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2008年12月16日 (火)

夜会vol.15(三)

-承前-

<登場人物は各場について最初だけパンフレットに書いてある通りに書きました。とはいっても、その場に登場した人物が本当にその登場人物だと言いうるのかは自信ありません(特に、安寿と厨子王)。その他の文中は適当に略します>
【起】縁切り寺
舞台:縁切寺(尼寺)
登場人物:暦売り、縁切り寺の庵主(姥竹)、元・画家のホームレス、脱走した禿、安寿、厨子王
時間設定:現代の大晦日、除夜の鐘が響くころ

場内に流れる鐘の音、照明が落ちてからもざわついていた客席が静まりかえる。
ゆっくりと流れ出す十二天のメロディーの中、舞台の前(袖じゃありませんぜ)に作られた段をゆっくりと上ってくる暦売り。

ここからの口上で、みゆきさんの仕掛け、というか問題意識がだんだん見えてくる。
・時は除夜、大晦日に暦を買う人はいるのだろうか(ここで、「わたしゃ買いますよ。安売りしてるから」と御考えの貴方…御尤もですが…ねぇ(^^ゞ)。
・除夜の鐘ってのは、大晦日に撞かれるもんだよね。大晦日は一年の締めくくり、私たち凡俗はこの日を一つの区切りとして生きている。新年の始まりに「昨年のことは忘れて今年が好き年でありますように」なんて挨拶…聞いたことありませんか。さてここで疑問…なんで一年の締めくくりは大晦日じゃなきゃいけないの?12月31日と1月1日の間は、1月28日と1月29日の間と何が違うの?除夜の鐘はこの一年をリセットする仕掛けじゃないの?
・暦ってのも、昨日(日めくりの場合ね…月単位なら昨月)の分はどうしてる?大抵捨ててるよね。これは昨日の紙を剥がすことで、昨日をリセットしていることにつながるんじゃなかろうか?
・縁切寺…一般には、夫婦の縁を切る(リセットする)ことで、人生をやり直す仕組み。この夜会では売られた子供が駆け込んでくれば、その子の人生をリセットさせる仕組み。

夜をくだされから海に絵を描くが歌われて、元画家が登場。
この二曲、タイトル『今晩屋』にもつながる伏線が隠されているようだったんだけど、か、歌詞がぁ…;;。
で、この元画家…記憶喪失なんである。しかし、何かに追われていること、何かを忘れてしまったということだけは覚えていて、その何かを探し求めているという奇妙な記憶喪失なんである。
名前まで忘れてしまって、暦売りに名前を売っていないかと問い質す。
何かの約束をしていたらしい<ここ重要
不思議なことに暦売りは彼の過去を知っているような素振りを見せている。暦売りが萱草という言葉を囁く。何かを思い出しかけているような素振りを画家が示し始める…と、そこでいきなり暦売りはここまでの料金一万円と称して手を差し出す。当然、画家は何のことやらわからない。わからないなりに「高い」と抗議…「タカイ」→「タケエ」→「タケェ」と…

ここで庵主(姥竹)登場。この人名前を呼ばれると必ず出てくる設定…画家の「タケェ」の声に呼応している。
かいがいしく、というかおせっかいというか、画家の世話を始める。嫌がって寺の床下に逃げ込む画家の足を掴んで引きずり出してまで世話を焼こうとする。この辺の庵主と画家のやり取り、結構笑える…しかし、ここは夜会である、誰も大声で笑ったりはしない(笑。
この間に、暦売りは寺に忍び込んで柄杓を持ち出している。流れる歌は私の罪は水の底
暦売りは柄杓を荷造りの中にどう納めるか考えている。そこへ庵主から逃げる画家が体当たり…柄杓は舞台の外へ飛ばされる。それも二度までも。暦売りは画家に食って掛かるが、画家は庵主から逃げるのに夢中で暦売りを相手にしない<この、暦売りの柄杓への拘りが気になるんだよなぁ。

暦売りも柄杓を諦めて、荷造りを始める。このとき歌われるのが百九番目の除夜の鐘
柄杓を入手できなかったせいか、荷造りもいささかやけっぱちな感がある。

この歌の間に寺の裏から禿登場。いかにも無邪気に暦売りの周りをうろうろするんだけど、暦売りは気がつかない。そうこうしているうちに、禿が先程暦売りの失くした柄杓を持ってきて、暦売りの後ろにそっと置く。
暦売りがヒョイと振り返って、禿に気づきびっくりする。禿はどこかへ消える。
暦売りは柄杓があるのに気づき、庵主を呼び出す。
庵主の説明で、禿が売られた先から逃げ出した子供であり、何かの約束に縛られて縁切寺へ逃げ込むことができずにいる幽霊であることが暗示される。庵主は説明を終えると、柄杓を暦売りから取り返して寺の中に入る。
ここで暦売りの独白。
約束事はその場の気持ち。嘘つく気持ちは無かろうとても、守るに守れぬ成り行きもある…売られた子供は待ちぼうけ」<ここ すっごく重要
独白のあと愚かな禿が歌われ始める。この「愚かな」というところ、重要。愚かさは王様は裸だと叫んだ子供の姿につながる。愚かなるが故にか、縁切寺というツールを使わず、ひたすら約束を信じ待っている。

禿は毬をついている。
さて、ここからがネットの一部で物議を醸しているところなんだけど…。
この毬つきを寺の床下から見ていた画家が現れて、禿と一緒に遊び始め、毬つきがバスケットボールに変わる。
この意味はなんなのか?
ここで、「安寿と厨子王」のモチーフが被る。二人とも相手を姉弟とは認識していない。しかし、その関係が切っても切っても切れないもので、幾百世を越えても彼等がつながっていることをこの場面は示しているのではないか。二人の間を行き来する毬は、二人の間で共有されていた「時」ではないか。

う、だんだん記憶が薄れてきたぞ(^^ゞ

バスケットボールに飽きたのか、画家は舞台から再び消える。禿はまた一人になってしまう。
そこに流れるのが憂き世ばなれ
この歌の間に寺の廊下から大量の紙風船が流れ出てきて、禿は無邪気に風船と戯れる。
庵主も出てきて、禿を寺に誘導する。大量の紙風船の中を、禿は縁切寺の中に消える。

暦売りは紙風船のいくつかをペシャンと潰して持ち帰ろうとしている。ここで流れるのが夜いらんかいね
いつのまにか紙風船は舞台からなくなり、鐘の音が響く。
ここで画家(厨子王)登場。潰した紙風船を碗に見立てて、
安寿との別れの場面までは思い出している。しかし、なぜ姉と別れねばならないのか、別れてから何をすればいいのか…途方に暮れている。ここで暦売りが厨子王の背後から萱草と、厨子王の別名を囁きかける。そして「都へ逃げよ、疾う逃げよ」と繰り返し囁きかける。暦売りは安寿と厨子王の離別のときを、安寿自身のように語りかける。
厨子王も、徐々に思い出し始める。己が姉を迎えに帰ることができなかった後悔を思い出しかける。
暦売りは、そこまで見届けてから「見殺しにせよ、骨肉を」と叫び、厨子王を突き飛ばす。この叫びは安寿の心中そのものなのではなかろうか。

ここから場面は急激に変わる。

姥竹が旅装束を持ち出し、厨子王に着せてゆく。その後ろで、禿が寺に火を放つ。
ここんとこ、ものすごく重要な場面、というか、見方の分かれる場面。
禿(安寿)の寺に対する思いはどこにあったのか?
紙風船につられて踏み込んでしまった「寺」の役割の否定か、あるいは、「寺」の役割を肯定したうえで厨子王を送り出した後、誰にも後を追わせないための細工か。
姥竹と禿(安寿)が扉を開けて支える中、厨子王が炎上する寺に踏み込んでゆく。
厨子王が扉の中に消えたのち、寺は轟音とともに崩れさる。(ここ、豪快)
安寿が下手に身を投げるようにして消える。続いて姥竹が上手に同様に消える。それぞれの消えたあとには藁靴が片方づつ残されている。(山椒大夫では姥竹、安寿とも入水して果てている)

すべてが終わった後、暦売りが消火器を抱えて飛び出してくる。そしてがっくりと膝を折る。
暦売りは過去をリセットするツール(暦)を売って商売しているのだから、同様な仕掛けである縁切寺の火事を止めようとしたのであろう。しかし、間に合わなかったわけである。
しょんぼりとした様子で藁靴を集め、一足に揃えて舞台に置いて、暦売りも去る。

この幕は、誰もが持っているであろう「疎ましき過去をリセットしたい」という願望、それを見掛け上実現するツールを紹介し、その一つが崩壊する様を描いている。

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