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2008年5月10日 (土)

海豚の話

海豚=かわいい!・殺すなんて許せない!という人は、以下読まない方が良いでしょう。

前の記事から、食べ物つながりでの海豚の話。

子供の頃、口にする畜肉というと海豚だった。
理由は簡単、安いから…。
学校の給食では鯨肉が多かった…この理由もおそらく同じだろう。
霜降りの牛肉なんてとんでもない、豚肉だって滅多にお目にかかれない高級食材…そんな時代があったのである。そんな時代、海豚は魚網を破る「害獣」として捕獲され安価な食材として市場に出ていた。
あるとき、ある種の団体がその漁の現場に乗り込んで妨害をした。彼らの言い分が後日報道され、その言い分にカチンと来たのを覚えている。

彼らの言い分:海豚は知能水準が高い高等生物であるから、殺してはならない。

カチンと来た理由:
・海豚の行動による漁業被害の補償について何も答えてない。
・回りまわって…自分たちが肉を食えなくなる。
・海豚は高等生物っていう物言いに、物凄い選別・差別主義を感じた。

今、海豚を積極的に食べようとは思わない。
しかし、当時感じたことは今でも有効…のような気がする。

現在漁業被害への対案として具体的になっているのが、海豚を食料資源から観光資源へ転換することである。また、豚や牛の値段も、当時と比べ相対的に安くなり、容易に入手できる環境にある。
これらは経済的に豊かになることで得られたものと考えて良いだろう。>経済的に余裕ができたから観光産業が成り立つので、お客が来ないことには観光は産業として成り立たない。また、豊かになったからこそ家畜の価格が相対的に安く感じられる。
そういうふうに環境が変化することで、3番目のカチンにも正面からぶつからなくてすむようになった訳だ。…牛や豚は高等生物じゃないのか?って問題も、おめぇらに言われる筋じゃねぇってことになるのだし(少なくとも同水準での原罪みたいなものだ)。

さて…環境は変化するものである。これまでは都合の良い方向へ変化してくれたからいい。しかし、昨今不景気である。牛や豚の安定生産の基礎には安価な輸入飼料の存在が欠かせなかったと考えるが、これもバイオ燃料やら原油高騰やらでそろそろ怪しい。そうなったときに、海豚を再び食用に捕獲することが無いといえるだろうか?私にはいえない。
そのときに、また同じ言い分で海豚を食うとは何事だと言われたら間違いなく…切れる。

何故か…。それは相手の言い分が感情だからだ。
3番目のカチンの理由もそれだ。「高等」<->「低級」の線引きの根拠を示すことなく、ただ「海豚は高等生物」と言い募る行為に嫌悪するのは、それが感情に因るものであるからだ。そして、その感情は、容易に人間という種のなかにも同様の線引きを持ち込むものであるという「事実」があるからだ。
…と、今になれば言える。その頃はただなんとも言いようのない嫌らしさだけを感じていたのだ。

彼らが海洋資源の再生可能性を根拠にしていたら、これほどまでにいやな記憶として残りはしなかったと今にして思う。

そういえば、「環境保護」と「動物愛護」は往々にして対立するものだそうだ。
これも「環境保護」が科学的アプローチをするのに対し、「動物愛護」は感情からのアプローチに陥りやすいため…と誰に聞いたんだっけかな。まぁ、環境保護のためには人為的に淘汰することも必要になるのだから、安直な愛護精神では対応できないよなぁ。

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