« 間違いなく見ないだろうけど | トップページ | 気持ちが晴れないときは…衝動買い(いいのか?) »

2008年4月17日 (木)

繰り言

立ち回り先で「実録・連合赤軍」という映画に端を発する言葉のやりとりがあった。

連合赤軍以降、右にせよ左にせよ【政治】を公然と語り合うことが困難になった印象がある。
右は反動に取り込まれることによって未来を展望することができなくなり、そして…いつのまにか【政治を語ること】=【左翼】=【過激派】=【排除されるべきもの】という刷り込みが浸透した。

自らを省みれば、幼いなりに平和・平等というものは追求するに足りるものということくらいは認識する年齢であった。
それだけに、平等や平和を追求するという目的の下に集ったはずの人々がなぜあのように陰惨な姿に変貌せざるをえなかったのか…今でも完全に解けたとはいえない衝撃であった。

そして、物言えば…という時代になっていく。
その時代にあっては、民青や民学同といった行動面においてのラジカルを失った部分であっても、容赦なく排除された。
その排除は理論的な排撃ではなく、個々人の目の前の利害に訴えかけるものであり、それだけに効果的な反撃がなし得なかった。そして、その排除を正当化するための道具の一つに使われたもの--それが連合赤軍事件であった。また、その排除を正当化させるにたる悲惨な事件でもあった。

その攻撃に対する理論による反撃は、生活を確保するという強さが無いことに加え、メディアが報道したあの事件の悲惨さも相俟って、有効なものとはなりえなかった。

その後に続く年齢層の人たちには、「三無」とか「しらけ」とかというラベリングが行われた。
※三無とは「無関心」、「無感動」「無気力」のことなり。

大抵の人間にとって、三無になるのはむしろ当然である。
【余計なこと】に関心を持ち、感動し、それにのめりこむ気力をもったものがどういう扱いを受けるかを知ってしまえば、その扱いに耐えうるという自信を持ち得ない限り、大抵は逃避する。その心理を私は軽蔑することなどできはしない。

しかし、そんな時代の流れの中に三無であることを拒否した人たちも確かにいる。
深い情と鋭い知性をもって、物事に対峙している人たちがいる。
その人たちの営為に触れるたび、襟を正さなければと思う自分がいる。

|

« 間違いなく見ないだろうけど | トップページ | 気持ちが晴れないときは…衝動買い(いいのか?) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/224266/40909537

この記事へのトラックバック一覧です: 繰り言:

« 間違いなく見ないだろうけど | トップページ | 気持ちが晴れないときは…衝動買い(いいのか?) »