本の司法制度では、これで終結ということになる。
告発まで踏み切りながら、結果として取り下げざるを得なかった被害者の気持ちはいかばかりか。
少しでも傷を癒してほしいと願うのみ。

ただ、事件の再発を防ぐための努力は放棄されてはなるまい。

(まだ書き足りない気もするが、とりあえずここで〆ます。追記あるかも)

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