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2008年12月17日 (水)

夜会vol.15(四)

-承前-

前がえらく長くなってしまった(^^ゞ
…ほとんど力尽きた。記憶もだんだん薄れてきた…端折ろう;;
乞う DVD発売。

<登場人物は各場について最初だけパンフレットに書いてある通りに書きました。とはいっても、その場に登場した人物が本当にその登場人物だと言いうるのかは自信ありません(特に、安寿と厨子王)。その他の文中は適当に略します>

【承】水族館
舞台:水の底の水族館
登場人物:暦売り、水族館の飼育員(姥竹)、脱走した花嫁、左官、安寿、厨子王
時間設定:不明(おそらく現代)

ここは「リセットしたはずの過去」の溜まり場。弟を縁切りした安寿がたどり着き、安らけき寿を捨てた花嫁が飛び込んで来、そして愛する家族をうまうまと奪われてしまった母が潜む、そういう「リセットしたはずの過去」の澱みが水族館の魚たち。

非常に抽象化されたビニール風船のような魚たちが吊るされている。
中央の舞台は、やけに古ぼけた感じの壁。その壁に取り付けられた扉をヨッコラショという感じで開いて、暦売りが入ってくる。えらく疲れた感じ。
この時に流れる暦売りの歌、如何にも疲れたぁ…という感じが出ている。一幕目の暦売り登場の場面と、大きく違う。(一幕目の暦売りは、さぁ仕事するぞぉ(^^)/という感じ、ここでの暦売りは仕事が終わらねぇ(;O;)という感じ…で)
暦売りは履いていた藁靴を脱ぎ棄てて、ひとしきり愚痴る。ここで藁靴というところがポイントの一つ、山椒大夫では、安寿が入水した沼のほとりに藁靴が一足残されていたとある。したがって、ここでの暦売りは安寿の姿とも見える。
愚痴を終えたのち、幽霊交差点を歌いながら、魚たちと戯れる。この歌、トーンはまったく異なるが心守歌 に収録されていたあのバスにを思わせる。
音楽がいきなり変わり、飼育員登場。魚たちに餌を与え始める。暦売りにも餌の魚を押し付ける。
飼育員の目には、暦売りも他の魚たちと同じ存在に見えるのだろう。この飼育員は次に出てくる脱走した花嫁にも同じように接する。花嫁は嫌がって逃げるのだが、飼育員はしつこく追う。
そう、ここは誰かがリセットした過去が集うところであり、その過去が記憶の底から浮かんでこないように、飼育員が抑え込んでいるのだ。
ここでは、暦売りも花嫁も、誰かが封印した記憶だ。

しんみりした気分にさせる進行の中に、突然左官が現れる。それも扉からではなく、屋内消火栓の収納箱から…。左官については、古代官位制度の主典(さかん)との掛詞で、出世した厨子王を暗示している。
で、有機体は過去を食らふの歌の中、舞台の壁や階段に何かを塗りつける。この塗りつけた何かも意味が隠されているのだろうが…。
そして、左官は消火栓に戻っていく。この左官の登場と退出の形から、左官は暦売りや花嫁とは異なる存在であることが覗える。彼はリセットされた過去ではないのだ。
左官が塗り仕事をした面に暦売りが、暦をペタペタと張っていく。流れる歌は私の罪は水の底、ここでいう罪とはなんなのか。リセットされるような過去が罪なのか、それとも過去を忘れ去ろうとするのが罪なのか。
そこへ左官 再登場。先程暦売りが張った紙を見て激怒、「タワケェ」と叫ぶ。…飼育員(姥竹)が、名を呼ばれたと勘違いして登場。ここからの左官と飼育員のやり取りで、飼育員が姥竹であるのみならず、安寿の過去を背負っていることが明らかになる。
ここから、なぜか毬が飛び出し、例によってバスケットボールが始まる。このバスケットには左官、飼育員に花嫁まで参加。しかし、暦売りは参加せず、脇から楽しそうに見守っている。まるで母が子供たちの戯れるのを見守るように。
左官、飼育員、花嫁がバスケットに興じながら場面から去る。
飼育員がいなくなったためか、魚たちも舞台から消える。
そして、消火栓の火災報知機が点滅を始める。これは前幕での縁切寺の炎上に呼応するものと思われる。
縁切寺という過去を呼び寄せる仕掛けが無くなったのだから、もう、過去をつなぎとめておく水族館の役割も終わったのだ。寺の炎上に呼応して水族館も燃え落ちる。
暦売りは逃げ出そうと扉に取っ組むが…開かない。扉に体を寄せて崩れ落ちる暦売り。
そして、鐘の音が鳴り響き、場が変わる。

【転】船
舞台:水の底から水面
登場人物:母、姥竹、安寿、厨子王
時間設定:不明(おそらく平安時代)

この場がどこから始まるかについて、私は鐘の音を切りにしたが、異論はあるはずだ(私も少々迷った)。
リセットした過去たちが水族館から解放され、暦売りだけが取り残されている。
そこへ飼育員・花嫁と左官が登場。
定め書きを読み上げ、厨子王(左官)と安寿(飼育員)の過去の交差点、分岐点となった時間が明らかになる。
そして暦売り(母)にそれを突き付ける。ここで始まる十文字の音楽とともに安寿、厨子王と姥竹は消火栓をくぐりぬけて退場。

一人残された暦売り(母)がほうやれほを歌い始める。
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安寿恋しや、ほうやれほ。
厨子王恋しや、ほうやれほ。
鳥も生(しょう)あるものなれば、
疾(と)う疾う逃げよ、逐(お)わずとも。
-------森鴎外作 山椒大夫 より--------------------------------------

歌の中には、子供たちへの思いだけでなく、旅をするきっかけとなった夫への切ない思いも歌われている。過去への後悔・懺悔に満ちたこの歌…切々と歌い上げるこの歌の最後を、「百九番目の除夜の鐘…」の歌声が圧倒する。
後悔ばかりでは前進しないこと、流れている歴史の中で後悔に囚われ、懺悔するのみでは何も解決しないことを示すかのように、百九番目の除夜の鐘の音の中で、母は倒せ伏す。

そして…ゆっくりと起きなおり
「泥から生まれて 泥になる。
泥を食ろうては 生きてゆく。
誰が悪いじゃないけれど
私は ここにいる」
とつぶやく。ここから紅蓮が歌われる。
誰にも見られない真夜中に紅蓮は開花する。この暗示。後悔や懺悔を乗り越えたとき、初めて人の豊かな一面が開花することの暗示のように…。
母が着ていた着物を一枚脱ぐ、純白の修験者のような衣装。つまり、この脱いだ着物は蓮の華の開花前の固いつぼみか。人を抑圧する後悔や懺悔の気持ちか。

そして…赦され河、渡れが激しい調子で流れ出し、天井から船が下りてくる。場面の照明も一段と明るくなる。
水底から浮き上がってきた厨子王、安寿、姥竹(みんな純白の狩衣姿)が、母の手を借り、水面に躍り出る。
三人とも船に乗り込む。屈託のない解放された笑顔で空を見上げる。

場面の照明が落とされる。赦され河、渡れの歌だけは続いている。

【結】今晩屋
舞台:不明
登場人物:今晩屋
時間設定:不明
用語定義:ステージ=いわゆる舞台、舞台=ステージの上に一段高く設えられた演舞台…これ定義しておかないと、この場の演出が説明しにくい。

物語がハッピーエンドで終わる設定なら、前の場でエンディングのはずなんだが…。

赦され河、渡れの歌に被るように夜いらんかいねが始まる。
今晩屋…この言葉がどうにもわからなかった。しかし、暦売りの役割を考えると、人々がリセットしたはずの「過去」を蓄える存在かなぁ…と。リセットなぞ出来ない過去を…リセットしたはずと錯覚させることで、人々に平安を売るのが、今晩屋 なのかな?
いやいや、そんなもんじゃなさそう。
おそらく、鍵は夜の対価が昼であること。
人は人として生きるうちに、何度か押し殺したい/消し去りたい過去を有するものだ。しかし、その過去は記憶の表層からは消え去ったように見えても、人の記憶の中に澱となって淀んでいる。圧し込めた過去が多ければ多いほど、現在の分岐点において、圧し込めた過去が「あの時 あぁすれば…」という後悔となって甦るのだ。
その後悔は、圧し込めた過去に纏ろう楽しかった記憶とともに甦る。
今晩屋は過去そのものではなく、後悔を、涙を拭い去る商売なのだ。だからこそ、楽しかった過去(昼)を対価とするのだ。

ラストの曲、天鏡がゆったりと始まる。その歌は徐々に力強くなり、朗々と歌い上げられる。
それに合わせ、ステージ一面に水が流れ落ちる。この水は、涙…舞台は涙の中の瞳である。

エンディングの伴奏が流れる中、みゆきさんが膝まづいて客席に深々と頭を下げる。
-幕-

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