« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008年5月28日 (水)

またかよ…

「小中学生には必要のない限り携帯電話を持たせず、」だそうである。

その昔、「3ない運動」というのがあったっけ。
それを思い出すなぁ…。
いや、まぁ大人になってから、いきなり情報の海に放り込まれて溺れても「自己責任」の世の中ですから、こういう発想が出てきても不思議じゃないのではあるが…。
昨今の流行り言葉に「リテラシー」というのがあるが、リテラシーは目隠ししてちゃ身につかないと思うのだが、どうも「偉い人」の考え方は違うようだ。
突っ込みどころはいくつもあるが、「3ない運動」への批判がほぼ当てはまる。
とりあえず、高校生になったら完全フリーで良いの?ってとこを押さえとこう。
次に、情報通信産業を次代の主役とおだててきたお上の方向性との矛盾を指摘しておこう。
親の判断としてフィルタリングをかけるというのはあっていい話だが、それだって子供の成長段階に応じた個別対応(段階を踏んだ解除)が必要であり、それができないと認めることのほうが大きな問題じゃないか?

まぁ、これを言い出した教育再生懇談会なるもの…そのほかにもいろいろ傍迷惑な事を言ってらっしゃる。
英語教育の抜本見直しとか…。
あのな…そこになんで「日本の伝統・文化」が出てくるんじゃ?
「真の国際人」ってなぁ…だったら国外で地元の人と仕事している人の足引っ張るようなことすんじゃねぇよ!
「靖国」上映禁止圧力なんかを、「国民の代表」たる国会議員がやってて「国際化」が聞いて呆れるわ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年5月24日 (土)

秋葉原ぁ

久しぶりに秋葉原を散歩してきた。
随分と街の景色が変わっていた。秋葉原デパートが無い。中央通りの日通ビルはすっかり撤去され、工事の目隠し板で覆われていた。ラオックスのコン館は未だシャッターが下りたまま…。ラジオデパートに入ってみる…空きスペースがやけに目立つ。頭の中では判っていたものの、昔足繁く通った秋葉原ではない…。
それでも、ラジオセンターは(店の入れ替えはあるだろうけど)昔のまま。これがありがたい。
秋葉原の魅力は、そこに行けばとりあえず何とかなるという品揃え。
仕事で使う消耗品や工具はやや特殊なものが多いため、一般のホームセンターではどうにもならない。普通は専門の問屋から見積もり貰って、相見積もりかけて、決裁書書いて、経理の承認貰って、注文書書いて、発注かけて、納期確認して、検品して、請求書貰って、請求書を経理に回して…とこれだけの処理をしなくちゃならない。面倒くさいことおびただしい。秋葉原にくれば、(いざとなったら自腹の覚悟だけしておけば)現物が手に入る。
PCパーツでも同様で、アンチintel & nvidia派の私でも納得できる品揃えのお店がいくつか残ってる。大手の店は無茶な安さは無いけど、そこに行けば一式揃うという安心感がある。
こういう安心感は街の歴史の蓄積だろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年5月20日 (火)

築地市場移転?(2)

オリンピック以前の問題として、こりゃ大事ではなかろうか?
予定地の汚染対策、1000億超も--専門家会議

この前のエントリーでメディアセンターを豊洲に作ったら?なんぞと書いたのだが…
どうやら、問題はそんな呑気な話じゃなさそうだ。

土壌汚染防止法に定められた特定有害物質が、上記記事によれば、土壌からベンゼンが最高で環境基準の4万3000倍、シアン化合物が860倍検出され、地下水ではベンゼンが561カ所(全面積の14%)で環境基準を上回ったという。
で、慌てて土壌汚染対策法水質汚濁防止法を読んでみた。
これは…東京都がやることは、とりあえず当該の土地に立ち入り禁止命令をだすこと、次に汚染された土壌や水の外部への流出防止策をとることではなかろうか?
それは確かに排出者責任という問題はあるだろう。…だろうが、そのための資金貸し出しとか東京都にできることはたくさんあるだろう。

これは築地市場移転云々以前の問題だ。
豊洲を、まず法令基準に照らして安全といえる場所にすること。
それをもって、やっと上物に何を作るかのスタートラインに立てるのだ。
現状ではメディアセンターだって無理だ。

その対策の結果として、もう市場移転に出せる金がないというなら、すっぱり移転を諦めればよい話だ。
また、対策を打ってるうちにオリンピックが…というのは論外の沙汰だ。
どうせオリンピック誘致は困難なのだから招致活動にかける金もこっちに回せば良い話だ。
…だいたい、こんだけ話題になった土地に開催地が回ってくるという考え自体…甘い!

調べていたら、こんなものまで見つけてしまった
築地市場移転について
平成18年2月13日付けの文書
ここには、浄化処理にかかる費用は東京ガスに出させると書いてある。
ほぉ…1000億円超を民間企業に出させるのか…東京ガスのガス料金が高くなるな…

参考リンク:Gazing at the Celetial Blue
各種報道がまとまってます。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年5月18日 (日)

死語?

「直打ち」:パソコン通信の掲示板の記入欄に、自分の脳内の思考を直接タイプすること。これは自分の主張という結果のみを一方的に言い募ることにつながりやすく、その思考過程がそれを読む人には見えにくいことから、往々にして掲示板の持つ対話機能を否定することになるため、基本的にマナー違反とされる。

これ、その道の先輩からよく言われたことなんだよねぇ…。ネット上に出すテキストは発酵熟成してから出せ…ってね。
…まぁ、私の場合は発酵ではなく腐敗だともよく言われたけど。

でも、昨今の立ち回り先を見ていると、どうも直打ちが一般的みたい(特にコメント欄は)。
どうやらこの言葉は死語となったようだ…が、それで良いのかなぁ…と考えてしまう。

まぁ、相手は直打ちで入って来たにしても、それに直打ちで答えるのはどうかな?と思うのだ。
自分がやった直打ちの場合を思い出すと、やっぱり相手への感情、それも負の感情がむき出しになるのだな。これをまともにやり返すと本当に泥沼になる。
相手にも同じことをすることで、相手に非を気付いてもらおうという心遣いのつもりかもしれないけど、はたからみていると「やられたらやりかえせ」にしか見えない場合が多いのだな。
なんかそういうのって、息苦しい。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年5月11日 (日)

ビフテキの話

ビーフステーキというものを初めて食べたのは20代後半になってからだった。
はっきり言って…不味かった。どんな味だったかというと…ものすごく青臭くて、かつ肉は硬くて…ナイフで切るのにまず一苦労、顎がくたびれるまで噛んでもまだ噛み切れず飲み下すまでがまた一苦労。

まぁ、「レア」なんて恐ろしくて注文できないような衛生環境と脅かされた場所だったし、その周辺で見かけた牛(生きているの)は、日本のテレビ番組などで見るようなふくよかなものじゃなくて、あばら骨がくっきりはっきりと見える牛ばかりだった。当然育て方も日本で食用に供されるものとは違っていただろう。牛肉の味はえさによって大きく変わるものらしいし。
ただ…ねぇ、そちらの方が育て方としては自然だったように思うのだな。絶対に専用の飼料は使ってないような土地だったから…。そのあたりの草を適当に食わせて、大きくなったら食肉用に売ってるような雰囲気だった。
…で、その土地でポークステーキを食べたら…これが美味しかったのだ。
以来、私の脳内には豚の方が美味しいという観念がこびりついている。日本じゃ一般に牛の方が高価だから、それでOK(笑。

…こんな与太話をアップするのは、日本の食用肉って、とっても手間と金をかけているんじゃないかと思うから。さっきポークステーキが美味しかったと書いたけど、その土地でも豚はかなり管理されて育てられていたから…実際、豚の方が高価だった(需要と供給のバランスも大きいだろうけど)。

でね、手間に見合った価格で供給されて、かつ、それが容易に入手できるような経済状態なら問題は少ないんだけど、そうじゃなくなったら…という不安が拭えないのだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月10日 (土)

海豚の話

海豚=かわいい!・殺すなんて許せない!という人は、以下読まない方が良いでしょう。

前の記事から、食べ物つながりでの海豚の話。

子供の頃、口にする畜肉というと海豚だった。
理由は簡単、安いから…。
学校の給食では鯨肉が多かった…この理由もおそらく同じだろう。
霜降りの牛肉なんてとんでもない、豚肉だって滅多にお目にかかれない高級食材…そんな時代があったのである。そんな時代、海豚は魚網を破る「害獣」として捕獲され安価な食材として市場に出ていた。
あるとき、ある種の団体がその漁の現場に乗り込んで妨害をした。彼らの言い分が後日報道され、その言い分にカチンと来たのを覚えている。

彼らの言い分:海豚は知能水準が高い高等生物であるから、殺してはならない。

カチンと来た理由:
・海豚の行動による漁業被害の補償について何も答えてない。
・回りまわって…自分たちが肉を食えなくなる。
・海豚は高等生物っていう物言いに、物凄い選別・差別主義を感じた。

今、海豚を積極的に食べようとは思わない。
しかし、当時感じたことは今でも有効…のような気がする。

現在漁業被害への対案として具体的になっているのが、海豚を食料資源から観光資源へ転換することである。また、豚や牛の値段も、当時と比べ相対的に安くなり、容易に入手できる環境にある。
これらは経済的に豊かになることで得られたものと考えて良いだろう。>経済的に余裕ができたから観光産業が成り立つので、お客が来ないことには観光は産業として成り立たない。また、豊かになったからこそ家畜の価格が相対的に安く感じられる。
そういうふうに環境が変化することで、3番目のカチンにも正面からぶつからなくてすむようになった訳だ。…牛や豚は高等生物じゃないのか?って問題も、おめぇらに言われる筋じゃねぇってことになるのだし(少なくとも同水準での原罪みたいなものだ)。

さて…環境は変化するものである。これまでは都合の良い方向へ変化してくれたからいい。しかし、昨今不景気である。牛や豚の安定生産の基礎には安価な輸入飼料の存在が欠かせなかったと考えるが、これもバイオ燃料やら原油高騰やらでそろそろ怪しい。そうなったときに、海豚を再び食用に捕獲することが無いといえるだろうか?私にはいえない。
そのときに、また同じ言い分で海豚を食うとは何事だと言われたら間違いなく…切れる。

何故か…。それは相手の言い分が感情だからだ。
3番目のカチンの理由もそれだ。「高等」<->「低級」の線引きの根拠を示すことなく、ただ「海豚は高等生物」と言い募る行為に嫌悪するのは、それが感情に因るものであるからだ。そして、その感情は、容易に人間という種のなかにも同様の線引きを持ち込むものであるという「事実」があるからだ。
…と、今になれば言える。その頃はただなんとも言いようのない嫌らしさだけを感じていたのだ。

彼らが海洋資源の再生可能性を根拠にしていたら、これほどまでにいやな記憶として残りはしなかったと今にして思う。

そういえば、「環境保護」と「動物愛護」は往々にして対立するものだそうだ。
これも「環境保護」が科学的アプローチをするのに対し、「動物愛護」は感情からのアプローチに陥りやすいため…と誰に聞いたんだっけかな。まぁ、環境保護のためには人為的に淘汰することも必要になるのだから、安直な愛護精神では対応できないよなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 7日 (水)

築地市場移転?

毎日新聞から…
東京・築地市場移転:豊洲新市場建設予定地、4万倍ベンゼン検出--都調査

昔、とある海岸沿いの民宿での笑い話…
東京から来たお客さん。「活きのいいマグロやトンカツが食いたい」
民宿の主「こんな地魚の美味しいところへきて、わざわざ東京(築地)から来たマグロやとんかつを食べたがるのかねぇ」
まぁ、これは笑い話で済む。

だが、リンクした先の記事を読むとのんびりとしてはいられない。
「頼むから東京市場に出さない魚を食わせてくれ」
ということになるだろうなぁ…。

大体、築地を移転してその跡地をどうするのか?
都の計画では来るべきオリンピックのメディアセンターなるものを建設するそうだが、そもそもオリンピック誘致ができなかったらどうするのか?
誘致が失敗したとしても、メディアセンターは有効に機能する…として、それが築地である必要がどこにあるのか?
むしろ、豊洲の方がメディアセンターの立地としては好ましい気がする。
メディアセンターと称する以上、通信網の整備は必須となるが、この点で最寄のNTT局はどちらがどのくらい近いか<この場合、NTT局の拡張余地も考慮に入れなければならないので、詳細は検討できない。ただし、推論はできる。銀座から築地までの立地の混み方と豊洲周辺の立地…双方のNTT収容局規模は素人にはわからないにしても、回線設備の新規敷設を見越した場合、明らかに豊洲の方が有利に思える。
…え、ニュース記録の配送に交通渋滞があったらまずいだろうって?あのですね、日韓ワールドカップは光ケーブルで各競技場とTV局の間を(中継センターはあったけど)結んだんですぜ。日本の通信基盤をなめちゃいけませんな。

食い物を大切にしなさいって、よく言われることだよね。
それを冒頭に挙げたような土地で扱うってことは、食べ物を大事にしてないってことにつながるような気がしてならないのだな。
Wikiで調べたら、築地市場って70年を越す歴史があるんだってね。
ある意味、枯れた土地だよね。
それを、毒物で汚染された土地に移転するって…しかもその跡地には食べ物とは無縁な設備を作るんだって…なんか倒錯している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 6日 (火)

憲法前文読み比べ

あるところで、日本国憲法と自民党改憲草案の前文を掲載してあった。

憲法前文とは、憲法の解釈において基本となることを要約したものである。
というわけで、改憲草案の方を私流に注解してみることとする。

-----自民党 案-----
前文

 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

 象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。

 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。

 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
------ここまで------

…さて…

>日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

何故憲法を書き換えるのだという理由が、まったく説明されていない。
あのな…どんな法律だって、日本国民が主権者として制定しているのだぞ。
そのために立法府の議員を選挙で選んでるんだ。議員はその権能を委任されているだけだ。
法律の上位・下位の概念がわかっていないことを最初から露呈している。

>象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。

普通の会話・文書で物事を列挙する場合、重要なものから始めるものである。
さて…天皇制を最初に持ってきてますね。接続詞「また」はこの場合どういう使い方なのかなぁ?
どう解釈しても
(象徴)天皇制の維持≧国民主権・基本的人権の尊重・平和主義
という位置づけになりますなぁ…
さらに国民主権に「自由主義」という限定をわざわざつけているという点も胡散臭い。
すなわち、天皇制の維持のためなら国民主権・基本的人権の尊重・平和主義は捨てる可能性をこめているわけですな。

>日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し

出たな ばけもの。
一番問題なのはここである。
憲法をせせこましい「日本」に閉じ込めて、世界の中の日本という視点からの宣言を否定する。
偏狭な「愛国心」全開である。
ここは現日本国憲法前文の生存権について記載してあるところと比較するのが良いだろう。

----日本国憲法 前文より抜粋------
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
-----抜粋終わり-------

「全世界の国民」ですぜ。独り日本国なる制度に留まらず、全世界にまで普遍すべく書かれているのですぜ。改憲をいうなら、これを超える論理を提示して欲しいものですな。
こんな偏狭な精神世界を陳述しているから、後段の平和主義が色あせてしまう。

>日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。

京都宣言を踏まえて書いているものとは思うが、前文に書くほどのことか?
逆に、これさえしていれば良いのか?
現日本国憲法の前文末尾と比較してみよう。

----日本国憲法 前文より抜粋------
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
-----抜粋終わり-------

改憲草案の薄っぺらさが際立つなぁ。

最後に、改めて現在の日本国憲法前文を…前出改憲案と読み比べ、格調高い文章である。

------日本国憲法 前文(1947年施行)------
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
------------------------------------------

現行憲法と改憲案の読み比べをするための参考URL
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/jiminkaikenann.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »