« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »

2008年6月

2008年6月29日 (日)

エコなら地産地消だろう

なんか、書きたいことはいろいろあるけどどうもまとまらない。
という言い訳は置いといて(/_;)

コンビニの営業時間短縮でCO2削減だそうである。
言いだしっぺは京都の方らしいのだが、東京・神奈川の知事さんたちも乗り気らしい…。
…まぁ、彼等らしいっちゃ、それまでなんだけど…

違うだろ!

どうやら、首都圏の知事までになられる方は「理科」や「社会」のお勉強が済んでないみたいだ。

・大規模発電所、特に原子力発電所は何故か首都圏から離れたところに立地されている。即ち、送電損失が生じているのだ…オームの法則「W=R×I×I」を知ってりゃこれくらいは分かるだろう…。
・ピーク電力は真夏の平日の日中帯にあることを知らないらしい。オフィス・工場の空調がピーク電力を押し上げているのだ。そして、一時のITバブル期に首都圏に作られたデータセンターの冷却需要がそれに加担しているのだ。通信設備もデータ通信需要対策のため、音声通信主体のころに比べ桁違いの冷却需要を生じている。そういう産業構造になったという「社会」への理解が足りない。
・車は急に止まれない…これは発電所も同じこと。需要が減ったら発電機を停めて、需要ができたら発電機を動かすって、そんな簡単に起動・停止を繰り返せるもんじゃないぞ。そんなことしてたら、あっという間に発電機が壊れる。壊れたら交換すれば良いというのはエコじゃない、使い捨て時代の発想だ。
・冷蔵庫は何のためにあるのか?人がいなくっても冷蔵庫や冷凍庫の運転を止めるわけにはいかんだろう。コンビニに入ってみれば冷蔵庫・冷凍庫がどれだけの空間を占めているのか…知事様くらいになると入ったことねぇから、わっかんねぇだろうなぁ。
・コンビニの24時間営業が成り立つのは、需要があるからだ。それだけ、個人の私的生活時間が夜にシフトしているのだ。田舎へ行けば24時間営業じゃないコンビニはいくらでもある。

さて、本題。
省エネとかエコとかいうなら、首都圏の電力需要のピークを削減する(=ピークが削減できて、初めて発電所の稼動が止められる)か、トータルの送電システムで全く無駄になっているところを減らすか…だろう。前者については、産業社会構造の変換を伴うもので、それこそ大規模なビジョンの策定からかからにゃならないし、その過程で試行錯誤が繰り返されるのは目に見えている。
ならば、後者ならどうか?先に述べたように、遠隔地に発電所を設置したときの送電損失は全くの無駄となっている…単純に発熱してるだけだから、地球温暖化におおいに貢献しているともいえる。

極めて乱暴な結論
首都圏でそんなに電気が必要なら、首都圏に発電所を作れということだ。
なんなら田園調布の都知事宅の周辺を買収して(強制収用の好きな知事様だし)原子力発電所を作ればよい。まぁ原子力発電所は後々面倒だから、それは冗談として…。
発電所を作る場所が無い?…なにをおっしゃる、あるじゃない。…さて、電力需要のピークはいつだっけ?夏の日中帯=お日様がギラギラ輝いているときだ。これを使わないという法はなかろう。都庁の壁、あれを太陽光発電パネルで覆う。丸の内や汐留のオフィス街、あのビルの壁面を同様に処置する。お日様の輻射熱が入らないから、冷房に要するエネルギーも減る。一石二鳥だ(笑
…ここでは、労働安全衛生法の規定や建築基準法の規定は無視している。もちろん、発生した電力を売電するために必要な位相同期等の技術的問題も無視している。しかし、「コンビニの営業停止=エコ」よりは乱暴な議論ではないと思う。

補足
コンビニの24時間営業を全面的に肯定しているわけじゃない。そこで働く人たちの労働環境がどうなのか、どうあるべきなのかという事についての議論は未だこれからだと考える。ただし、それを捨象して「エコ」を振りかざすのは如何にも乱暴な議論だと思うのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2008年6月20日 (金)

息抜き

中島みゆきさんの新DVD歌旅-中島みゆきコンサートツアー2007-が届いた。
初回限定豪華函入りである。

見てみる………

すげ…

「夜会」では、DVDとライブは別物と聞いてはいたけど…
もう、完全に別物。
コンサートツァーの、特定のある日のステージを撮ったものではない。
コンサートツァーという長い日々を一つの作品として捉えて映像化したものというほうが適切だ。
それは正に「中島みゆき」の歌の世界である。

「ライブだぞぉ、コンサートだぞぉ(^^♪」と思っていたら、オープニングの映像から大間違い。
きれいな、そしてどこか懐かしさを覚える屋外の景色が広がる。

曲と曲の間に、モノクロで挟まれる光景…さりげなく挿入される屋外の光景がいい。
ただのメイキングビデオではありえない、ロケハンを重ねて計算されつくした映像がそこにある。
そして、ステージには立つことのない裏方さんたちの景色がいい。
ツァートラックの後部を掃除している人(運転手さんだろうか)が、自分を撮影していることに気付かず通りかかった人と談笑している映像・舞台の建付けを一歩一歩踏み込んで確認している大道具さんの背中…こんな映像がさりげなく入っている。

ステージの映像は、あくまでも楽曲のみに徹している。みゆきさんの独特のオープニング「なっかじまみゆき_でぇす(どっから声が出てるんじゃ?)」も出てこない。もちろん紅白の裏話その他観客を和ませるあの名調子は出てこない。唯一の例外は、エンディングの「重き荷を負いて」の前に語られるお土産言葉
「同じ時代に 生まれてくれて ありがとう」
という静かな語りだけである。
観客の姿も楽曲の場面ではほとんど出てこない。ほとんどが楽曲の最後の拍手だけである(例外はアンコールの最後…正真正銘最後の「背広の下のロックンロール」だけ)。そして、あれだけの拍手の波を、この映像ではさざ波に抑え込んでいる…録音・編集に投じられたパワーの凄さを感じる。

そして、圧倒的なエンディングロール。
夜会のDVDでもそうだけど、アシスタントとか裏方の人たちの名を(たぶん)全部入れてる。
だから、長い。長いけれども、それがみゆきさんの歌の世界である。これを省略するような人の歌なら、私もこんなにのめりこまなかったと思う。
そして、エンディングロールの背景に出てくるのが…観客であり、街を往く人である。
それは、このコンサートツァーが誰によって成り立っていたかを黙示的に語りかけているのだと解釈する。すなわち、このコンサートを作ったのは「製作スタッフ」だけではなく、いわんや「中島みゆき」という存在だけではなく、コンサートチケットを買って入場した観客を含めた、この世界があったからだというメッセージだと考える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月15日 (日)

思いっきり変

あの事件の報道スタンスについて思う。
思いっきり変だ!

なんで民法上成人と規定される個人の起こした犯罪について、親が糾弾されなくちゃならないのだ?
というあまりにも基本的な点はもちろんなのだが、一部の政治家がポツリポツリと漏らしている言葉にこそ、報道が深くかじりついて広めなきゃいけない点があるのではないか?

事件の普遍性の有無・再発防止に向けて報道が取りうることとはなにか、その点に思いをいたすとき、原因を個々の特異性に求めていけば、「(事件の普遍性は)無かったことになる」。そして、また似たような背景を持った事件が繰り返される。

与党の閣僚級も「これはまずい」と感じ始めているわけだし、報道だってそこに気がつくセンスはあるだろう。
まぁ厚生労働相の発言は、官僚が書いた原稿だろうけど、そういうことに気が回る官僚がいるというのが救いだし、報道もそういう官僚をソースにして記事を書けばいいじゃないか。
少なくとも私はそういう報道を期待しているのだが…

| | コメント (0) | トラックバック (1)

なんか変

その一
腹減った…インスタント食品を開封しようとして、ひょいと表示に目がいった。
「本品の原材料には下表の内、枠内が■で塗られたアレルギー物質が含まれています」
で、延々と材料名が書かれている。

・小麦
・そば
・卵
・乳成分
・落花生
・豚肉
・鶏肉
・牛肉
・いか
・えび
・かに
・さけ
・さば
・いくら
・あわび
・魚介類
・やまいも
・くるみ
・まつたけ
・りんご
・オレンジ
・バナナ
・もも
・キウイ
・ゼラチン

食物アレルギーが大変な結果を引き起こすというのは聞いていたけど、ここまで表示しなくちゃならない世の中になったのだなぁ…。
んでもって素朴になんじゃこれは?と思ったのだが…
烏賊、海老、蟹、鮭、鯖、いくら、鮑って「魚介類」じゃないのか?
魚介類一般でくくったら海産物は概ねNGだろうから、ちょっとこの括りは大雑把に過ぎて拙いんじゃないかと。

その二
タバコをまとめ買いするとライターがついてくる。最近は燃料の再充填が可能なものがついてくるようになった。おかげで部屋に燃料切れのライターが散乱するようになった。…使い捨てライターだったら燃料が無くなってから分解して、燃えないごみに出していたのだが…なまじ再利用可能だと判っているとなかなか捨てる気になれない<単に貧乏性(^^ゞ
…まぁ、これは禁煙すればいい話ではある。問題は私がニコチン依存症にかかっているだけである。

その三
どっかの自動車会社が「エコのために車を買い替えましょう」って宣伝をしていた。
素朴な疑問として、そこまで言うなら、その会社の製品は全部受注生産にしないと辻褄が合わないはずなのだがどうもそうではないらしい。車一台生産するために使われているエネルギーは、ユーザーの手に渡ってから消費されるエネルギーと比べてどうかという話だ。んでもって流通ルートには在庫があるというのは、生産に要したエネルギーの無駄ではないか…と。
いやまぁ、その会社が低年式(低燃費)の車と新車(高燃費)を無償交換してくれるっていうなら話は別だけど…そんなことはないよね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月14日 (土)

民主党HPへ投稿してみた

前原という幹部が自党の政策を非難した云々とそれに対抗した同党シャドーキャビネットの閣僚という話を見たので、ちょっと民主党のHPを覗いてみた。「ご意見・ご感想」というコーナーがあったので、ちょっと書き込んでみた。書き込んだときの自動応答メッセージはいろんなところで見かけていたので、特に不審はなかったけど、翌日「ご意見メール担当」という方から改めてメールが届いたのにはちょっとびっくり…一応担当者が見てるのね。組織が機能してるのねと、ちょっと見直した。つぅか、政党へのメールなんて初めてやったもので他党がどうかはよく判らない…自民・公明・共産なら同じ対応がありそうだけど、社民は懐が寂しそうだからなぁ…多分できないんじゃないかな?
もっとも、自民・公明・共産には、あたしゃメールなんぞするつもりは無いけど(個人情報をどう扱うか知れたもんじゃないという不信感がぬぐえないのだ<この3政党の場合)。

日ごろの鬱憤が溜まったら、こういうところへ投稿するのもありかな…先様の担当者には迷惑な話だろうけど。

今回書き込んだのは以下の内容…ネグられても無理はないけど、マエハラからオザワに代わって、さらに時代がこうなってきた今、ほんの少し位は期待したいから。

------------------------------------------------

所謂無党派層に属するものとしてお願いいたします。

貴党の掲げる「国民の生活が第一」というスローガンに条件付で賛同いたします。
条件付と申し上げた理由は以下の通りです。

1.国民の中のどの階層の生活を第一に考えておられるのか?これまでの小沢代表のご発言からは「下から数えて多数の国民の生活を優先して考える」と理解いたしましたが、「国民」一般ではその点が曖昧になるような気がいたします。

2.そのスローガンを具体化する上で、どこに財源を求めるのか?という点が曖昧です。国民下層の生活がもはやぎりぎりのところまで追い詰められて、なおかつ、国債発行残高が巨額に及ぶという苦しい国家財政上どこかに犠牲を求めなくては済まないと考えます。この国民生活と国家財政の双方の建て直しのためには、税制の直間比率において間接税収への依存度を高めるのは困難ではないかと考えるのであります。むしろ、直接税の比率を高めるべきではないか、端的にいえば法人からの税収のあり方の見直し、特に消費税の戻し税のあり方の見直しが必須ではないか。あるいは、所得税における累進税率の見直し、これは間接税では捕捉しきれない高額所得者への課税上限の引き上げを検討するべきではないか。

3.国際社会の中で今後日本の生きる道はどこにあるのか?これだけ国民下層の生活が苦しくなってまいりますと、働き場を海外に求める方向も模索されなくてはならないと考えます。このとき、私たち日本国民が海外諸国のなかで平穏に生活できること、即ち平穏に現地社会に受け入れてもらえることが必要となります。この点において、海外諸国と協調できる外交が求められると考えます。

上記3点は、必然的に現与党である自民党・公明党の行ってきた諸施策を逆転させることになります。
これらの点を明確にすることで、初めて国民生活第一というスローガンが実現可能となるものと愚考いたします。
なお、貴党の内部に上記の施策には反対する方がいらっしゃることは承知しております。例えば、前原氏(彼が代表のとき、私は明確な反民主でした)、XX氏、YY氏等々。それが私の貴党への支持が「条件付」の所以でもあります。場合によっては、彼らと決別することも、私のような無党派層を確固たる支持層に変換する上で必要であることをご検討いただければと存じます。

------------------------------------------------
投稿時にはXX、YYには同党有力者(国会議員・県知事)の名前を入れました。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008年6月13日 (金)

原因は一つだけなわけがない。

人間は、生き物である。
一定の規格で大量生産される工業製品ではない。
だから、人間は一人一人がそれぞれに違っている。得手不得手もある。それを個性と呼ぶ。
社会はその個性の集合体である。

特定の個性が、社会の中で問題と看做される行動を起こした時…その個性を否定するだけで話は済むのだろうか?
その個性の特殊性を殊更にあげつらって、その問題は片付くのだろうか?
他の個性が同様の行動を起こさない保証はどうやって見つけ出せるだろうか?
その個性が具体的な行動を起こすに至る経緯の中から、普遍的な要素を拾い出しその要素についての対策を講じることが、その社会の安定性を維持することにつながるんじゃなかろうか?

疑問符ばっかり並んだな(苦笑

でもね、そういう疑問を抱かずにいられない今日この頃なのだ。

たまたま事件が起きた…大抵の人間はそういう事件を起こさないで生きている、だから彼は特殊なのだと言い募って何が改善できるのだろうか。無論彼が取った行動は、集団を維持していく上での各個性が共有するべき概念に反するものだ。しかし、その行動の原因は彼・彼の家族といった狭い範囲に限定されるものだけではないだろう。誰もが抱えうる原因だってあるんじゃないか?それが偶々その個性には耐えられないものだったのかもしれない。
誰もが抱えうる(=共有している)問題点を潰していくことがこの社会をより良い方向へ導くことじゃないかなと思うのだ。

(冒頭に戻る)
工業製品でも規格外の品物が製造されてしまうことはある。その場合、その品物は欠陥品と呼ばれ排除される。
しかし、人間は工業製品ではないのである。規格外だからといって排除してしまっては、人間の社会から進歩が無くなる。それは社会の死につながる。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年6月10日 (火)

だからといって検閲が許されるわけじゃない

こういう話があると、必ずと言っていいほど出て来るんだが…

毎日新聞から
魚拓の取り方がわかんないんだけど、これはマヅイと思うので…
----------------------------------------------------
東京・秋葉原通り魔:有害情報規制に努力--増田総務相
 東京・秋葉原の通り魔事件で、加藤容疑者が事件までの経緯を携帯電話サイトの掲示板に書き込んでいたことが、10日午前の閣議後の閣僚懇談会で取り上げられた。

 石破茂防衛相が「犯行予告が出ている。技術的に察知してアクションが取れないのか」と指摘したのに対し、増田寛也総務相がネット上の有害情報の規制策について「努力してみる」と応じた。また、泉信也国家公安委員長は「情報を入手できるように、警察庁が9日付でインターネット接続業者に通達した」と説明した。

 渡海紀三朗文部科学相は閣議後会見で「今の子どもはキレるといわれるが、脳科学で解明したい」と述べた。近く発足させる発達と徳育に関する調査研究会で、幼児期の脳の働きと行動について解明に乗り出す。

毎日新聞 2008年6月10日 東京夕刊
----------------------------------------------------
だ・か・らぁ…
確かに今回の事件は悲惨なものだったが、それを利用して検閲行為を正当化するのは許されない

この事件に限らず、問題の解決方法は原因を探んなきゃ出てこないんだってば。
原因に触れずにビッグブラザーを気取っても、所詮「臭いものに蓋」でしかない。
臭いものに蓋をしてたら、そのうち発酵で発生したガスで入れ物が破裂するぞ。
元を断たなきゃダメってCMが昔あったでしょ?

| | コメント (3) | トラックバック (1)

秋葉原の通り魔殺人事件の報道に思う

お亡くなりになられた方に哀悼の意を表し、怪我をされた方の一刻も早い回復をお祈りする。

この事件の動機については、警察の捜査~送検~裁判の過程でおいおい明らかにされるだろう。
動機を解明した上で、本当の意味での再発防止策を講じる必要がある。
あえて「本当の意味での」と記した。
気になるのは、報道内容が時間を経るうちにおかしな方向に変化しているからだ。

当日の夕方のTV報道(NHK・TBS)では、おおまかな住所と職業・それを取っ掛かりにした周辺取材だった。
そこで明らかになったのは人材派遣で工場に勤務・住所は派遣会社の法人契約で大家も入居人について具体的なことはよく判らないという情報だった。
それが深夜のニュース番組(日テレ)では…派遣社員だったということは完全にスルーし(当然派遣元・派遣先の会社名や仕事の内容は全く無し)、いきなり中学校の文集が飛び出してきて、そこのイラストに描かれている剣に注目。
まぁ、よくあるパターンの報道ではある。…あるが、そこに悪意を感じる。

派遣労働という雇用体系の内包する問題点は、近年各社の報道により明らかにされつつある。
容疑者の動機を探ろうというのなら、彼の直近の過去から追っていくのが普通ではないか?
直近の過去の容疑者の言動や彼の置かれていた環境を取材し、それが何故なのかを掘り返すのが報道じゃないのか…と。
そうやって辿りついたところが中学校の文集だったというのなら、それはそれでよいが、今の時点でそれは走り過ぎだろうと考えてしまうのだ。

新聞はどうだろう
毎日によると、
------------------------------------------------------------
工場での担当は塗装ライン。月曜から金曜の週5日勤務で1週間交代で日勤と夜勤についていたが、勤務態度はまじめで、公休以外は休まなかった。時給1300円で月約20万円の収入があった。契約期間は今年3月31日までだったが、1年間更新されていた。

 派遣社員を6月末で200人から50人に減らす計画があったが、加藤容疑者は、自分が対象ではないことを派遣会社から知らされていたという。

 一方で、加藤容疑者は5日の始業直前の午前6時ごろ「自分のつなぎ(作業着)がない」と大声を出して騒いだため、同僚がリーダーに報告。リーダーが駆けつけたときには、姿を消していた。

 この日、加藤容疑者が「犯行予告」をした携帯電話サイトの別の掲示板に「作業場行ったらツナギが無かった 辞めろってか」(午前6時17分)▽「やっかい払いができた会社としては万々歳なんだろうな」(午前7時44分)とあり、午後零時5分には「『誰でもよかった』 なんかわかる気がする」との記述もあった。つなぎのくだりは、加藤容疑者が騒いだ時間と近接しており、加藤容疑者が「解雇された」と誤解して書き込んだ可能性もある。また、「やりたいこと…殺人」などの記述もあった。

 加藤容疑者の裾野市富沢の自宅は人材派遣会社借り上げの4階建てワンルームマンション。3階に1人暮らしをしていた。管理会社によると、04年12月から派遣会社が32部屋のうち5部屋を借り上げている。入れ替わりが激しく、加藤容疑者の居住は把握していなかった
------------------------------------------------------------

もう、ここだけで素人の私にも3点掘り下げ取材してもらいたい対象が指摘できる。
その1
工場のラインの仕事では、基本的に残業は無い。その点は記事にある時給と月収からも推定できる。
※ 月収÷時給÷8(時間/日)≒20日
そこから、家賃や保険料・税金等々引かれたら…手取りは幾らだ?
その2
減員計画の存在…。
これは、当座は対象外としても、当人にはかなりのプレッシャーだろうと想像がつくのだが…
大体、長期にわたる派遣の場合は派遣先が正規雇用するのが本来の人材派遣のありかたであり、正規雇用を抱えないようにしたい経営者団体が色々な圧力をかけて立法趣旨を捻じ曲げてきた経緯があるわけだ。よって、減員計画がどのようなものだったのかという点も…読者としては知りたいのだな…減員といいつつも、派遣社員から正社員への変更による派遣者数の減員だったりしたら、さて、どうだ?
「減員の対象外=正社員になる機会の先送り」という解釈も成立するわけだ。
その3
入れ替わりが激しく、容疑者の居住は把握していなかった。
これって…飯場の現代版と違うか?更に言えば、仮に派遣先企業への派遣社員専用で準備されていたとしたら、その派遣先での労働がかなり過重な(だからしょっちゅう辞めていくし、そこへ補充が頻繁に入る)ものだったとも推定される。

以上の3点は個人的な疑問である。が、それを解く事はこの事件の本当の再発防止策につながることだと思う。なぜなら、彼が「世の中が嫌になった」原因を解くことこそが本当の再発防止策だと思うし、彼が「世の中が嫌になった」と考えるのも無理は無いかもしれないと思える種が上記報道に含まれているからだ。

但し、いくら世の中が嫌になったからといって無関係な他人を殺すのは話が別だ。
思いを表現する方法・思いの向け先…両方とも間違っている。
容疑者もそんなことは百も承知の上だったかもしれない。威圧だけで上下関係を維持しているのなら「言っても無駄だ」との思いに陥ることは私にだってある。
でも、やはりそれは駄目だ。言っても無駄な関係を言えば稔りのある関係にしていく…これは立場上相対的に強い側が意識しなきゃだめだ。

| | コメント (5) | トラックバック (2)

2008年6月 3日 (火)

方言

例えば
「われ」という人称の表現…
これが専ら一人称として用いられる地方と、二人称として用いられる地方がある。
(後者の場合、「なれ(汝)」が訛ったのかもしれないが、詳細は知らない。)

で、「『われ』を嘲笑う」表現を聞かされた場合、前者と後者では当然聞いたほうの反応は異なるものとなる。
前者の場合は、話し手が自嘲しているものと理解するから、喧嘩を売られたとは思わない。後者の場合には学校教育等の機会により「われ」が一人称の場合もあるということを承知しているので、まぁ大事にはならない。
いずれにしても、同じ発音でも異なる意味があるということを前提としていれば、その違いを超えて理解する努力が可能になるだろうという話ではある。

ネットを徘徊していると、どうもこの点に思いがない人がいるようだ。で、言葉の違いを乗り越えようとして言葉の意味を確認しようとすると怒り出す…始末に悪い…。

最近とあるところで、そういう人を見かけてしまった。
はっきり言うと、方言が自分の言葉と異なることを承知で乗り込んできて、そこで使われている言葉が自分の知ってる言葉と違うと駄々をこねられても、困るのだな。
言葉が違うと判っているなら、違いをきちんと理解しようとすれば良いのに…そこの方言を使っている人たちも一所懸命彼にその違いを教えてあげようとしているのに…。

…ツラツラ考えるに、こういう人たちって、まともな教育受けてないんじゃなかろうか?
人を蹴落とすための手段を得るのが教育って思ってるんじゃなかろうか?
「自分が人を蹴落とす可能性⇔誰かに蹴落とされる可能性」という自意識が、ああまで駄々をこねさせるのだろうか?

本当は気の毒な人なのかもしれない…が、しかし、彼が「多数派」じゃ困るんだよ、こちらが。
そんな殺伐とした世界は、リアルの世界だけで十分なのだ。
それとも何か?彼はリアルの世界がどれだけ残酷なのかをわかってないのか?
これだけ情報の溢れる世界で、それはただの○○だ。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

« 2008年5月 | トップページ | 2008年7月 »