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2010年3月28日 (日)

文は人なり

うん、そう思う。
ブログ始める前からネットを散歩しているわけだが、表現が巧みな人の文章って【文は人なり】である。
内に秘めた感情を吐出するとき、他人に呼び掛けるとき…その時々に応じて一人称も巧みに使い分け、議論の場では冷静に、論争の場では熱を持ち…そういう人って確かにいる。
そして、その感情のうねりを他者にきちんと伝えられる人って、確かにいる。

その一方で、相手から誠実に投げかけられた問いに真っ向から答えず、こんにゃく問答をする。論点をずらす。これもまさに【文は人なり】である。文章がなまじ巧みな分、その人の人柄が透けて見えるのである。

匿名性の高いネットに展開される言説は、ある意味で冷酷にその人の人柄を映し出すものであるような気がする。
文字以外の言葉に含まれる陰の部分が読み取れないだけに、なおさらそういう気がする。
しかし、書く側の姿勢は自ずから文章に表れるものである。

最近見た事例では、あるブログのコメント欄のやりとりで「おれ」「おいら」という一人称を普段使っていた人が「僕」という一人称に変えた。
この時点で、読む側は「あ、この人スタンス変えたな(真剣モードに切り替えたな)」と読みとれるわけである。
つか、読みとれないほうがどうかしている。それでも尚「おちゃらけモード」のまま、その人に相対したらどうなるか?

まさに【文は人なり】である。

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