サーカスの国
パンとサーカス…古代からの統治原則だが、この国の政治を委任されている部門には、もうパンを作る能力がなくなっているのだろう。ならば、委任を辞退すればよいものを、サーカスの出し物を過激にしてごまかしているのではないか。
この国は…この国民はサーカスを見続けたがっているのではないか?
そして、サーカスのお題を探すことがマスコミの使命となっているのではないか?
ある事件でこういう報道があった。
そして、別の事件の差し戻し裁判の判決が出た。
両方の事件(および最近の諸々)から感じる不安。
前者の事件で、マスコミやネットに湧いた被害者へのバッシングを私は忘れていない。
被害者が日本の国内法で訴え続けることを断念したときの彼らの勝ち誇りっぷりを私は忘れていない。
そして、今…前者の事件について、米軍が加害者の行為を犯罪の可能性があると認めたことについて、彼らがその当時の自らの行動を振り返って語られているところは見当たらない(※)。
※わざわざ探したりはしていない。
あの当時(といってもたかだか2月前のことだ)は見たくなくても、視界に入ってきたものだ。
それは何故か…
…あの事件も、彼らにとってはおもちゃに過ぎなかったということであろう。
…あのとき、マスコミやネットに溢れたセカンドレイパーがたった2ヶ月の間にほぼ全員改心したなぞという御伽噺は信じられないから…
そして、後者の事件…これはこの数年間にわたり、彼らのおもちゃであり続けた。
「吊るせ・殺せ」と大合唱の渦。そして、最高裁の差し戻し理由は、刑事訴訟法405条による上告を退けた上で、411条を適用している。さりながら、この事件については原判決では無期懲役とされていたわけで、そこに「無期懲役≒15年の有期刑」とかなんとかキャンペーンが張られて今回の死刑判決となった…が、無期懲役の理解が違っている。ことに近年になって仮釈放までの期間が長くなる傾向が見られることは留意すべきだ。
この差し戻し審理での弁護活動さえも否定する阿呆(職業:弁護士?)がどこぞの知事になっているということには、この国のサーカス化の進行を看て取られても仕方あるまい。
サーカスを見て拍手喝采している人々…
彼らが恐れていること…「次はお前だ!」と指を差されることなのかも知れない。
だからこそ、マスの中に身をおこう、次に指をさされないように大樹の陰に隠れようという心理がはたらいているのかもしれない。
彼らには、他の道があること、法治主義・民主主義こそが自分たちを守ってくれていることが忘れられている。
眼を開けよう…次は自分かもしれないという恐怖に怯えなくて良い道を歩こう。
誰しも、この社会に生きる限りいつ何時加害者になるかもしれない。
そのとき、ネガティブな感情に基づく判断を下されることを回避する道は、「法の下の平等」を字義通りに機能させるしかないのだ。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 何故に消費税?(2008.07.19)
- 評価するということ(2008.07.05)
- プライバシーガラスは嫌い(2008.07.13)
- エコなら地産地消だろう(2008.06.29)
- 民主党HPへ投稿してみた(2008.06.14)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/224266/41004069
この記事へのトラックバック一覧です: サーカスの国:




コメント