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2009年7月15日 (水)

ソース

村野瀬玲奈の秘書課広報室さんのところにつけたコメントと、そのソースです。

-----コメント------
sutehunさん

法律用語は自信無いんだけど…第6条の変更があるんですね

第6条第1項
旧)医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

新)医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。
 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

第6条第2項
旧)前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。

新)前項に規定する「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。

第6条第3項
旧)臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。

新)臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。
 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。
 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

これを読むと、今回の改訂では脳死臓器移植のための「死」の基準が大きく変わったように読めるんですが?特に第2項ですが…

-------------------

ソース
旧):法令データ提供システム「臓器の移植に関する法律」
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%bb&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H09HO104&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1

新):衆議院ホームページ 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

蛇足ながら…
第1項:移植の可否を生前に意思表示していない場合、遺族に判断が委ねられる。
第2項:臓器摘出の有無と脳死による死の認定は無関係になる(ここがややこしいんで誤読している可能性あり>ただ、従来は脳死は臓器摘出をする場合にのみ認定されていたのは確実)。

あと、大きな問題は
第2条第4項
移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。

とありまして、従来は提供先を指定することはできなかったんですよね。(移植術を必要とする順位は客観的に緊急度の高い順でなければならないということと理解しています)

これにも…
第六条の二 移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。

という条項が追加されました。

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コメント

はいどーも。
どうやら誤解してたのは私のようでした。
この改正案というか修正案というかが成立すると、臓器提供の意思がない人の臓器が臓器移植に供されたり、臓器提供の意思のない人の生死が臓器移植法上で判定されたりするみたいです。
一言で言うと、ひどいです。
世の法学学位を持つものたちは立ち上がるべきでしょうか。
『学生時代あんなに苦労させられた権利概念やら法体系概念やらを全部台無しにされてたまるかバーロー!』とかいって。

あー。ちなみに誤解されるといけないって言うか、たぶん世の中の多くの人が誤解してるでしょうから記しておくと、法律上の『意思』とは、自分が何らかの行為の客体となる場合か、もしくはその可能性がある場合に、その行為の客体となることを承諾することを言うのですね。・・・ややこしいな。
つまり、何かしようとしてる人に、何かされようとしてる人が、『してもいいよ』というのが意思表示なのですよ。
沈黙による承認というのは、原則としてありえません。
だから例えば、勝手に品物を送りつけて、開けてみたら中に『開けたら買ったと看做す! カネ払え!』とか書いてあっても、そんな契約は成立しない、というわけです。関係ないですが。
『黙ってるってことはいいってことだよな!』というのもありえないわけですね。そんなのが通用するのはガキの喧嘩の中だけです。さらに関係ないですが。

投稿: sutehun | 2009年7月18日 (土) 23時19分

sutehunさん 夜分ど~も。
貴兄の見識にはかねがねお世話になってます。

やっぱ、「ひどい」ですか…
それが解散騒ぎのどさくさの中で参院も可決されちゃったんですよねぇ(派遣法改正案なんかろくすっぽ審議されずに)

なにはともあれ、今後ともご指導ご鞭撻方よろしくお願いします m(__)m

投稿: とみんぐ | 2009年7月19日 (日) 06時18分

グダグダですよね。法も審議も世論も、まるで哲学が無い。
肉体とは何か、社会とは何か、親子家族とは何かについての、ラディカルな検討が為されない。

・私は自らの臓器提供を可とする
・親族がこれに反対する場合、親族の意思を優先する

私は上の立場を取っているのですが、それは私の肉体が私のものではないからです。
物心ついた時から、己の精神と時間は全て、死んだ子と生きる子のために使われると決めた。だから私の精神は役に立つ。OK。
しかし肉体は、他者と偶然の産物。一家心中や間引きを受けなかったのは、私のお陰ではない。私の臓器は、私が自由にしていいものではない。

・飢えや病で死ぬなら仕方ないと思っていた
・他人の気まぐれや悪意には髪の毛一本渡さない

人間、死ぬ時には死ぬ。大事なのは、己の精神の自立性が汚されないこと。


それゆえに、私が「お前は助かれ」と言うならば、ぶん殴ってでも助ける。私の意を通す。相手が犯罪者だろうが政治家だろうが、私が臓器をくれてやると言うならば、どんなに嫌がっても助けてやる。相手の意思よりも私の意思を貫き通す。私の意思を貫き通す。
同様に、私が「お前は死ね」と言うならば……おおっと、剣呑剣呑。


さて、それほどまでに精神の自立性というものは重要なものですが。
なんかー、全然その辺スルーされてますよねー。「自分の意思に関係なく腹を開かれること」「他人の意思に関係なく腹を開くこと」に、これほど無頓着とは。

私は「助かれ」「死ね」「生きてやる」といった自分の意思を、五十億の命よりも上位に置くから、そのための戦争は常に行う。
他人の意思を蹂躙するということは、私の意思を蹂躙すると同等に深刻で重大な、罪。
ほんっと、そういった精神に対する罪というものの認識が、抜けていますね。

投稿: 人生アウト | 2009年7月26日 (日) 02時52分

人間というものは、必ず自分の思い通りの行動をとれないものなのですよね。これを迷いとか悔いとかいう。
さらに対人関係においては、決して理解しあうことがない。たとえどんなに親密な家族においても、妻や子は「私をわかってもらえない」という気持ちを抱えている。
無理なんです。人間は、広く社会に共有されることによってしか、安定できない。
たとえ三割程度しか解しあえない関係でも、それが三人四人と重なれば。それは、九割を理解している家族よりも安定的な基盤となる。

家族は、絶対に判断を間違えます。
移植に承諾しても拒否しても、どちらを選んでも子の意思には反するし。家族自身もまた、あとで後悔しつつ現実を受け入れるしかない。


「納得する結果」とは、「私が納得する結果」のことではない。他人は絶対に間違えるし、私も私自身を読み間違える。
重要なのは、そうやって間違いを犯す自他が、「それでも構わない」と共有しあうことです。

>親族がこれに反対する場合、親族の意思を優先する
と書いたのは、親族が正しかろうが間違っていようが、これを許容するということです。
許容するための共生関係を、生きている間に築く。


多くの親が、「他人にはわからない」と言います。
障がいある子を助けなかった親も、そう言いました。
ふざけんな。
確かに私には、人の親の気持ちはわからない。自分の金で育てているのでもない。

しかしだからこそ、顔も名前も知らない人達を、私は<ダチ公>と呼びます。
私にはダチ公の気持ちはわからない。わかるわけない。
しかしこれだけは言える、お前は間違っていると!

友情とは。自分で正解を導き出すことのできない者同士が、互いに過ちを共有することで、自らを赦せることではないのですか。


私は親族と友情を築く。私は間違うし、彼らも間違うから。それでも、どんなに間違っても最後にはそれを受け入れられるために。私は彼らと生死を共にする。
同様に、全国のパパママを<友>と呼ぶ。子どもたちを<友>と呼ぶ。理由は同じだ!

投稿: 人生アウト | 2009年7月26日 (日) 04時03分

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