日記・コラム・つぶやき

2009年11月 3日 (火)

長いと言われたんで

kuronekoさんとこで「差別」という重いテーマを取り上げてらっしゃる。
で、コメントしようとしたら、長いと言われたんで、こっちに書く。

えっと、これは「みんななかよく」さんの「もう一つ 差別の話 いきまーす」へのコメントです。

本当は前の記事へのコメントのつもりだったんだけど、あそこのコメント欄は別扱いということらしいんで…。
前の記事と、この記事の本文、およびコメント欄を拝見するに、まぁどこか別のところでの議論をブログ主さまが発展させようとしていると考えます。それを前提として、しかし、あくまでここに書かれたことに対してのみ、ちょっと思うところを開陳することをお許しください。

まず、「自らの内面における差別意識の認識」と「他者の差別意識への批判」、この二点は峻別されるべきものではないかと思います。
自らの差別意識はそれを認識した時、自ら克服すべき対象として自覚されます。この点において、kuronekoさんのおっしゃる「啓発」ということも重要なことではあります。そして、克服するという努力は「理性」の支配下による営為となります。

しかし、他者の差別意識への批判は往々にして、自らの差別意識(あるいは負の意識)を覆い隠すものとして機能することがあるかにも思えるのです。それは「啓発」の域を大幅に逸脱したものとならざるをえません。これは「感情」の垂れ流しにすぎません。厄介なことに、このような「感情の垂れ流し」を行う人たちが、その行為を「理性的」と自認している場合が往々にしてあるわけです。(「感情の垂れ流し」であることを自覚したなら、前出の通り他者への批判から、自己の裡なるものへの批判に向かわざるを得ないところだと愚考します)
また、「感情の垂れ流し」は、批判する相手の人格を全否定することにつながり易いという経験上の知見もございます。
ここに出てきた事例でいえば、ごんさんに投げかけられた「頭蓋骨にウンコの詰まった」という言葉は「感情の垂れ流し」による人格の全否定の最たるものと考えております。(売り言葉に買い言葉…というレベルじゃないと)

で、まぁ、差別ということは自らの根拠を揺るがすような異質なものに直面した時に生じる自己防衛的な面もあろうかと思います。思いますが、それが社会の慣習になり制度となることにやりきれない思いを感じるところです。
で、まぁ「やりきれない思い」を持つことで満足できる人もいるでしょうが、それでは解決にはならないということは指摘されねばならないでしょうね。(ごんさんのコメントの源流はここにあると思うんですが)

kuronekoさんも指摘されておりますが、法制度的には平等となった…慣習としては残っている、その点をどう捉えるか、そのためにはやはり「理性」の枷を己にはめていくしかないのかなぁとも思うのですがねぇ。

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2009年10月22日 (木)

ごまかすな

言葉というものは不思議なもので、「言ったもん勝ち」の場合がある。
近年の流行り言葉では「構造改革」。
この言葉に踊らされた結果、今の日本は死屍累々…
その中で、勝ち組として(いくつかのスキャンダルもものともせず)生き残ってきた人物が、こんなことを言っている。

「脱官僚」に偽り=日本郵政人事を非難-竹中元総務相
 竹中平蔵元総務相は21日、日本郵政の次期社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏が内定したことについて、「『脱官僚』を掲げる民主党の看板と大きく異なる。説明責任も果たしていない」と政府を強く非難した。
 斎藤氏は旧大蔵省を退官後、東京金融先物取引所(現東京金融取引所)理事長に就任。その後の日本郵政のトップ起用だけに、竹中氏は「政治主導で(天下りを繰り返す)『渡り』が行われた」と指摘、民主党政権に対する国民の不信感が増すとの見方を示した。 
 また、前日閣議決定された郵政事業見直しの基本方針に関しては、「民営化路線が完全に否定された。郵政事業の再国有化への道筋が示され、人事面でもこれが裏付けられた」と述べ、将来の官業肥大化懸念が一段と増したと強調。同方針の内容も「なぜ見直しが必要か十分な議論も行われないまま、密室で決められた」とし、政策決定プロセスの透明化を掲げる政権の姿勢と大きく乖離(かいり)していると主張した。

時事通信(2009/10/21-20:31)

「勝ち組」たるべき要素がたっぷり<嫌味です。
明白なごまかしを一つ指摘しておく。
民主党の公約は、「脱官僚依存」である。「脱官僚」ではない
こういうごまかしを「揚げ足取り」という。
少なくとも、国家を背負って立つ人材が発してよい言葉とは思えない。
また、教育者としても失格である。
経営者としても、疑問符がつく。
まぁ、(悪い意味で)ブローカー、詐欺師の類なら納得。

え…この人、某大学の教授?某口入屋の会長?
さて、どちらが本性なのだろう?

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2009年9月28日 (月)

どういうことかなぁ?

群馬県の八ッ場ダムについては色々報道されている。
まぁマスコミ各社の報道の表は「地元住民・流域の自治体は基本的に大反対」に読めるような見出しが躍ってるんだけど…

 だが、ダム推進でまとまったように見えた地元住民にも、ほんの3日のうちに波紋は広がりつつある。
 前原国交相の視察から一夜明けた24日午後。八ッ場ダム広報センター「やんば館」に、ダム推進を堅持する群馬県の大沢正明知事や自民党の佐田玄一郎衆院議員(比例北関東)、自民、公明両党の県議ら約30人が顔をそろえた。
 
「ダム地域住民との意見交換会」と銘打ったものの、地元は町長や町議、連合対策委の役員らが大半。住民はほとんど集まらず地元側は「連絡が行き届かなかった」と陳謝せざるを得なかった。
2009年9月27日 朝日新聞社会面(14版)

さて、どういうことかなぁ?
…と考えるわけである。
こういう利権のからんだ公共事業には当然受益者がいるわけだ。反対運動が強ければ強いほど、そういう受益者を作るために金をつぎ込むのが、これまでの政権のやり方だったわけだ。
しかし、八ッ場ダムの入札中止から1月足らず、これだけの短い間に「圧倒的住民の支持」を得てきた筈の事業推進派が、集会に住民を集められないという事態が起きるものだろうか?
本当に地域住民の支持があるのなら…と考えるのは邪推だろうか?

実際のところは、こちらに書かれていることが本当なんじゃないのかなぁと思う次第。
で、この50年近い歳月で痛められた地元への配慮は、国民として必要なコストだと考える。
少なくとも、八ッ場ダム工事中止による国家負担は引き受けなくちゃいけない…それが自民党政権を存在させてきた国民の払うべき代償だろう。

今後、こういう事例は続出する。
しかし、これは自民・公明政権による政策のツケなのだ。これを精算しなければ民主党政権は前に踏み出せないのだ。
まぁ、そのための資金は…自公政権で美味しい思いをしてきた部分から重点的に吸い上げてほしいものだが、未だそこまで期待するのは無理だろう。

前原氏については、若干見直した。少なくとも、以前のような分派行動ではないことは評価する(本音がどこにあるにせよ)。

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2009年9月20日 (日)

淡い期待

鳩山内閣の発足記者会見…深夜だったから流し見だった(/_;)

ただ、後日のニュースではあまり映されなかった総理の言葉が印象に残った。
「国民の皆さんが『ふところが暖かくなったなぁ』と実感していただくよう…」
『暖かくなる』を何度も繰り返していた。

ここがポイントだ。
優先順位をそこに定めた、このことに淡い期待を持ちたい。
これには、現場で働く官僚と呼ばれる人たちも協力する精神的支柱ができたんじゃないだろうか?
大臣がトップにいて方針を明確にすれば、官僚はその実現のために何が障害か、どう乗り切るか…という具体化に向けて全力を挙げてくれる…と期待したいのだ。

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見出し

朝日新聞の夕刊一面にでた見出しが強烈だった。
(asahi.comでは出てない)

「米金融、国民に借りある」
オバマ大統領 ウォール街に忠告
「繁栄を取り戻している金融会社の多くは、米国民に借りがある」――。14日昼の米ウォールストリート(金融街)での演説でオバマ米大統領は、金融マンたちにこうクギを刺した。大統領は金融規制の強化について「他国が米国同様に規制改革を行うよう働きかける」として世界的な連携に意欲を示した。
(9月15日 朝日新聞東京夕刊)

新自由主義の旗印の下金融工学を駆使して暴れまわった揚句、破綻・救済された米国金融業への警告である。また、≪他国への働きかけ≫は「新自由主義経済」を未だ信奉しているような世界中の金融業界への警告でもある。当然ながら、日本もその対象だろう。
「新自由主義」を礼賛する学者を財政政策に大臣として深く関与させ、国富を限られた一部の階層に集中させてきたこれまでの日本、それを修正しようとするこれからの日本にとって力強い支援となれば…と期待する。

ところで、この記事では「国民」という言葉に「金融業界以外の」という暗黙の枠がはめられている。
こういった使われ方は気持ちがよい。よいが、その時々で範囲が揺れ動くというのはやっぱり困る。
国民全員に満足される政策なんてものは存在しないのだから、満足してほしい「国民」は誰なのか、訴えかける相手は誰なのか…
日本の政治家も、わかりやすい言葉で語ってほしいものである。

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2009年9月 5日 (土)

上から目線?

というのは、こういう論をまき散らしている私の文章なんだろうな…と思いつつ。

こういう記事を読むとついつい(^^ゞ

財界:民主と細いパイプ「誰を頼ればいいのか…」
 民主党政権が9月半ばにも発足することをにらみ、日本経団連など財界が民主党との関係構築を急いでいる。民主党は政権公約で3年後の企業献金廃止を掲げるが、財界としては政権交代で政策への影響力が低下するのを何とか避けたいところ。ただ、自民党と蜜月関係を続けてきたこともあり、財界と民主党との人脈は細く「民主党の誰を頼ればいいのか分からない」(財界首脳)と不安を募らせている。
 総選挙大勝を演出し、民主党内での影響力を高める小沢一郎代表代行。最も近いのは、京セラや第二電電(現KDDI)の創業者の稲盛和夫氏だ。日米電気通信交渉などを通じて、日本側窓口を務めた小沢氏(当時は自民党)に知己を得たとされ、民主党大会では政権交代を訴えたほどの間柄だ。第二電電の経営に携わった経済同友会の元代表幹事の牛尾治朗氏は一時、松下政経塾の副塾長を務めた関係から、中堅の民主党議員らと近い。
 小沢氏は自民党幹事長時代、財界に選挙資金300億円を要請したとされ、「剛腕」の名をはせた。東京電力社長などを務めた故・平岩外四元経団連会長は小沢氏の後援会幹部を務め、その縁で荒木浩東京電力顧問とは今も付き合う。三重野康・元日銀総裁ともこのころ付き合いを深めた。
 一方、日本経団連は御手洗冨士夫会長や今井敬名誉会長らが自民、民主両党の実力者と「囲む会」を開いており、民主党の岡田克也幹事長らとも会合を持つ。鳩山由紀夫代表は学習院初等科の同級生だった水野誠一・元西武百貨店社長と親交が深く、かつては「新党さきがけ」で行動を共にしたこともある。また、岡田氏の父親はイオン創業者の卓也氏だ。
 ただ、民主党に近い稲盛氏も「財界の主流とは言えず、経団連などとは一線を画す」(財界幹部)。いずれも財界と民主党をつなぐ太いパイプにはなり得ない。民主党の政策決定プロセスが見えない上、首相となる鳩山代表は財界と距離を置く発言を重ねており、経済団体首脳の間では警戒感も高まっている。

【毎日新聞 2009年8月31日】

日本経済が輸出に頼っているのはわかってるが、こんなリスク管理で営業してたんかぃ?
これじゃ、今の不景気は当たり前だ。
今になって泣きごと言ったって国際社会じゃ通らんって…。
つぅか、もう恥晒しじゃないか?

某外資系企業では政治献金の類は一切禁止していた
それは特定の政治団体に肩入れすることにより生まれるリスクを回避するためだったわけだ。
しかし、その外資は、結局日本国内の事業は国内資本に売却して撤退したんだけどね。
なんか、こういう記事を読むと、その外資企業は撤退したというより撤退させられた(財界村八分)のような気がしてきたぞ(-"-)。

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そりゃそうだ-2

自民党と公明党の悪あがき…
ごく近い過去に先例があるものねぇ。
 

東京都議会:31日に開会、全議員一致で招集請求
 東京都議会は17日、臨時議会を31日に開くことで合意し、石原慎太郎都知事に招集請求した。都議会は、都議選後初となる臨時議会を10日に開く予定だったが、新銀行東京に関する特別委員会の設置などを巡って民主と自民が対立し、流会となった。改めて日程調整を行い、全議員が一致しての招集請求となった
(毎日新聞 2009年8月18日)

 
ちなみにぃ、東京都議会選挙は去る7月12日投票で民主党が比較第1党になってたんですよ。
つまり、2か月近く議会は機能しなかったわけですな。

当然、その間は官僚が過去の議決に基づく執務を粛々と(何にも変えずに)やっておったわけですな。
各種の疑惑やら反対やらが目白押し(?)の東京都政で…。

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もっともだ

JCJ機関紙ブログさんとこで見かけた声明

もっともだと思うんで転載します。
 

鳩山由紀夫民主党代表に新憲法制定議員同盟「顧問」の辞職を要請します
第45回総選挙は有権者の自公連立政権への厳しい批判のなかで、民主党の大勝となりました。いま、多くの人びとは鳩山由起夫代表が首相になると言われている新しい連立政権が、民衆の切実な要求と期待に応える政治をすすめていくかどうか、息を呑んで注目しております。

ところで、鳩山氏はさる2008年3月4日、特異な改憲論を基盤として改憲をめざす「新憲法制定議員同盟」(中曽根康弘会長)の顧問に就任されました。そして今日、なおこの職にあると聞きます。しかし、新しい政権の首相となる鳩山氏が、こうした政治的立場にとどまることは、多くの国民の願いに合致するものとは思われません。首相には憲法第99条の「憲法尊重擁護義務」がよりいっそう厳しく問われるのであり、特定の憲法観をもった改憲団体の役職にあることは極めて不適切なものと言わなければなりません。

私たちは鳩山氏が英断をもって直ちに同職を辞任することを公式に表明されることを要請致します。

2009年9月
呼びかけ団体
「憲法」を愛する女性ネット/憲法を生かす会/第九条の会ヒロシマ/日本山妙法寺/日本消費者連盟/VAWW-NETジャパン/平和を実現するキリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/許すな!憲法改悪・市民連絡会

 
毎度のことながら、日本国憲法の条文を法令提供データベースからコピー。

   第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

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そりゃそうだ

えぇと、8月30日の選挙結果で現在の与党が政権の座を明け渡すことが明確になったわけですが…
まぁ、政党間の政権交代ってものは、アメリカ合衆国が頻繁にやっておるわけですな。
で、そこに見られるのは円滑な移譲に払う労力なわけです。
もちろん、彼の国の官僚制度や政党の在り方は日本とは大きく異なるわけですが、一応選挙によって示された民意に従うという点では注目に値すると思うのです。

特に財政支出については、大きく異なる方向に舵を切ることが明らかな以上(選挙戦を見ていれば明らか…なはず)必要経費以外の新しい政策的支出(補正予算)は様子見にするのが本筋だと思うのですがねぇ。

ま、そりゃそうだ

[東京 4日 ロイター] 民主党の岡田克也幹事長は4日、定例会見で、新政権発足後に見直す予定の09年度補正予算で駆け込み的な執行が行われていることについて「なぜこの時期に決まるのか違和感を覚えないわけではない」とし、なぜこの時期に決めたのかなど、事務当局にも説明責任を求めたいと述べた。
 さらに「政権移行期なので駆け込み的にやることは様々な問題がある。政権がスタートすれば精査の対象にし、場合によっては凍結もある」と不快感を露にした。

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2009年8月29日 (土)

見落とし

明日は選挙…なんだけど、まだだれに投票するか、どこに投票するか迷っている。
まぁ、誰に入れないか、どこに入れないかは決めているんだけが(^^ゞ。

この間(ずいぶん前だけど)書いた内容について訂正。
各政党のHPを見てみたら…財源を所得税に求めている政党があった。マスコミにはほとんど無視されているんだけど…。(あ、消費税廃止は言ってても、軍事という無駄遣いを推進すると騒いでる宗教政党は問題外)

ここここ

今回第一党になると予想されている政党は…これ
消費税廃止には踏み込めてないのが物足りない。

まぁ上の三つからの選択になるだろうなぁ。

え、今の与党?
……実績が物語ってる。
失業率は過去最大国の借金は大幅増、実感の全くない好景気
却下!

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駅頭にて

今日は選挙運動最終日。
今も某政党の選挙カーが走りぬけて行った。
街頭での選挙演説ってのは、この選挙カーのように自分の言いたいことだけを言い放しにするもんだと思っていた。
実際、街で見かける候補者の演説は空気に向かって話しかけてるようで、誰も聞くともなしに聞いている。
まさにBGM。
つうかNoise。
そして、候補者の周りに並んだ応援者(アルバイト)が通り過ぎる人たちにビラを押しつける。押しつけられた通行人は受け取ったビラを読みもせずにポケットに入れごみ箱を探す。
それが普通だ。
 
 
昨日の通勤電車から見たある駅の駅前。
ちょっと違っていた。
その候補者は、一人の通行人と1対1で話していた。
通行人が去るとき、彼の後ろ姿に候補者が深々と頭を下げた。
頭を上げた候補者に別の通行人が近づいてきた。
候補者は、近づいてくる通行人の顔をまっすぐに見て話し始めた。
通行人が候補者に話しかけた。
 
 
日本の政治家と有権者の関係がなんか変わるかも知れない…と、それを見ていて思った。

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2009年8月24日 (月)

本音?

いやぁ 本当に壊れてるんと違う?
いやまぁ、結婚つうたら金の問題もあるだろうけどねぇ…
そこまで言うか?
さすが財閥のお坊ちゃまは言うことが大胆ですねぇ。
官房長官もフォローできてない。
大体が個々人の結婚観を云々する前に、就職難を招いたのはどこの政党が政権を担当している国か…という反省がない(…言っても無駄か)。

首相「金がねえなら結婚しない方が」官房長官は釈明

 麻生首相は23日夜、東京都内で開かれた学生との対話集会で、参加者から「若者に結婚するだけのお金がないから結婚が進まず少子化になるのではないか」と聞かれたのに対し、「金がねえなら結婚しない方がいい、おれもそう思う。うかつにそんなことしないほうがいい。おれは金はない方じゃなかった。だけど結婚は遅かった。稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい」と話した。
 この発言について、河村官房長官は24日の記者会見で、「表現は直截(ちょくさい)的だが、むしろ若者の就職対策を進めなくてはいかんという思いが出たのではないか」と釈明した。

2009年8月24日 朝日新聞 夕刊

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でぇっきれぇだ

大嫌いな言葉の一つ

働かざる者食うべからず

本来は勤労の美徳を勧める言葉なのだが…
「食うべからず」のところに大きくひっかかるのだ。
少なくとも、現代社会においてこの言葉を躊躇いなく用いる人には用心してかかることにしている。
なんとなれば、この言葉は容易に「働けぬ者食うべからず」に転化するからだ。

原典は新約聖書の「テサロニケ人への手紙」である。
しかし、今はキリストが生きていた時代とは違う。もはや自給自足で生活が成り立つ社会ではないのだ。
また、この言葉が広まったのはレーニンが引用したからだという説もある。
レーニンが名指しした「働かざる者」とは、貧しきものから簒奪して暮らしていた皇帝や貴族達を指していたはずである。
しかるに、現代においてこの言葉が指し示す人たちは王侯貴族であろうか…断じて否
「働かざる者」とは働く意思のない者のことではなく、働くに道なき人のことを指しているのだ。
以前、NHKスペシャルで取り上げられた若者のことをここでも書いた。そう「ノギスが使えない」故に再就職の道を閉ざされた若者…彼が「働かざる者」として蔑まれなければならないのであろうか?
私にはそうは思えない。
ならば、どうしろ…と?
簡単なことである。この言葉を言い放ちうる(そして言い放つだけの神経を持つ)人々から、彼らの持てるものを分かち合えば良いのだ。

大体がぁ、「食うべからず」とは何事か?
人はその生き方を尊重される…少なくとも他人に害を与えない範囲で…。
この原則に忠実であろうとすれば、他人に「べからず」などと、まして「食うべからず」などというのは、他人にも権利というものがあるということを理解していないと思われても仕方のないところであろう。
特に国会議員や行政の幹部にあるものはそういうことを言っちゃいかん…と思うのだ。

しかし…いるんだよなぁ
                  ↓

「怠けている連中に税金使わぬ」 派遣村めぐり舛添厚労相

 舛添要一厚生労働相は18日午後、横浜市内の街頭演説で、昨年末から今年1月にかけて東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」に関し、「(当時)4000人分の求人票を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を、働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と述べた。

 これに対し、派遣村実行委員だった関根秀一郎・派遣ユニオン書記長は本紙の取材に「求人として紹介されたのは確かだが、誰も応募しなかったというのは全くのでたらめ。たくさんの人が応募したが、断られたのがほとんどだ。舛添氏の発言は現場の実態が全く分かっておらず、あきれてものが言えない」と批判した。

 舛添氏の発言は、与党側が「バラマキ政策」と批判する民主党との違いを強調する狙いがあるとみられるが、厳しい雇用環境が続く中、労働行政を担当する厚労相が失業者を「怠けている連中」と指摘したことは、不適切との批判は免れない。

 派遣村をめぐっては坂本哲志総務政務官が1月に、集まった失業者らの就業意欲を疑問視する発言をして批判を浴び、謝罪した経緯がある。
2009年8月19日 中日新聞朝刊

一応 追記
レーニン以降「働かざる者」とは国家に忠実でない者を指し示す場合が増えたことも、舛添氏の発想との類似において示唆に富むものではないでしょうか?

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2009年8月18日 (火)

マニフェストなんて要らない

乱暴な言い方になるが、今度の選挙で各党が「マニフェスト」なるものを濫発している。
しかし、ウィキによると…
マニフェストとは

1.執政に対する基本理念、および今後必要となる政策を検討する。
2.個々の政策について、その目的と実施方法、期限、財源などの指標を明確にする。
3.期限や財源などが必要な政策については、判断の基礎となる具体的な数値等を算定し、目標数値を設定する。
4.事後評価可能な形で策定し、専門知識を持たない一般有権者にも解りやすい表現で明文化する。
5.選挙前に公表し、配布する。

というものだそうである。
はっきり言って、こんなもの長期自民党政権下で官僚の情報開示も決して多くはないこの国では、野党のマニフェストはあんまり意味がないだろう。特に財政状況は特定会計という伏魔殿があり、その中にどこまで野党として踏み込めていたか、与党になり、官僚を使いこなせればその実態も明らかになってくるだろうが、現時点で実現可能の是非を問うのは間違いだと考える。

間違っていただいては困るが、マニフェストというか「公約」は絶対に必要だ。
この国のありかたをどういうものにしていきたいのか、そのために何をするつもりなのか…
こういった情報は選択のために非常に役に立つ。

率直に言って、野党の「マニフェスト」を、自民党や公明党は「実績なきものが何を言うか」という論法を持ち出している。
しかし、 彼らは過去数年間与党であった。当然官僚からのサポートも多々受けている。それで、今この国はどうなっているのだろう?
昨年行われた大量の派遣切り…これは、単に不景気の問題ではあり得ない。派遣法に規定されている長期雇用者の正規雇用義務を負う期限が間近に迫っていたからでもある(景気がこうまで下向かなかったらソフトランディング自体は試みたと思うが)。
そういう社会になる法律を強行採決の乱発で作ってきたのが「自民・公明」与党の実績だ。

なお、今度の選挙のマニフェストのけなしあいで、与党側は間違いなく「財源」を問題にしてくるだろう。
それに対し、野党側はちょっと受身である。
私のような素人は
・物品税の復活(消費税の廃止)
・所得に対する累進課税の強化(課税区分の細分化、特に上限1800万円をもっと上まで伸ばす。少なくとも億まで伸ばし、上の方はしっかり納税していただく。逆に800万円以下は明確に所得税減税を行う)
と考えるが、どこも言わないんだよなぁ。
間違っちゃいかんのは、社会福祉政策に当てる財源が消費税というのはとんでもないことだという点。
こんな貧乏人同士で金を回して、高額所得者は高みの見物というシステムは明らかな間違いである。

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2009年8月 1日 (土)

結構読みにいく有名人サイト

まぁ、ブログなんてものが流行りだして、ネットの中は玉石混交。
はっきり言って吐き気を催したくなる文字の羅列もしょっちゅう見かける。
特に、ブログのコメント欄なんかはひどいものがある。
往年の2chの比ではない悪意がこもっていたりする。

だけど、ちょっとした視点のヒントを与えてくれるところも数多ある。
真摯な思いと洗練された文章から、読んでいて飽きないところもある。
だからネット散歩は止められない。

そういう良質のサイトをいくつか御紹介…

◆厳しい時代を「生き残る」には;経済アナリスト 森永卓郎氏◆
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090430/150229/
マスコミ(TV)に出てくる森永氏というと、「新自由主義者」「構造改革推進派」の政治家や評論家、甚だしきに至っては番組の司会から、言葉の挙げ足をとられ、いじられまくる小太りのお兄ちゃんというキャラクタだが、このサイトでは、邪魔ものがいない分、自由にかつ難しい言葉を避けた語り口で持論を書いている。

◆ようこそ『マガジン9条』へ◆
http://www.magazine9.jp/index.html
全国にいくつもある「九条の会」のウェブ版というところか?
憲法第九条を鍵に、脱貧困、戦争と経済といったコラムが面白い。
しかも、四角四面な教条主義から距離を置いて、あの鈴木邦男さんを筆頭とする右翼系の人たちまでコラムを書いてるし、インタビューも試みている(それに応える保守派の人たちも凄いっちゃ凄い)
自民・公明や民主の一部の劣化政治家が言う「九条、馬鹿言ってんじゃねぇよ」「創憲だよ」「時代に合わせた憲法じゃなきゃだめだよ」といった宣伝に ? を感じている方にお勧め。
最近では「家族会」の蓮池透さんのインタビューが出色。

◆保坂展人のどこどこ日記◆
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto
言わすと知れた(?)社民党の国会議員 保坂展人氏(今度は東京都第8区=杉並区から立候補予定)のブログ。国会の記録や、審議中の法案に対する意見などを精力的に発信している。「小選挙区制度」の弊害でいまやマスコミ的には見る影もない社民党ではあるが、実態は希望の種であることがよぉ判る。

◆泡瀬干潟を守る連絡会Blog◆
http://saveawasehigata.ti-da.net/
これは、ここの常連さんには言わずと知れたところでしょう。
沖縄の最大の泡瀬干潟、その経済事情を無視した自然破壊の実情に関する情報を発信しています。
(前にも書いたけど、泡瀬問題はつまるところ、日本全体を覆っている問題の噴出点だと思うんですね)

◆ビル・トッテン関連情報 コラム(Our World);アシスト社社長ビル・トッテン氏のコラム◆
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/index.html
この人のコラムは、私的にはちょっと微妙。必ずしも賛成できないところもある。
しかし、日本を愛し帰化して、日米両国のビジネスの現場を踏んできた人の日米両国への憂国の情をこめた文章は読み応えがある。殊に、その視点が弱者からの視点に沿おうとしている態度に敬服する。

(個人としてその人の社会的地位を匿名のまま、いろんな情報収集・発信をしている人はほかにもたくさんいますが、その匿名性を尊重して、ここでは省略させていただきます)

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2009年7月15日 (水)

ソース

村野瀬玲奈の秘書課広報室さんのところにつけたコメントと、そのソースです。

-----コメント------
sutehunさん

法律用語は自信無いんだけど…第6条の変更があるんですね

第6条第1項
旧)医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

新)医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。
 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

第6条第2項
旧)前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。

新)前項に規定する「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。

第6条第3項
旧)臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。

新)臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。
 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。
 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

これを読むと、今回の改訂では脳死臓器移植のための「死」の基準が大きく変わったように読めるんですが?特に第2項ですが…

-------------------

ソース
旧):法令データ提供システム「臓器の移植に関する法律」
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%bb&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H09HO104&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1

新):衆議院ホームページ 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

蛇足ながら…
第1項:移植の可否を生前に意思表示していない場合、遺族に判断が委ねられる。
第2項:臓器摘出の有無と脳死による死の認定は無関係になる(ここがややこしいんで誤読している可能性あり>ただ、従来は脳死は臓器摘出をする場合にのみ認定されていたのは確実)。

あと、大きな問題は
第2条第4項
移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。

とありまして、従来は提供先を指定することはできなかったんですよね。(移植術を必要とする順位は客観的に緊急度の高い順でなければならないということと理解しています)

これにも…
第六条の二 移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。

という条項が追加されました。

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この人 だぁれ?

(A)、(B)に当てはまる言葉・人名を入れよ。

不信任案は重要法成立後に
 (A)の(B)副代表は12日朝、フジテレビの番組に出演し、内閣不信任決議案の提出時期に関し、「臓器移植法改正案、貨物検査特別措置法案は通した方がいい」と述べ、重要法案の成立後が望ましいとの考えを示した。また、「都議選が終わった後、自民党内でいろいろ動きが出る。少し様子を見て、『麻生降ろし』が高まってきたときに出すタイミングがあるのではないか」と指摘した。 
(2009/07/12-10:52)(時事通信)

当ブログ主による解説
 文章から日本の政治に関する記述であることがわかる。
 さらに、「内閣不信任決議案の提出時期に関し」とあることから野党の人物であることが推測される。
 また、「副代表」というポスト名称から野党の中のどの政党かが絞り込める。
 ここで、留意すべき点は「内閣不信任決議案の提出は重要法案成立後が望ましい」としている点である。このことから、当該の発言者は相当に「頭が良い」ことがわかる。すなわち、現政権にとっての重要法案を成立させてしまえば、今後その法に対する国民の反発が出たときに自らの責任を回避でき、かつ、状況によっては法を改訂することにより国民の支持を取り付けるのに役立つからである。

正解
 (A):民主党
 (B):前原誠司

ん~とね、私が民主党をいまいち信用できない理由は、こういう「頭の良い」人が党の要職にいることなんだよね。でもって、こういう「頭の良い」人は「自己責任」だとか、「構造改革」だとか「愛国心」を声高に言ってるわけで…。

先日もこの一派の議員が駅前に朝立ちしていて握手を求めてきた。いい機会だと思ったんで「結局弱者切り捨てになったら、政権交代したって意味ないよねぇ」と聞いてみたら、「そうならないように…(ムニャムニャ)」なんだよ。

野党だったら、重要法案は政権交代にあたって「信を問う」といったらどうなんだよ。
いや、「信を問う」必要もないほど、与党案に信を措いてるんだったら、あんた党を移動したらどうなんだよ、「頭が良い」人なら自民党の中でも重要ポストもらえるよ(多分)。

なんてこと、ウダウダ書いてるうちに内閣不信任案&問責決議案提出しましたね。でもこの「頭の良い」人たちがどうしたのかは、報道されてない。重要法案通す審議優先で反対したかつうと、そういう気配もない。そのあたりが「頭の良い」所以であるのだが…。

まぁ、民主党全体でいうと結構スマッシュヒットは出してるんだよね。
実績でいうと菅直人代表代行が厚生大臣のときにやった「薬害エイズ問題に関する厚生省の資料発掘」が筆頭としてあげられるね。
野党側の活動としては「年金問題」の長妻昭か…。
ただ、議員数の制限から社共が埋没してるからねぇ…野党としての成果は保留しといたほうがいいのかなぁ。

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2009年6月30日 (火)

追加

なんか書き足りないなぁと、思ってたんですが…
結局、脳死臓器移植の私にとって最大の問題は、命の重さに「役に立つ・立たない」という価値判断を絡めていることに対する嫌悪感なのかもしれません。

ちょっと考えてみます。
人の命の重さに「普遍的な」役に立つ・立たないという価値観を絡めることは適当なのでしょうか?
…という以前に「普遍的な」役に立つという事象はどれだけあるのでしょうか?
例えば、アラビア数字などは普遍的に人類の役に立つと言ってよいでしょう。

しかし、人の命はそう簡単に役に立つ・立たないと区分けできるのでしょうか?
私は、そんなもんじゃないと思っています。
脳に障害を持って生れた子供は誰の役にも立たないのでしょうか?
たとえ一生寝たきりであっても、その子を支えに生きている親御さんがいても不思議じゃないでしょう?
親御さんの心の支えになっているという視点からは、その子は立派に役に立っているのです!

(乱暴な言い方になりますが)脳死臓器移植は、役に立たなくなった「死体」から臓器を摘出して、別の「生体」を役に立つ状態にすることではないでしょうか。
ここで私が言いたいのは「死体」→「生体」の物質的な移動よりも、むしろ、「役に立たないものは見捨てる」=「役に立つものは助ける」という考え方がはたして正しいのか?ということです。

そこで問題になるのは、「役に立つ・立たない」の切り分けが普遍的に正しいものとして成立しうるかという点です。
時間と目的を短く絞って個別の事象に限定して考える場合は、役に立つ・立たないという判断はあり得ます。
しかし、時が過ぎ目的が変われば、それまでの価値観が逆転することもあり得ます。
最近の事象(流行)でいえば「エコ」がそれにあたるでしょう。
ちょっと前までは、エコなんてものは経済発展の阻害要因として排除されていました。
それが、今では経済発展の鍵として信奉されるありさまです(その中で「エコ」の意味するところも変容しています)。

まして、事柄は人の命です。
「汝殺すなかれ」「殺生戒」…人倫の基本ではありませんか?
それを、たまたま今という時点に限っての「役に立つ・立たない」という価値判断で左右してよいものでしょうか…。

ここで思い浮かべてしまうのが「靖国」です。
あの目的は、国のために戦死した人々を祀るものです。戦死とは…相手を殺そうとして返り討ちにあったということです。敢えてきつい言い方をしますが、国が殺人を強要したことを正当化する存在と言えます。

ここに、今回の臓器移植法案との類似性を認めます。
今回の法案は「死」の判断を本人(や、その家族)の手から取り上げ、未だ浸透しているとは言えない「法」の定義に従うことを強要していることになりかねません。
…自分が経験した「死」では、温もりが徐々に失われていき、そのことにより死を納得する時間がありました。
しかし、「脳死=死」と定義された場合。必ずしも同じような訳にはいきません。
場合によっては、まだ脈もあり、温もりもある状態で「死」を受け入れなくてはならないのです。
その定義が一般的に受け入れられて、初めて「法」で定義できるんじゃないでしょうかね。

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2009年6月29日 (月)

すれ違い

散歩している先で「強欲」という言葉について一悶着起きている。
事の起こりは臓器移植法案。今回衆議院で可決された法案の内容について批判的な立場から、当該の法案を法制度の中に取り入れることを「強欲ではないのか」と問いかけた記事に対し、今まさに苦しんでいる生者を救済する道を広げるべきだという考え方から「それは言い過ぎだ」という批判が出ている(ように見える)。

「脳死 臓器移植 問題点」でググってみた。

論点を整理してみる。

・脳死臓器移植は基本的にドナーが存在しなければ成り立たない。ドナーの「死」を    前提とした医療術である。
・誰でもドナーとして適しているわけではない。若くて健康な者でなければドナーとして役に立たない。
・脳死診断を行う患者の前提条件は、1.器質的に脳が障害されている、2.深昏睡・無呼吸である、3.脳障害の原因が確実に診断されている、4.適切な治療をもってしても回復不能である、の4点である。
・「死亡判定」の基準は大きく言って二種類、三徴候と脳死…三徴候でも絶対に死ぬとは限らない。そのため、死亡宣告から火葬・埋葬までの時間が規定されているのである。ただし、三徴候死の段階で死亡宣告を受ければ、通常であれば(適切な救急救命措置を取らなければ)心臓も間もなく止まり脳への血流も停止するのである。
・脳死臓器移植先進国のアメリカにおいては、高額の医療費がかかるにもかかわらず、需要過大な状況にある。(彼の国には日本のような皆保険制度はない)
・救急救命医療も進歩しており、従来なら脳死状態に陥るような事例から回復するケースが増えてきた。
・従来なら臓器移植しか治療法がないと考えられてきた分野の病気でも、それに替わる治療法が出現しつつある。
・移植を受けた側も免疫抑制剤の終生投与を続けなければならない。
・一部の移植術においては、移植を受けた場合と受けなかった場合の予後に関する統計がきちんととれていない。

さて…と…
素人であるところの私が直観的に考えたことは、「脳死」という状態は「明らかに生きている」状態と、「明らかに死んでいる」という状態のグラデーションの中にあるグレーな部分ではないかということ、そして、その状態は日々変化しつつあるのではないかということである。
「日々変化しつつある」というのは、救急救命医療の進歩により従来ならば死者となるような事例でも回復する場合が増えつつあるということ、すなわち、「脳死」の基準が「明らかに死んでいる」状態に徐々に近づいていることである。
…ということは、臓器の提供は今後どんどん少なくなることが予想されるわけである。
「…だから、今法律により脳死臓器移植のドナーを増やすことを目指すべきだ」
というのは、論理の倒立だ。
むしろ、供給が先細ることが見えているからこそ、代替医療の研究・開発に努めることが求められているのではないか?…と、素人は考えるのである。

また、生と死のグラデーションの中に「法律」という形で線を引くことにも怖さを感じる。
少なくとも、ここ数日の報道からは、救急救命医療や代替医療の進歩を評価する声が聞こえてこない。
しかし…である。「法律で決まったことだから」ということを免罪符になってしまうのではなかろうか?
その免罪符が独り歩きし始めるのが怖いのである。
先に、臓器移植においては需要過大な状況にあることを述べた。このギャップを埋めるための法律であるとすれば、「脳死」の基準はどんどん「生」の方に動いて行ってしまうのではないか。そして、さらに恐ろしいのは、「臓器移植が当たり前(代替医療より手っ取り早い)」という意識が醸成されてしまうことである。いくら「脳死の基準」を「生」に近づけるといっても、一定の歯止めはかかるだろう。しかし、そこに「臓器移植さえすれば」という意識が働けば…「闇の子供たち 」の世界ではあるまいか?
この点に関する危機感を以て、脳死臓器移植法案の成立を「強欲」と表現するのならば、その危機感に同意するものである。

私の結論
A案は論外、百歩譲ってC案。
さらに、脳死臓器移植は緊急避難的医療行為であり、医学の本道に悖ることを明示するべきと考える。
また、付則でも何でもよいから、救急救命医療や代替医療の研究・開発への支援も盛り込まれるべきである。

おもな参照先
脳死・臓器移植の行方(関西医科大学大学院生命倫理学研究室)
臓器移植法改正問題に対する意見書(日本宗教連盟)
「インターネットで読み解く!」第8回「臓器移植法と脳死・移植の行方」
脳死臓器移植の問題
死体からの臓器摘出に麻酔?

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2009年6月23日 (火)

米百俵ってさぁ…

どっかの国に…

人材派遣法を改訂して派遣切りを容易にしたり、日本中の郵便局網をぶっ壊して簡保の宿をお友達に大安売りする仕掛けを作ったり、年寄りには金をかけない医療制度を導入したり、…象徴的なエピソードとして、この人物から「痛みに耐えてよくがんばった」と称賛されたプロ運動選手は、その後鳴かず飛ばずの状態に陥って引退した

総理大臣がいたんだけど…

この大臣、盛んに「強い国、日本」を目指すと公言し、そのためには今を我慢しろというお説教に「米百俵」を持ち出したんだと思うんだけど…。
国民の生活向上に気概を持つ政治家なら、国民にただひたすら我慢を強いるんじゃなくて、こういうことをしなくちゃいけなかったんじゃないのかなぁ?(いや、政治屋なら、まぁあの言動も理解できなくはないけどね)

 日本で「派遣切り」が広がっていた1月中旬、オランダ北東部の金属部品メーカー、ラーデマーカースも世界不況の波に洗われていた。昨夏以降、受注量が半減。約130人いる従業員の雇用維持が難しい状況で、社長が決断したのは、解雇ではなく、働く時間を分け合い雇用を守るワークシェアリングだった。
 5月下旬、社内の会議室でコル・ブロックさんは同僚と表計算ソフトに取り組んでいた。現場に入るのは週3日。あと2日は会社の研修コースで技能を身につける。4週間のコースを終えたら、次は原料買い付けや機械補修のノウハウを学ぶつもりだ。
 政府が昨秋打ち出した「時短奨励制度」が契機になった。社員に研修の場を用意することなどを条件に時短に伴う給与減額分の7割を最長15カ月間、失業保険の財源で国が穴埋めする。オランダが得意とするワークシェアリングを深化させ、経済危機を乗り切る試みだ。
 同社は制度の申請にあたって労使で協議。公費で賄えない分は会社が負担し、従業員には時短前の給与を当面100%維持することで合意した。「
不況はいつか終わる。その間に従業員の技能が向上すれば、次の景気回復でもっと飛躍できる」と人事部門の責任者はいう。(6月21日 朝日新聞)

 
さて、我が祖国…日本
 
 
この冬、「派遣村」がマスコミで頻繁に取り上げられていた(今はあまり報道されてはいないようだけれど、状況は変わっちゃおらんだろう…ということはさておき)。

その中でNHKスペシャル「緊急報告 製造業派遣は何をもたらしたのか」から…派遣切りの問題を取り上げられていて、現行の制度の基礎にある問題点は、企業の側にもある程度認識があるように感じられたのが救い。<ただし、まだまだ認識は甘いな…とも思えた。
取材対象の若者が求人先の面接を受けに行って、5分で出てきた…

落とされた理由が「ノギスが使えない」…。

これだけ見れば、落とす理由もわからないわけじゃない。機械関係の製品を作るとき、ノギスを使う技能(少なくともその仕組みを肌で知っていること)は必須だろうから。
しかし、彼がそれまでの派遣先でノギスを使う訓練を受けていないことも事実なわけで…そういう非熟練労働者を大量に生み出しているのが、現行の派遣法制度なのだから、そして、それに甘えて熟練技能者を育てる訓練を怠ってきたのが、派遣を利用してきた企業なのだから、企業が技能の継承ができないことに悩むのは、明らかに自己撞着に思えるのだ。

…派遣を使わない場合なら、素人の新人を雇用して一定のスキルを持った技能者に育てないと、企業自体の存続が危うくなる。逆にいつでも切れると思ってれば、そりゃ教育に金を使わなくなるのは当たり前だ。

 
 
ちなみに、「派遣」という言葉は、派遣法ができる前からあった。

派遣法制定時、某電機メーカーの工場で起きたどたばたは、それを冷ややかに見る立場にあった。なんせ、そのメーカーと元請けがどんなごまかしをやろうとも、現場で実際に仕事をする私たちは、「派遣」だったのだから。

ただ、そのころの「派遣」と、今問題視されている「派遣」の大きな違いは教育機会(OJT)にある。当時の「派遣」は元請けにとっても存在を無視しえないもので、ある程度の訓練を施して時給単価の高い仕事を発注元から引き出さないともうからない仕組みになっていたのだ。さらに言うと、現場、特に工期を限って構成する飯場のような場所で、他人を見下す言動をとるようなレベルの人間は仕事の邪魔になるので、親会社といえどもそういう手合いは現場へ送り出さなかった。

実際、私のいた会社が派遣先から引き揚げた後、そこでは大混乱が起きたそうだ。なにしろ、採算の合う労務費で、単独で海外の現場に出せる頭数が激減してしまったのだから…と、ふとした機会に知った。
 
 

そのあたりが、今の「派遣」と大きく違っていた。

当時の「派遣」は、今でいう特定派遣に相当し、レベルの低い労働者しか供給できない派遣元は利益を上げられなかったのだ。

今のありようになったのは一般派遣を法制上認めてしまったことの弊害だと考える。

本来なら、一般派遣は紹介派遣以外認めないくらいにしないと、大量の非熟練者を生み出してしまう。
それは、産業界にとってもマイナスだと考えるのだが…どうも、アメリカ流の経営手法を信奉する政治家やその取り巻きの学者にはその点が思い至らないようだ。

-------追記------
朝日新聞の記事で(中略)としていたところを追記しました。
当該記事の小見出しは
  仕事分け合い雇用維持
とされ、ワークシェアリング自体がテーマとされていましたが、内容を読むと、ワークシェアリングにより発生した不稼働時間を、政府の援助を受けながら自腹も切りつつ、従業員の技能向上に振り向けている企業群が紹介されていました。
こういう取組こそが「米百俵」と同根のものではないかと考えるのです。
その意味では、ワークシェアリングによる減収を当然の前提としている我が国の政労使のあり方は、大きく的を外したものに思えます。
殊に失業保険の保険料収入から多くの非失業者のための福利施設を建てまくり、挙句にバッタ屋へたたき売った政の責任は重大でしょう。

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2009年5月30日 (土)

新型

ショールームで発売前の先行展示開始というので、早速見てきた。
結論:パス

いや、従来の機種に比べて格段の小型化、軽量化がされたのはわかった。
しかも、防塵・防滴機構もしっかりされ、久々の金属ボディ。
電子水準器なんてギミックも良い。

ライバル他社のうち…
N社とは競争できるだろう。
C社には軽量化でも勝っている。
S社にはバランスで圧勝。(つか、競争価格帯の製品ひっこめてるし)
O社にはファインダーで圧勝。

いや、個人的には比較対象はN社だけなんだけど…
(ミラーを落っことすようなC社とかは問題外…)

でも…
まだ…

図体がでかいよぉ(泣
N社が先鞭をつけたボディグリップ…あれが邪魔だ。
(でも、N社よりボディグリップの厚さは大幅に少ない)
もともと手が小さいからつかみにくいこと夥しい。
…重量バランスは良いと思ったけど。

ファインダーが小さいよぉ(泣
ピントの山が見にくいよぉ(泣
これが最大の問題だ。

 
 
ぶちぶち係員にケチつけたら…
「今 何をお使いですか?」
「××です」
「あ…それと比べられると…(^^ゞ」
…××もあんたの会社の製品だぞっ。

ということで、次のモデルに期待…(その前に潰れそうな不安もあるが)

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2009年5月26日 (火)

おい こら

最近、世間がいろいろ煩いのだが…

敵基地攻撃、法的に可能=能力保有には言及せず-麻生首相
 麻生太郎首相は26日夕、北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力について「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できるということは昭和30年代からの話だ」と述べ、法的には可能との認識を示した。ただ、能力を保有すべきかどうかには言及しなかった。首相官邸で記者団に答えた。(時事通信)

おい、こら、ちょっと待て!
こういうことを平然といってのけるのが総理大臣か?
相手を挑発してどうする?

何度でも書くぞ。

日本国憲法はこう書いてある!

   第二章 戦争の放棄

第九条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

   第十章 最高法規

第九十九条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

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2009年5月13日 (水)

試し

試し

Photo

※フルオート (速度:1/60、F値:5.6、ISO:125)

まぁ露光関係はこれから追い込んでいくとして…
ファインダーはなかなか良い。
暗い所へ行くとノイジーになるのは今後の課題だろうけど、とにかく倍率が高い&fpsが大きいのがなにより。
35mm換算で0.7はMF全盛期に比べりゃ小さいが、今の世の中あんまり贅沢は言えないだろう。
少なくとも0.5~0.6が主流の一眼レフに比べりゃ天地の差がある。

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2009年5月 5日 (火)

壊れた…(/_;)

いや、脳味噌はとっくに壊れてるんだけど…

約10年前に買った銀塩の一眼レフ、最近では現像やってくれるところがめっきり減ったのであんまり使っていなかった。
しかぁし、黄金週間である。
久しぶりにフィルムを入れて撮りに出かけようとした。
まぁ、使用頻度が激減しているので、念のため動作確認をしたわけである。
…ファインダーが真っ黒…
デジカメではないから、電源SW入れ忘れとかいう話ではない。
レンズを見る…キャップは外してある。
レンズを外す。
ミラーが上がりっぱなし…空撮りを何度か繰り返すが、ミラーが降りる気配は一向にない…(/_;)
ひょっとして、このカメラ、ミラーアップ機能あったっけ?
取扱説明書を読む。
そんな機能はない。

壊れた…

こうなると、インターネットは有難い。
メーカーのHPから修理費見積もりを出す。割と安い。
ついでに、その他の気になっているところの見積もりも出して見る。
サービスセンターを探す…比較的近所にあった(電車で30分)
持ち込む…
担当者:「あ、だめですね。こりゃ。修理します?」
私:(当り前だ)「いくらです?」
担当者:「じゃ、見積もりますから。………○○円になりますが、よろしいですか?」
私:(お、ネットの見積もりと同額だ)「もちろん!」
…ここで、要らん欲が出た…昔持ってたカメラが経年劣化でダメになったことを思い出した…
私:「ついでに、△△の交換と全体のオーバーホール頼めます?」
担当者:「できますよ。見積もるからちょっとお待ちを……××円になりますけど、本当にします?」
この××円、ネットでその修理の見積もりを見たときの額の半分である。
私:「お願いしまっす!」
担当者:「でも、今GWなんで、修理はその後になりますけど…構いませんか?」
私:「(うげ(/_;))…仕方ないですよね。構いません」

こうして、GWにフィルムカメラを持ち出す計画はおジャンとなったのだった(/_;)

実は、本当の問題はその後にあった…
帰り道、しょぼくれながらYカメラに立ち寄った。
前々からちょっと気になっていたカメラがあった。
本当は、修理に出したメーカーの新型に期待していたのだが、期待通りのものをなかなか出してくれない。
その期待にかなり近いカメラなのだ…

価格表示を見た。新型が出たせいで大分安くなっていた。
問題は…価格表示の下についていた。
【GW期間限定! 下取り:どんなデジカメでも○千円】
……メモ帳代わりに使っているデジカメがある。7年ほど前に買ったものだ。
ソフマップの中古買取では(スペックが古すぎて)金額がつかない代物である。
悩、悩、悩、悩、悩、悩、

今ある古いデジカメを下取りにだして買ってしまおうか?
悩、悩、悩、悩、悩、悩、

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2009年4月26日 (日)

システム

システムという言葉って、割といい加減に使われているような気がする。
よって、ここでもいい加減に定義する。
 
「入力→処理→出力」の流れをシステムということとする。
※処理だけではなく、入力があって、その入力を処理した結果が出力される というくらいの意味

まぁ 普通、入力が無くなれば出力も無くなるわけです。

「『入力が無くなれば出力も無くなる』=あったりまえのことだろ、ば~か」という声が聞こえてくるような気もしますが…
こんなとこの記事を読むとねぇ…

http://www.tml.co.jp/ramnet/pdf/081215shichi-seisaku.pdf

えっと、リンク先は長文ですが、とりあえず25ページの頭を読んでみてくださいな。

【泡瀬干潟や大浦湾ではサンゴの産卵も確認されており、これらの地域が東海岸のサンゴの幼生の供給源となっている可能性も高い】

と記載されております。
この記載は、専門家によってなされているためか断定はしていません。
しかし、沖縄東部全体のサンゴ礁保全の鍵を握っているのは、上記の泡瀬干潟や大浦湾からの幼生の供給による可能性が高いわけです。

で、サンゴの保全の必要性については環境省のこれにも書かれているわけですな。

http://www.env.go.jp/nature/biodic/coralreefs/#IGI

となると、「入力=幼生の供給」を減少させる(というか 断つ)ということの意味はいかなるものか…と、素人は考えてしまうわけです。

え…2か所のうちの1か所だけの話だろうって?
まぁ右バナーは内1か所である泡瀬のことですけどね…

大浦湾ってのもググってみてくだされ。
辺野古崎って地名見えましたかな?
んじゃ 辺野古でググってみてくだされ…

まぁ、ここまでお付き合いいただけたなら、何を言わんとしているかはお分かりいただけたかと思います。

環境省がHPでサンゴの大切さを説く一方で、別の省庁が環境省の意図に反する行動をとっているわけです。
何たる不整合か…と思うわけです。
 
こういうことを考えていたら、
泡瀬埋め立て しゅんせつ工事“保留”
というニュースが入りました。
しかし、既に今年になって開始された護岸工事の影響は出始めているわけです。
手遅れにならないうちに現状復旧まで視点を戻してほしいものです。

 
 
 
 
 
 
 
などとうだうだ書いてたら…
沖ノ鳥島にサンゴ移植だって…
経済水域確保のためという人間の浅はかさが見える…

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2009年3月15日 (日)

ブランド

一般によく聞くファッションの類のブランドには無縁な生活をしてるんだけど、意外な持ち物がブランド品だったりする。
普段使いに買ったショルダーバッグ、家電量販店のカメラバッグコーナーで見つけた品なんだけど、出張してきた会社の同僚から「えぇ~ えらいもの持ってるなぁ」と言われた。…おかげで気軽に使えなくなった(←この点、なんか間違ってる気がしないでもない)

このバッグ、それまで使っていた¥1,000のバッグがあちこち裂けて買換えたもんだけど。
当然ながらブランドなんて意識せず、使い勝手が良さそうで、そこそこ丈夫そうなのを選んだだけなのだ。
まぁ、確かに言われてみれば、ゴム引きした糸が織り込まれているので肩ひもが滑りにくく、厚手のコットン生地なので擦り切れてきてもそうそうはみすぼらしくないなぁ…位のことは買う時に考えたなぁ。
で、値段も確かに高かったけど、まぁ 払う価値はあるなと判断したわけだ。

ブランド品ってのは、品質が上等だからブランドとして成立するってのは、確かにそうかもしれない。
まぁ、実物をじっくり見たことはないけど、バッグの有名ブランドは材質・縫製からして違うというのは聞いたことくらいある。

ん~、品質に価値があると認めたら少々高くても奮発するというのがブランド嗜好だと言われれば、確かにその通りだなぁ とは思う。
でもねぇ、材料の品質や作りを丁寧にしたら、それなりに値段が張るのは仕方ないことだろう。
別に、ブランドとして確立していない品物でもそれは同じだろうとも思うのだ。
逆に、ブランドだから…って理由で品質が上等とは限らないのかもしれない。
家電メーカーなんかだと、年を経る中で製品の指向が変わっている物も結構あるし…。

大体が、偽ブランドの摘発なんてのがニュースになったりするのも、このあたりの割り切りが不十分なのかなという気もする。
有限責任中間法人ユニオン・デ・ファブリカンというところで、偽ブランドのタイプが掲載されているんだけど、この中のタイプ2は、私には微妙な位置づけに思える。
作りは比較的良い
 細部にわたって、本物に似せてあり、
 偽造の保証書や箱も付いている。」
微妙というのは、「作りは比較的良い」というところ…本家が認める通り、作りは比較的良いのだよ。問題はそっくり真似をすることで真っ当じゃない利益を生むことができるということ。
商売の本筋からいえば、真似なんかしないで堂々と別ブランド立ち上げればいいんだけど、それじゃ商売にならないから偽ブランドとして出荷してしまうんだろうなぁ。
消費者側が、きちんと品質と値段のバランスだけで割り切る購入をしていれば良い話だけどね。
「ブランドだから」買う…のではなくて、「良い品だから」買う…となれば、偽ブランドなんて減ると思うんだけどね。
消費者側も「ブランドだから良い」という信仰を持ってるから、いつまでたっても偽ブランドがなくならないんじゃないのかなぁ…まぁ、それ以前に「良いものとは、どういうものか」という判断ができるだけの訓練を受けているか/受ける機会があるか…という問題もないではないが。

しこう(嗜好)と、しんこう(信仰)
ふりがなだと一文字の違いだけど…

現物に当たるときの考え方には雲泥の開きがある。
こういうことって、世間では結構多いかもしれない。対象に勝手に自分の思いを乗っけて、思いこみだけで「あれは良い。あれはだめ!」と決めつけるようなスタイルは、ネットでも時々見かけるが、何なんだろうなぁ。あれって…「信仰」の部類に見えてならない。たとえ、それがニセ○○を批判すると称していても…。
 

 

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2009年2月 9日 (月)

「夜会vol 15」関係検索でおいでの皆様へ

最近、「夜会vol 15」関連のキーワード検索でこちらへお出での方が多いようなので。

おそらく、今回の夜会をきっちり読み解きたい、中島みゆきさんの世界観を受け止めた上で、なお、その世界が生み出すアートを味わい尽くしたい…ということだろうと(勝手に)推測させていただきます。
その前提で、夜会をご覧になった方にお願いがあります。
今宵はみゆきさんのあの歌声をじっくり噛み締めておられることと思います。
そして、その歌に込められた意味を考えておられることと思います。

夜会パンフレットのあとがきを是非ともお読みください。

その上で、一度、このブログでも取り上げている泡瀬干潟の件について調べてみてください。

 参考URL:
  http://shark.ti-da.net/
  http://kenkokenko.ti-da.net/

そして…そこで何かを感じていただけたら、右のバナー「泡瀬干潟と浅海の埋め立て中止を求めるWEB署名(第3期)」をクリックしてみてください。

え、別にクリックしたからといってどうにかなるもんじゃないです。
そこから先は貴方のお考えしだいです。匿名でも、仮名でも署名はできます。

 
右の署名数は毎日増えています。
バブル崩壊時のあの愚行を今繰り返していることの重さを、その危うさを受け止め、どうしていけばいいのか…一度立ち止まって考えてみませんか?

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2009年1月25日 (日)

生きとし生けるもの

リーフチェッカーさめの日記さんとこの記事を読んでいただきたい。

どんどん工事が進んでいる。
噴飯ものの言い訳も飛び出している。
「内閣府は、新港地区の航路整備に伴う浚渫土砂十五万五千立方メートルを護岸外周約三キロに沿って内側約十メートルの幅で三月中旬までに投入するとし、『(投入せずに)ほっておくと台風来襲時の波で護岸が壊れてしまう恐れがある』と説明した。」

あのぉ…昨年の夏にはこの護岸あったんですけどぉ?
(残念ながら)壊れもせずに残ってますねぇ?
とりあえず、工事中断つう判断がなぜできない?

それから、さめさんとこの記事にある写真、立ち入り許可を得た県議の方からの提供であって、一般市民は近寄らせてくれないそうなんですよ!
警備員をきちんと配置しておけば、喧嘩売るわけじゃないんだからこのくらいの距離まで入っても問題は起きないはずなのに…。
寄らしむべし、知らしむべからず…ですか、そうですか。

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開催日: 2月1日(日)13時~
イベント名称:精霊流し(干潟で死滅する生き埋めにされた生き物の追悼)
実施主体:泡瀬干潟を守る連絡会
概要:1/15に強行された埋立工事のための土砂投入により死んでしまった生き物達を弔う意味と、今後の反省と再生の気持ちを込めて、沖縄式の精霊流しを行う。埋立のニュースに心を痛めている人達が「何かできることは?」と考えてくれている今こそ、今生きている生き物たちを更に慈しむ気持ちを育んでもらいたい。
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2009年1月17日 (土)

この国は…

法治主義とか、法の支配とか…
「国家」の暴走から国民を守る砦と教わってきたのだが…

泡瀬干潟の件で奮闘されているリーフチェッカーさめの日記さんから頂いたTBにリンクされているニュースの画像を見ていただきたい(当然 音声込)。

特に、スーパーモーニングの方で出てくる沖縄県の担当者の発言に注意されたい。
≪画像 7分20秒頃から≫
「行政の事業を進めることに対して、裁判所が一種の介入をして良いのか…と」

あほか!
いや…たぶん、おそらく、ほぼ間違いなく、こいつは自分の言っていることが法治主義に反しているということは判っている。
根深いのは、これが地方債(要は地方自治体の借金)によって行われる事業であるということ。
地方債の発行は国が許可することによってなされる。(地方財政法第五条の四)
しかし、事業主体はあくまで(建前上)地方自治体なのだ。
ここのところ、スーパーモーニングでは、頓珍漢なことを言って埋め立て反対の方法論に否定的な表現をしている人物がいることに注意!
ごまかされちゃあいけません。本当は国に対して行政訴訟を起こしたいところであっても、そこは法律の技術上できなかったのだ。それは過去の行政訴訟で国を相手取るとほとんど門前払いであったことから…わかるだろうが、大谷さん(読売大阪社会部の看板が泣くぞ!!)。

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2009年1月14日 (水)

とりあえず

生きてます。

C.Q. 中島みゆき

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2008年12月21日 (日)

夜会ステージアート

今回の夜会、開場待ちの間もボケーと並んでるだけにならないよう、周辺にイベントを配置されていた。

-TBSのロビーで開かれていたステージアートから-
ツァーDVD でもちらっと出てたけど、こういうのを作ってイメージ合わせてるんでしょうねぇ。

夜会 VOL.7 2/2 のセット模型;
DVDでは前面の格子越しにしか見えなかったところが細かく描かれている。

Photo

Photo_2

こんな舞台下まで…人がいるよ ぉぃ

Photo_3

こちらは、夜会 VOL.10 海嘯
DVDでは舞台セットはジムニー・ロケ場面ではあちゃらのSUVだったけど
そんなことより、フェイはどこ~~?(完全に桜の花に埋もれてます(笑)

Photo_4

 

 

みなさん、ここでは写真パチパチ…でも、大抵携帯か薄型のデジカメ…
こんなの で撮ってたのは私位、浮いてたなぁ(~~;
はい、入場のときにはちゃんと預けましたですよ。

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2008年12月19日 (金)

夜会vol.15(五)

…いやぁ、(二)を書き始めたときは、(三)と(四)が、あぁまで長くなるとは思わなかった(^^ゞ
なに、あれじゃ短い?
いや、そういうことなら夜会アンの皆様方の所に行ってね。

でも、あれは記憶に頼ってるからね。
細かい場面とかで記憶違いはあるだろうし、そこが鍵になってるところかもしれない。
また、(二)でも書いたように、解釈の背景にはその人なりの道程があるわけだ。
あれは、私の辿ってきた軌跡が書かせたもんだともいえる。

で…今回の夜会のテーマも、結構重たいもんだと思ってる。
パンフレットのあとがきに記されているみゆきさんの言葉に、はっとさせられる。
ここに丸写しするわけにはいかないんで、原文を読みたい方はyahでパンフレットを買って読んでいただきたいわけなのだが…。
この国では人の一生というものがなにか誤解されてるんじゃないかという みゆきさんの問いかけに同意するか、否定するか…はたまた第三の道を答えるか、それは本当に人それぞれだろう。

この夏から、ここでは何回か泡瀬干潟の件を記事にしている。人の一生というものですら簡単にリセットできると錯覚する…その心根が、泡瀬干潟埋め立てを典型とする環境の破壊・社会の破壊を容認しているのではなかろうか?
やはり、私は人間であり続けたいと足掻いているのかもしれない。

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2008年12月17日 (水)

夜会vol.15(四)

-承前-

前がえらく長くなってしまった(^^ゞ
…ほとんど力尽きた。記憶もだんだん薄れてきた…端折ろう;;
乞う DVD発売。

<登場人物は各場について最初だけパンフレットに書いてある通りに書きました。とはいっても、その場に登場した人物が本当にその登場人物だと言いうるのかは自信ありません(特に、安寿と厨子王)。その他の文中は適当に略します>

【承】水族館
舞台:水の底の水族館
登場人物:暦売り、水族館の飼育員(姥竹)、脱走した花嫁、左官、安寿、厨子王
時間設定:不明(おそらく現代)

ここは「リセットしたはずの過去」の溜まり場。弟を縁切りした安寿がたどり着き、安らけき寿を捨てた花嫁が飛び込んで来、そして愛する家族をうまうまと奪われてしまった母が潜む、そういう「リセットしたはずの過去」の澱みが水族館の魚たち。

非常に抽象化されたビニール風船のような魚たちが吊るされている。
中央の舞台は、やけに古ぼけた感じの壁。その壁に取り付けられた扉をヨッコラショという感じで開いて、暦売りが入ってくる。えらく疲れた感じ。
この時に流れる暦売りの歌、如何にも疲れたぁ…という感じが出ている。一幕目の暦売り登場の場面と、大きく違う。(一幕目の暦売りは、さぁ仕事するぞぉ(^^)/という感じ、ここでの暦売りは仕事が終わらねぇ(;O;)という感じ…で)
暦売りは履いていた藁靴を脱ぎ棄てて、ひとしきり愚痴る。ここで藁靴というところがポイントの一つ、山椒大夫では、安寿が入水した沼のほとりに藁靴が一足残されていたとある。したがって、ここでの暦売りは安寿の姿とも見える。
愚痴を終えたのち、幽霊交差点を歌いながら、魚たちと戯れる。この歌、トーンはまったく異なるが心守歌 に収録されていたあのバスにを思わせる。
音楽がいきなり変わり、飼育員登場。魚たちに餌を与え始める。暦売りにも餌の魚を押し付ける。
飼育員の目には、暦売りも他の魚たちと同じ存在に見えるのだろう。この飼育員は次に出てくる脱走した花嫁にも同じように接する。花嫁は嫌がって逃げるのだが、飼育員はしつこく追う。
そう、ここは誰かがリセットした過去が集うところであり、その過去が記憶の底から浮かんでこないように、飼育員が抑え込んでいるのだ。
ここでは、暦売りも花嫁も、誰かが封印した記憶だ。

しんみりした気分にさせる進行の中に、突然左官が現れる。それも扉からではなく、屋内消火栓の収納箱から…。左官については、古代官位制度の主典(さかん)との掛詞で、出世した厨子王を暗示している。
で、有機体は過去を食らふの歌の中、舞台の壁や階段に何かを塗りつける。この塗りつけた何かも意味が隠されているのだろうが…。
そして、左官は消火栓に戻っていく。この左官の登場と退出の形から、左官は暦売りや花嫁とは異なる存在であることが覗える。彼はリセットされた過去ではないのだ。
左官が塗り仕事をした面に暦売りが、暦をペタペタと張っていく。流れる歌は私の罪は水の底、ここでいう罪とはなんなのか。リセットされるような過去が罪なのか、それとも過去を忘れ去ろうとするのが罪なのか。
そこへ左官 再登場。先程暦売りが張った紙を見て激怒、「タワケェ」と叫ぶ。…飼育員(姥竹)が、名を呼ばれたと勘違いして登場。ここからの左官と飼育員のやり取りで、飼育員が姥竹であるのみならず、安寿の過去を背負っていることが明らかになる。
ここから、なぜか毬が飛び出し、例によってバスケットボールが始まる。このバスケットには左官、飼育員に花嫁まで参加。しかし、暦売りは参加せず、脇から楽しそうに見守っている。まるで母が子供たちの戯れるのを見守るように。
左官、飼育員、花嫁がバスケットに興じながら場面から去る。
飼育員がいなくなったためか、魚たちも舞台から消える。
そして、消火栓の火災報知機が点滅を始める。これは前幕での縁切寺の炎上に呼応するものと思われる。
縁切寺という過去を呼び寄せる仕掛けが無くなったのだから、もう、過去をつなぎとめておく水族館の役割も終わったのだ。寺の炎上に呼応して水族館も燃え落ちる。
暦売りは逃げ出そうと扉に取っ組むが…開かない。扉に体を寄せて崩れ落ちる暦売り。
そして、鐘の音が鳴り響き、場が変わる。

【転】船
舞台:水の底から水面
登場人物:母、姥竹、安寿、厨子王
時間設定:不明(おそらく平安時代)

この場がどこから始まるかについて、私は鐘の音を切りにしたが、異論はあるはずだ(私も少々迷った)。
リセットした過去たちが水族館から解放され、暦売りだけが取り残されている。
そこへ飼育員・花嫁と左官が登場。
定め書きを読み上げ、厨子王(左官)と安寿(飼育員)の過去の交差点、分岐点となった時間が明らかになる。
そして暦売り(母)にそれを突き付ける。ここで始まる十文字の音楽とともに安寿、厨子王と姥竹は消火栓をくぐりぬけて退場。

一人残された暦売り(母)がほうやれほを歌い始める。
-------------------------------------------------------------------
安寿恋しや、ほうやれほ。
厨子王恋しや、ほうやれほ。
鳥も生(しょう)あるものなれば、
疾(と)う疾う逃げよ、逐(お)わずとも。
-------森鴎外作 山椒大夫 より--------------------------------------

歌の中には、子供たちへの思いだけでなく、旅をするきっかけとなった夫への切ない思いも歌われている。過去への後悔・懺悔に満ちたこの歌…切々と歌い上げるこの歌の最後を、「百九番目の除夜の鐘…」の歌声が圧倒する。
後悔ばかりでは前進しないこと、流れている歴史の中で後悔に囚われ、懺悔するのみでは何も解決しないことを示すかのように、百九番目の除夜の鐘の音の中で、母は倒せ伏す。

そして…ゆっくりと起きなおり
「泥から生まれて 泥になる。
泥を食ろうては 生きてゆく。
誰が悪いじゃないけれど
私は ここにいる」
とつぶやく。ここから紅蓮が歌われる。
誰にも見られない真夜中に紅蓮は開花する。この暗示。後悔や懺悔を乗り越えたとき、初めて人の豊かな一面が開花することの暗示のように…。
母が着ていた着物を一枚脱ぐ、純白の修験者のような衣装。つまり、この脱いだ着物は蓮の華の開花前の固いつぼみか。人を抑圧する後悔や懺悔の気持ちか。

そして…赦され河、渡れが激しい調子で流れ出し、天井から船が下りてくる。場面の照明も一段と明るくなる。
水底から浮き上がってきた厨子王、安寿、姥竹(みんな純白の狩衣姿)が、母の手を借り、水面に躍り出る。
三人とも船に乗り込む。屈託のない解放された笑顔で空を見上げる。

場面の照明が落とされる。赦され河、渡れの歌だけは続いている。

【結】今晩屋
舞台:不明
登場人物:今晩屋
時間設定:不明
用語定義:ステージ=いわゆる舞台、舞台=ステージの上に一段高く設えられた演舞台…これ定義しておかないと、この場の演出が説明しにくい。

物語がハッピーエンドで終わる設定なら、前の場でエンディングのはずなんだが…。

赦され河、渡れの歌に被るように夜いらんかいねが始まる。
今晩屋…この言葉がどうにもわからなかった。しかし、暦売りの役割を考えると、人々がリセットしたはずの「過去」を蓄える存在かなぁ…と。リセットなぞ出来ない過去を…リセットしたはずと錯覚させることで、人々に平安を売るのが、今晩屋 なのかな?
いやいや、そんなもんじゃなさそう。
おそらく、鍵は夜の対価が昼であること。
人は人として生きるうちに、何度か押し殺したい/消し去りたい過去を有するものだ。しかし、その過去は記憶の表層からは消え去ったように見えても、人の記憶の中に澱となって淀んでいる。圧し込めた過去が多ければ多いほど、現在の分岐点において、圧し込めた過去が「あの時 あぁすれば…」という後悔となって甦るのだ。
その後悔は、圧し込めた過去に纏ろう楽しかった記憶とともに甦る。
今晩屋は過去そのものではなく、後悔を、涙を拭い去る商売なのだ。だからこそ、楽しかった過去(昼)を対価とするのだ。

ラストの曲、天鏡がゆったりと始まる。その歌は徐々に力強くなり、朗々と歌い上げられる。
それに合わせ、ステージ一面に水が流れ落ちる。この水は、涙…舞台は涙の中の瞳である。

エンディングの伴奏が流れる中、みゆきさんが膝まづいて客席に深々と頭を下げる。
-幕-

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2008年12月16日 (火)

夜会vol.15(三)

-承前-

<登場人物は各場について最初だけパンフレットに書いてある通りに書きました。とはいっても、その場に登場した人物が本当にその登場人物だと言いうるのかは自信ありません(特に、安寿と厨子王)。その他の文中は適当に略します>
【起】縁切り寺
舞台:縁切寺(尼寺)
登場人物:暦売り、縁切り寺の庵主(姥竹)、元・画家のホームレス、脱走した禿、安寿、厨子王
時間設定:現代の大晦日、除夜の鐘が響くころ

場内に流れる鐘の音、照明が落ちてからもざわついていた客席が静まりかえる。
ゆっくりと流れ出す十二天のメロディーの中、舞台の前(袖じゃありませんぜ)に作られた段をゆっくりと上ってくる暦売り。

ここからの口上で、みゆきさんの仕掛け、というか問題意識がだんだん見えてくる。
・時は除夜、大晦日に暦を買う人はいるのだろうか(ここで、「わたしゃ買いますよ。安売りしてるから」と御考えの貴方…御尤もですが…ねぇ(^^ゞ)。
・除夜の鐘ってのは、大晦日に撞かれるもんだよね。大晦日は一年の締めくくり、私たち凡俗はこの日を一つの区切りとして生きている。新年の始まりに「昨年のことは忘れて今年が好き年でありますように」なんて挨拶…聞いたことありませんか。さてここで疑問…なんで一年の締めくくりは大晦日じゃなきゃいけないの?12月31日と1月1日の間は、1月28日と1月29日の間と何が違うの?除夜の鐘はこの一年をリセットする仕掛けじゃないの?
・暦ってのも、昨日(日めくりの場合ね…月単位なら昨月)の分はどうしてる?大抵捨ててるよね。これは昨日の紙を剥がすことで、昨日をリセットしていることにつながるんじゃなかろうか?
・縁切寺…一般には、夫婦の縁を切る(リセットする)ことで、人生をやり直す仕組み。この夜会では売られた子供が駆け込んでくれば、その子の人生をリセットさせる仕組み。

夜をくだされから海に絵を描くが歌われて、元画家が登場。
この二曲、タイトル『今晩屋』にもつながる伏線が隠されているようだったんだけど、か、歌詞がぁ…;;。
で、この元画家…記憶喪失なんである。しかし、何かに追われていること、何かを忘れてしまったということだけは覚えていて、その何かを探し求めているという奇妙な記憶喪失なんである。
名前まで忘れてしまって、暦売りに名前を売っていないかと問い質す。
何かの約束をしていたらしい<ここ重要
不思議なことに暦売りは彼の過去を知っているような素振りを見せている。暦売りが萱草という言葉を囁く。何かを思い出しかけているような素振りを画家が示し始める…と、そこでいきなり暦売りはここまでの料金一万円と称して手を差し出す。当然、画家は何のことやらわからない。わからないなりに「高い」と抗議…「タカイ」→「タケエ」→「タケェ」と…

ここで庵主(姥竹)登場。この人名前を呼ばれると必ず出てくる設定…画家の「タケェ」の声に呼応している。
かいがいしく、というかおせっかいというか、画家の世話を始める。嫌がって寺の床下に逃げ込む画家の足を掴んで引きずり出してまで世話を焼こうとする。この辺の庵主と画家のやり取り、結構笑える…しかし、ここは夜会である、誰も大声で笑ったりはしない(笑。
この間に、暦売りは寺に忍び込んで柄杓を持ち出している。流れる歌は私の罪は水の底
暦売りは柄杓を荷造りの中にどう納めるか考えている。そこへ庵主から逃げる画家が体当たり…柄杓は舞台の外へ飛ばされる。それも二度までも。暦売りは画家に食って掛かるが、画家は庵主から逃げるのに夢中で暦売りを相手にしない<この、暦売りの柄杓への拘りが気になるんだよなぁ。

暦売りも柄杓を諦めて、荷造りを始める。このとき歌われるのが百九番目の除夜の鐘
柄杓を入手できなかったせいか、荷造りもいささかやけっぱちな感がある。

この歌の間に寺の裏から禿登場。いかにも無邪気に暦売りの周りをうろうろするんだけど、暦売りは気がつかない。そうこうしているうちに、禿が先程暦売りの失くした柄杓を持ってきて、暦売りの後ろにそっと置く。
暦売りがヒョイと振り返って、禿に気づきびっくりする。禿はどこかへ消える。
暦売りは柄杓があるのに気づき、庵主を呼び出す。
庵主の説明で、禿が売られた先から逃げ出した子供であり、何かの約束に縛られて縁切寺へ逃げ込むことができずにいる幽霊であることが暗示される。庵主は説明を終えると、柄杓を暦売りから取り返して寺の中に入る。
ここで暦売りの独白。
約束事はその場の気持ち。嘘つく気持ちは無かろうとても、守るに守れぬ成り行きもある…売られた子供は待ちぼうけ」<ここ すっごく重要
独白のあと愚かな禿が歌われ始める。この「愚かな」というところ、重要。愚かさは王様は裸だと叫んだ子供の姿につながる。愚かなるが故にか、縁切寺というツールを使わず、ひたすら約束を信じ待っている。

禿は毬をついている。
さて、ここからがネットの一部で物議を醸しているところなんだけど…。
この毬つきを寺の床下から見ていた画家が現れて、禿と一緒に遊び始め、毬つきがバスケットボールに変わる。
この意味はなんなのか?
ここで、「安寿と厨子王」のモチーフが被る。二人とも相手を姉弟とは認識していない。しかし、その関係が切っても切っても切れないもので、幾百世を越えても彼等がつながっていることをこの場面は示しているのではないか。二人の間を行き来する毬は、二人の間で共有されていた「時」ではないか。

う、だんだん記憶が薄れてきたぞ(^^ゞ

バスケットボールに飽きたのか、画家は舞台から再び消える。禿はまた一人になってしまう。
そこに流れるのが憂き世ばなれ
この歌の間に寺の廊下から大量の紙風船が流れ出てきて、禿は無邪気に風船と戯れる。
庵主も出てきて、禿を寺に誘導する。大量の紙風船の中を、禿は縁切寺の中に消える。

暦売りは紙風船のいくつかをペシャンと潰して持ち帰ろうとしている。ここで流れるのが夜いらんかいね
いつのまにか紙風船は舞台からなくなり、鐘の音が響く。
ここで画家(厨子王)登場。潰した紙風船を碗に見立てて、
安寿との別れの場面までは思い出している。しかし、なぜ姉と別れねばならないのか、別れてから何をすればいいのか…途方に暮れている。ここで暦売りが厨子王の背後から萱草と、厨子王の別名を囁きかける。そして「都へ逃げよ、疾う逃げよ」と繰り返し囁きかける。暦売りは安寿と厨子王の離別のときを、安寿自身のように語りかける。
厨子王も、徐々に思い出し始める。己が姉を迎えに帰ることができなかった後悔を思い出しかける。
暦売りは、そこまで見届けてから「見殺しにせよ、骨肉を」と叫び、厨子王を突き飛ばす。この叫びは安寿の心中そのものなのではなかろうか。

ここから場面は急激に変わる。

姥竹が旅装束を持ち出し、厨子王に着せてゆく。その後ろで、禿が寺に火を放つ。
ここんとこ、ものすごく重要な場面、というか、見方の分かれる場面。
禿(安寿)の寺に対する思いはどこにあったのか?
紙風船につられて踏み込んでしまった「寺」の役割の否定か、あるいは、「寺」の役割を肯定したうえで厨子王を送り出した後、誰にも後を追わせないための細工か。
姥竹と禿(安寿)が扉を開けて支える中、厨子王が炎上する寺に踏み込んでゆく。
厨子王が扉の中に消えたのち、寺は轟音とともに崩れさる。(ここ、豪快)
安寿が下手に身を投げるようにして消える。続いて姥竹が上手に同様に消える。それぞれの消えたあとには藁靴が片方づつ残されている。(山椒大夫では姥竹、安寿とも入水して果てている)

すべてが終わった後、暦売りが消火器を抱えて飛び出してくる。そしてがっくりと膝を折る。
暦売りは過去をリセットするツール(暦)を売って商売しているのだから、同様な仕掛けである縁切寺の火事を止めようとしたのであろう。しかし、間に合わなかったわけである。
しょんぼりとした様子で藁靴を集め、一足に揃えて舞台に置いて、暦売りも去る。

この幕は、誰もが持っているであろう「疎ましき過去をリセットしたい」という願望、それを見掛け上実現するツールを紹介し、その一つが崩壊する様を描いている。

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2008年12月15日 (月)

夜会vol.15(二)

ハードウェアについて書き、役者さん(ファームウェア)について書いたら…ストーリー(ソフトウェア)についても書かないと収拾がつかんな(^^ゞ。

いや夜会については、数多の夜会アン(-an;精通者)がいらっしゃって深い考察をされているわけで…。
まぁ自分に収拾をつけておきたいなっ…と。以下は私の恣意的解釈なんで、間違っても根拠を示せとはお考えにならないようm(__)m
(根拠といっても、この舞台を見ていない人に伝えるのは難しいからなぁ…将来DVDを出してくれれば「あれ見て」と言えば済む話なんだけど、現時点ではパンフレットしかないものねぇ)

作劇としては、忠実に起承転結の作法を守ったものなんだな。第一幕が「起」、第二幕に「承」「転」「結」が詰まってる。だから、全体をとおした主題、起承転結の各場面についての解釈なり感想なりをメモ的に書いてみよう。

その前に…思うんだけど、夜会はいろんなところにトラップが仕掛けられていて、いろんな解釈が成り立つようになっている…だから、夜会アンが、いろんな解釈を公表してるんだな。
で、その解釈はそれぞれの人の生きてきた道程を背景に持ってるから、読んでて面白いのだな。
<私の文は面白くないだろうな(^^ゞ…と断言しておく>

【主題(改めて 極めて恣意的解釈)】
人(個人)は、人類の歴史から無関係でいられるわけではない。過去に存在した人達の足跡の上に立っている。
人が(社会的な意味で)人であるのは、過去の人々の営為の蓄積の上に立っていることの認識が必要。
ただし、この認識において、過去を全肯定する必要はない…というより、否定すべき過去も含め、過去を変えることはできない。
過去を変えることはできなくても、未来を求めることはできる。未来を求めるのに、過去を切り捨てることが必要とはいえない。切り捨てることが次の悲劇の素になる。
切り捨てた過去があるからといって、それにより永遠に断罪され続けることはない。
自分が人間であること、他人も人間であること…その当然のことを理解できれば、共に手を携えることができれば、未来は開ける。
内容総体としては「泥海の中から」を思い出させる。
みゆきさんの主題は、パンフレットのまえがきにある安寿と厨子王のその後より、あとがきにある人の一生というものはリセットなど効かぬものというところに重点が置かれている。

ところで、パンフレットのまえがきに、この物語は安寿と厨子王のその後…とある。
森鴎外の山椒大夫でもさらりと流されているが、この弟の視線はかなり重たいものがある。
・弟からの視点
-------------------------------------------------------------------
女は早くおとなびて、その上物に憑(つ)かれたように、聡(さと)く賢(さか)しくなっているので、厨子王は姉の詞にそむくことが出来ぬのである。
-------森鴎外作 山椒大夫 より--------------------------------------

姉は弟を送り出し、自らは入水して果てた。
その前に交わした約束は「これは大事なお守りだが、こんど逢うまでお前に預けます。」だった。
これは今生の再会を約束するものではなかったのか?
この約束を信じて別れた弟にとって、姉の入水はいかなる意味を持ちうるや。別れたということが、姉を見殺しにしたという後悔につながるのではないか?姉が入水した場所に尼寺を建てた…その意味は、単に故人を弔うことのみであろうか…。

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2008年12月12日 (金)

山椒大夫(森鴎外 著) 再読

再読といっても、前に読んだのは一体いつだったろうか?というくらい読んでなかったのだが…。
漱石の方は高校の授業で採りあげられて暫くの間「K」と呼ばれていたためもあり、口語体が馴染み易く結構読んでいたりするんだけど、鴎外は阿部一族とか高瀬舟とか…なんとなくハードルが高かった。「舞姫」より「こころ」だったわけだ。

まぁ、今回は中島みゆきさんの夜会vol.15の底本ということで、そちらの予習として読み直したわけだ。
再読してみて、鴎外という人は近世から近代への移行期のエリートだったんだなぁと改めて思う。
やはり、近代日本のエリートとして、近代以前の因習を払拭しようという意図を持って書いてるような、そんな感じがする。
いや、漱石も近代日本のエリートということは同じなんだけど、鴎外の方がそういう意図が直截だ(漱石は少々ひねくれている)。

で、読み返して…ぞっとした。
ひょっとして日本の社会は明治から進歩してないんじゃなかろうか、鴎外が払拭すべきとした因習は未だ私たちが生きているこの社会に厳然として存在してるんじゃなかろうか…と。

---------------山椒大夫(森鴎外 著)より引用 開始----------------
 子供らの母は最初に宿を借ることを許してから、主人の大夫の言うことを聴かなくてはならぬような勢いになった。掟を破ってまで宿を貸してくれたのを、ありがたくは思っても、何事によらず言うがままになるほど、大夫を信じてはいない。こういう勢いになったのは、大夫の詞に人を押しつける強みがあって、母親はそれに抗(あらが)うことが出来ぬからである。その抗うことの出来ぬのは、どこか恐ろしいところがあるからである。しかし母親は自分が大夫を恐れているとは思っていない。自分の心がはっきりわかっていない。
---------------引用 終了------------------------------------------
こう、一度でも恩を着ると(借りを作ると)、どこまでもそこに付け込んでくる輩は今でもいるわけだ。
そして、それに真っ向から切り返せない、「恩義」というものを無制限に重く背負ってしまう人も未だいるわけだ。
人の行為への対価は有限という概念が存在しない頃なら「恩義を無制限に背負わせる」ことも成立しただろう。
それによって、奴隷労働が容認されてきたわけで…。
しかし、現代でもリフォーム詐欺のとっかかりは小さな恩を着せる(話し相手になってやるとか)ことから始まるとかいう話をどっかで聞いた。DVなんかは「恩義を無制限に背負わせる」典型なんじゃないか。
鴎外はそれを受け入れてしまう心の在り様に警鐘を鳴らしているわけだが(この小説は大正4年発表だぞ)。

鴎外がより直截的に近代を受け入れよと書いているのが、以下のところ。
---------------山椒大夫(森鴎外 著)より引用 開始----------------
国守は最初の政(まつりごと)として、丹後一国で人の売り買いを禁じた。そこで山椒大夫もことごとく奴婢を解放して、給料を払うことにした。大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、このときから農作も工匠(たくみ)の業(わざ)も前に増して盛んになって、一族はいよいよ富み栄えた。
---------------引用 終了------------------------------------------
国守とは成人した厨子王のことだが、それは措いといて。
ここで引用した文は、もう資本主義の入門だよね。あえて、小説の中にこういう文章を盛り込むところが鴎外の問題意識なのかな…と。当時そういう文章を書きたいと思わせるものがあったんだろうね。
でも、現代でどうか?私にはどうしても派遣労働の在り様や、収益減少の調整弁に首切りを要求する企業の在り様が思い浮かんでしまうのだ。
資本主義も鴎外の時代から洗練されて「ケインズ理論」なんてものも成立しているにも関わらずだ。

なんと、人間社会の進歩が遅いことか…。

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2008年12月11日 (木)

夜会vol.15(一)

実は、一か月分の生活費を投入してこんな催しに行ってた。
Photo_5
                     ↑
                  本日の食糧(^^ゞ


前の記事、ここの数少ない常連さん(なんせ一桁)にはワケワカメなものだったと思うけど、
ここは、本来中島みゆきさんのファンが書いてるブログなのだ(^^ゞ
間違っても、誰かを啓蒙しようとか、蘊蓄を垂れようとかいうブログではない<あえて表明する。

 
すぁて、本題…

・ハードウェア
劇場も一階と二階では大きく違うなぁ…と、初心者の弁。
先日の傾斜にびびってたから、恐る恐る入ってみたら…あら?ずいぶん平坦だな(?_?)
それに、舞台が予想外に近いなぁ。P列だからもっと遠いかと思ってたのに…ほこほこ(^.^)。
音も全然違う。今日の席だと、舞台で出ている音が、(場面によっては)直に聞こえた。
紙風船を潰したときの音がちゃんと舞台から聞こえたのには吃驚…あれをマイクで拾って、ミキシングして、スピーカーから出してるとしたら、凄いなぁ。
うん、この劇場ではスピーカーを使う音楽は二階席じゃまずいな。生オケだったら面白いかもしれないけど。
やっぱ、装置は凝ってるわ。2階からだと二幕最終場の舞台、緋毛氈を敷き詰めているのがわかったんだけど、一階最前列じゃあれは見えない。逆に第一幕のラストでみゆきさんが抱えてるのが消火器だということは、二階からじゃよくわからなかった。二階からだと張りぼてだった縁切寺(あれ八角堂だよな?)も、一階からだと立体感のある描き方に見える。一番違うのは、やっぱ照明、見下ろし目線だと光源が気になって見えなかった背景が細かいなぁ…と。
それと、どうしても昨年のツァー会場と比較してしまうんだけど、ここ建物の空間に遊びが少ないね。ツァーのときは始まったら最後まで一気、途中退場可、トイレ休憩ご自由に…だったから良かったけど、今回は幕間があるからねぇ。設備的に苦しい。幕間中トイレに長蛇の列、下手すれば幕間がそれだけで終わっちゃう。Goodsの販売もあれじゃ辛いだろうなぁ。
それに、閉幕してから会場内で余韻を楽しむ雰囲気じゃないというのも…まぁ、場所が場所だから、そういう贅沢を楽しみたければ近所の店に行け…ということなんだろうけど、あの音楽を聴いた後でいきなりジャンルの違うBGMは似つかわしくない。

・役者さん
みゆきさんは措いといて
香坂千晶さん:夜会だとコミカルな役が多いのかな。今回はそのコミカルさに磨きがかかったような…
土居美佐子さん:クレジットにactorとして出るのは今回からかな?禿の演技で紙風船を軽く投げてから、体を回転させるところ、風船が振袖の上に乗ったままに見えた。振袖が水平になる速さで体を回しながら、その上にある紙風船を横へ飛ばさないというのが凄い。
…でも、このお二人、今回の演技では衣装の関係もあってわかりにくいんだよなぁ。いや、二人同時に出てくるとわかるんだけど(当たり前だ)。
コビヤマ洋一さん:難しいぃ。00時発のDVDでも思ったんだけど、この人のキャラクターに舞台全体が引っ張られたいるような。
 

 

じぇんじぇん関係ないことだけど、ファンクラブのチケットとe+のチケットで印刷が違う…発売元毎に印刷変えてるみたい。なんでだろ?

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2008年11月29日 (土)

そろそろ年末…

大掃除の季節が近づいてまいりました。
大掃除といっても、大したことする訳じゃないんだけどね。
メインはPC関係だし、今年は後半になって組んだからケースの中は開けなくて良いし
!(^^)!

そうなると、掃除の対象は周辺機器となるのだけれど…
数年前の悪夢がよみがえる(*_*;

普段使ってるキーボードが…汚れたなぁ、と…煙草の灰やらなんやらかなりくっついてるし、単純に掃除機で吸い取るだけじゃ奇麗にゃなりそうにない。キートップを外してフレームを拭いてやらなけりゃ…。
どうせならキートップを洗濯しようと思い立った。

この時より更に数年前980円で買ったキーボード(以下 980円)があるから、洗濯物が乾くまではそっちを使えば良いし…と気楽に考えた。
980円をPCに接続して…はて?入力が効かないキーがある…それまで押し入れの中に立てかけてあったのだから、キーボードのSWにゴミが入り込む可能性は低い。
こうなると普段使いのキーボードの掃除どころではない。
980円をばらし始める(←こういうのは職業柄、結構簡単に始めてしまう)。
ばらしてみて…(@_@;)
安物だからシート式のメンブレンだというのは判っていたのだけれど、そのシートが…裂けてる(-"-)。
裂けてしまったシートはさすがに修理不能(コスト無視すりゃ直せるけど、なにせ980円)。
980円はバラバラにして…粗大ごみ扱いされない程度に細切れにして、燃えないゴミ。
しかし…立てかけておいたら自重で裂けるシートって、どんだけぇ!

さて、こういう経験をすると安物は怖い。ついでに言うと、キー毎にラバードームが入ってるやつは掃除が面倒、ゲートウェイのキーボード(実家にて現用中)がこのタイプなんだけど、キートップを外したらラバードームが無くならないようにきちんとまとめとかにゃいけない。

…で、今年は新しい(ちゃんとした)キーボードを買おうかなっと。
東プレのRealForceが評判いいんだけどぉ…高っ(@_@;)
やっぱ、今使ってる流れでFILCOかなぁ…。

 

 

   

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ゲーム

バブル崩壊直後、ある会社の主任昇進者向け経理研修というものを受講した。
まぁ、バブルが弾けた直後で、会社にもまだ余裕があったんだろうね。
そういう研修を請け負う会社に委託しての研修だった。
別に経理マン養成講座というわけじゃなかったから、会社経営とマネーフローみたいなことの概念を教えようとするものだった。
記憶に残っているのが、その研修の仕上げに経営シミュレーションゲームをやらされたこと。
ある一定のルールにしたがってゲームを進めると、以下のことが理解できる…という目的だったようだ。

・とにかく物を動かせ(=売買行為を積極的にやれ)
・手元に商品在庫を持つな、資金を持て。
・損切りを恐れるな。

ここまで枕(枕が長い(^^ゞ)

泡瀬干潟埋め立て事業について、那覇地裁は「現時点で事業の経済的合理性を欠いている」と判断した。
つまり、現時点では泡瀬干潟を埋め立ててできる土地は地方自治体の不良在庫になると判断したわけだ。
これまでも、公共事業により建てられたハコ物が維持運営できず二束三文で転売されて批判を浴びた例がある。
最近の例ではやはり厚生省所管の特殊法人である年金福祉事業団がやらかしたグリーンピアである。

泡瀬では埋め立て地をリゾート企業等に分譲する予定だったが、その事業に手を挙げる企業がほとんどないということが既に知られている。
また、埋め立て用土砂は、湾の奥に作られた新港地区への大型船舶入港を可能にするべく航路を浚渫した土砂を使用することになっている(<要は埋め立ててできた新しい土地を活用することが目的というより、浚渫土砂の捨て場所を近くに設ける(安く捨てる場所を作る)ことが目的じゃないか)。
しかし、新港地区自体、大型船舶による輸送を要するような企業がほとんど入居していないのだ。

さて、電子政府というものは便利なもので、現沖縄市長が国会議員だったときの質問答弁が残っている。
(7年前のものである)
ここでは、現沖縄市長の当時の質問の意図はあえて問わない。
問題は答弁書に添付された、港湾計画の予測と実績である。
取扱貨物量:計画=約1100万トン…当時の実績=615万トン
計画値に対し約半分の実績しかない。

 
 
だから、損切りを恐れてちゃ只の原っぱが残るだけ…なら良いが(良いわきゃないが)、国際的に既に注目されてんだよ。
埋め立て強行して後に残るのが、無駄に投入された税金による人工の原っぱと国際的悪評だということがわかってんのかなぁ。

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やはり控訴か

年末に向けて、軽い記事を書こうとしていたのだが…

こちらにちょこっと書いていた件、やっぱり…
当初は議会に諮って控訴へ持ち込むという話だったが、とうとう議会の合意を得る見込みがないことに気づいたらしい。

長野県の脱ダム宣言のときにも話題になった記憶があるが、こういう開発事業は地方自治体だけでは経費を賄えず、国の補助金に依存することになる。それにより、「中止」という決断をした場合に国から補助金の返還を求められる(補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律第十条第一項)ため、なかなか中止の判断ができないとか…。

なんか、銀行の中小企業への押し貸しみたいな話だよな、変だよな…

で、調べたらありました。

内閣府が公表していました。

第47回地方分権改革推進会議小委員会の議事録と、それに財務省が提出していた資料
ということで、議事録から抜粋いたします。
(財務省勝主計局次長の発言から)
-------------------------------------------
「公共事業再評価に伴う補助事業中止の場合の補助金返還要件の明確化」ということです。これは、時のアセスメントという公共事業の事業を5年ごとに見直しましょうということで、10年度予算から試みておりますけれども、これにつきましては、地方分権推進計画におきまして、公共事業再評価の結果、補助事業等を中断する場合、補助金適正化法第10条第1項の適用がある場合には、既に事業等の執行が済んだ部分につきましては、補助金等の返還が求められることがないように明確化しております。また、こういう趣旨を再度、15年3月の連絡会議におきまして、関係省庁から地方公共団体へ通知を通じて徹底させていただいているところでございます。
-------------------------------------------

ついでに、財務省が当該委員会に提出していた説明用資料から
-------------------------------------------
また、国と地方に係る経済財政運営と構造改革に関する基本方針(平成14年12 月24 日)において、公共事業再評価に伴う補助事業中止の場合の補助金返還要件の明確化を図るため、行政機関が行う政策の評価に関する法律に基づいた適正な手続きを経て実施された公共事業再評価の結果、事業主体である地方公共団体が補助事業を中断した場合には、補助金等適正化法上の義務違反がない限り、補助金等の返還を求めることがないことについて周知徹底を図ることとしたところであり、補助金等適正化中央連絡会議幹事会や関係省庁から地方公共団体等への通知を通じて、周知徹底を図った
-------------------------------------------

今後問題になるのは司法判断を、行政が「適正な判断」と認めるか否か…ということになるんでしょうか?
ならば、県や市は(特に支持団体が控訴断念を要請した沖縄市長は)今回の司法判断を認めないことの重さを感じるべきじゃないのかな。

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2008年11月24日 (月)

今年の冬は寒そうな気がして

掛け布団を買い足しに街に出た。
(打ち直しに出すと、戻ってくるまで掛け布団が無くなるのだ。)

子供のころ、打ち直しに出した綿を使って側生地をつける作業を結構見慣れていた。
一時、化繊綿の布団も使ったけど、側生地が擦り切れた後、打ち直しができないので処分に苦労した。
だから当然のごとく、木綿綿の布団を探した。

大手スーパーの入居しているショッピングビルで探した…
……無い…
布団はあったが、化繊綿とか羽毛綿とか…肝心な、打ち直しのできる木綿綿の布団が無い(-"-)

商店街で探した…
……無い…
そもそも、布団屋が…無い(-"-)

家を出てから○十年になるが、こんな街並みは初めてのような気がする。

そういえば、ここの街並みの匂いも違うな。
そうだ…お茶の匂いがしない。
あの釜で炒る香りがどこからもしない。

カメラ屋も…昔ショーウィンドウに並んだカメラ(中古・新品)を見て涎を垂らした…あのカメラ屋も無い。

今あるのはおしゃれなカフェ、レストラン(決して大衆食堂ではない)。

これまであまり気にしていなかったけど、なんか自分が場違いな場所にいる…。
 
 
 
 
 
※結局、布団は通販で買いました。スーパーで売ってた化繊綿に比べると2倍以上の値段がしたけど、側が擦り切れるたびに粗大ごみに出して買い替えるよりは得かなと、自分を説得しました。
…問題は、そのころに打ち直しをしてくれるところがあるかなぁ…ということだけど(^^ゞ

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2008年11月22日 (土)

40万円の生活費(課税対象)への消費税額は?

まぁ、話題としてはかなり古いけど未だ続いてる「(景気対策としての)定額給付金」。

そもそも論から実務レベルの問題まで、こう揉めるネタを提供できるセンスの持ち主が国会議員てのもいかがなものかと思うのだが…。
まぁ、三権分立と言いながら司法の抑制を無視して「やると思えばどこまでやる…気?」な行政の長が宣言したことなのだから「やる気」なんだろうけどね。
一人当たりの給付金の金額すら確定していないわけだが、(一応の目安として)公明党のホームページに掲載された数字では「1万2千円」である。

さて…と、自民党と公明党で定額減税か定額給付かで揉めたらしいが、馬鹿馬鹿しい議論だなと思ってる。
こういう「知的議論」が、私は嫌いなのだ。

減税だと納税対象者に限定されるとかなんとか理屈をこねたらしいが…。
こいつら阿呆か…と。所得税ならともかく、この国には「消費税」というものがあるだろうが?
所得税は支払ってなくても、この国で生活するなら消費税は納税してるだろうが
で、この「1万2千円」という金額が、いったい幾ら分の支出に対する消費税にあたるか?
計算してみた…
40万円 それなりに大金ではある。しかし、生活保護の支給金額3か月分でしかない(東京都区部:厚生労働省のHP参照)。

その一方、消費税の増税はしつこく言ってるわけだ。消費税率が3%上がれば、今回の給付金額はたった1月あまりの生活費への消費税で吹っ飛ぶ換算だ。
こんだけ、自分たちで逆風を起こしておいて「景気対策」かねぇ?

給付金なんてみみっちぃことを言わずに、「消費税廃止します」って言っちゃた方がなんぼか景気対策になりそうな気がするが…特に、某自動車会社とか某精密機器会社とか、国内で金が回るようになれば製品売れるぞ、ライン止めなくてよくなるぞ、マスコミに報復なんてことしなくて良くなるぞ…とか言ってみる。

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2008年11月20日 (木)

取り急ぎ(2)

泡瀬干潟「自然の権利」訴訟の第一審判決がありました。
これまでは殆ど沖縄ローカルの話題だったのですが、全国紙各紙でも一斉に取り上げられました。
とりあえず、一番リンク切れの遅い毎日を張っときます。

泡瀬干潟埋め立て訴訟:支出差し止め認める…那覇地裁判決

今回の判決は「予算は使い切れ。一度始めた計画は何が何でも押し切れ。」という、これまでの開発行政のあり方に一定の歯止めをかけようとする意義があると考えます。
だからこそ、全国紙各紙の社会面に(これまでと比較にならないほど)大きな扱いになったのでしょう。

もちろん、これは一審判決であり、確定したものではありません。
今回の判決でも、沖縄県はただちに控訴の意思を表明しています。
これまでにも、行政相手の訴訟では一審の判断が上級審で覆り、行政の意思が罷り通ることが度々ありました。

しかし、日本政府の環境省はこんなことをやってます
そして、辺野古では米軍基地移転作業に伴うジュゴン生態系への環境評価について、利害当事者である米国政府が国内法違反に問われています。

今、司法も世論に揺れています。
泡瀬の開発をどのような視点から考えるかは個々人によって異なることでしょう。
ただ、考えた結論が「開発はNo」と思う方…意見を表明することが自由な「民主主義国家」に生きる方…右バナー参照をお願いいたします。

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2008年11月17日 (月)

取り急ぎ

右手のバナーをご覧になって「?」と思われた方…
あなたの観察力は流石です。

泡瀬干潟埋め立て中止を求めるウェブ署名 再開しました。
前回署名された方も署名されなかった方も、よろしくお願いします。

取り急ぎご連絡まで。

(ささ クリック クリック(゚ー゚))

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2008年11月12日 (水)

知識の敷居

子供のころ、家に百科事典が届いた。
でもって、それにのめりこんだのが末っ子の私である。
あのバカでかい本を満身の力をこめて本棚から引きずり出し、片っぱしから目を通した。
付録の地図の地名を本編の項目と照らし合わせ、現実には絶対行くことのない(と思っていた)異国の地に思いを馳せた。
哲学用語なども、理解というにはほど遠いにせよ、なんか面白そうというだけで、次々に関連項目を読み漁った。
たぶん小学校卒業するころには、一通り読み終えていたはずだ。
百科事典に紹介されている言葉から、後になって読んだ本も多い。

今考えると、かなり無理をして子供たちのために買ってくれたんだと思う。
なにしろ、高価だったし場所もとった。

ところが…
今では、あのバカでかい本の山が(図表抜きとはいえ)たった300g、掌に収まる大きさに化けている。
昔は百科事典をポケットに入れて持ち歩くことなんか、想像もできなかった。
広辞苑だって、持ち歩くのはちと辛い。百科事典を電車の中で立ち読みしていたら「変な人」であろう。
(いや、実際に専門書らしき本を満員電車の中で広げている人を見たことはあるが…はっきり言って《迷惑》だった)
それが、文庫本とほぼ同じサイズに収まっているのである。
これなら、電車の中で広げてもさして迷惑にはならない…だろう。

その意味では、知識への敷居は昔より低くなったと思う。
思うが…だからこそ、知識の多寡と知性の質との間にある溝が浮き彫りになる時代でもあるのではなかろうか?

他人が書いてくれた「知識」を入手するのは、現代では比較的容易いことである。
しかし、その「知識」を血肉化し自らの体内に取り込むのは、そんなに簡単なことではない。
それは、今も昔も変わらないことだと思う。

他人の言うことを鵜呑みにせず、「あれ?」と思える感覚…こういう感覚を持ち、その疑問の因ってくる所以を追及する好奇心…こういう思考法を身につけてこそ、「知識」が活きてくるのではないかと思うのだ。

そして、否応もなく他人とかかわらなくては生きていけない社会の中で、「知識」とは他人を貶めるために使うものではないと思うのだ。

ついでに言うと、「知識」を入手するための手段としての高等教育…
これも、昔からハードルが高かった。
それは、つまるところ「金」がかかるからだ。
だから、「知識」を高等教育によって入手した人が、そのハードルを越えられなかった人を貶めるために「知識」を用いる光景は見るに堪えないのだ。

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2008年10月23日 (木)

あたりまえ

ここのような過疎ブログにコメントしてくれたりTBくれる人は、自明のこととして見解を共有できていると思うんだけど…
知識量が多いことを以って、その人物が衆に秀でているとは限らない!!

「自分はあの人の本を読んだ。この人の本も読んでる。」
といくら強調されてもねぇ…
問題は、それを読んで自分はどう感じたか、どう考えるかってことであって、読んだだけでは積読と大して変わんないじゃないか…。
(図書館等で借りて読んだ位で偉そうな態度をとるくらいなら、印税を払う積読の方がまともじゃなかろうか)
「読んだ」という一事を大層な御旗のように掲げられても、せいぜいのところ閉口するしかないなぁ。

まぁ、この歳まで生きてるといろんな人に遭うわけで、高学歴といえども決して知性が優れているとは思えない人物にもけっこう遭ってるわけよ。
そういう手合いに限って、「あいつは物を知らない」と言いたがるんだけど…。
面白いことに、「物を知らない」相手のいうことは端から聞く耳持たないくせに、同じことを著名人が言ってると簡単に受け入れるんだな、これが。
こういう手合いは、私基準では「頭が悪い」ということになる。

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2008年10月19日 (日)

わかる わかるんだけどね

通信販売でCorel Paint Shop Pro Photo X2 Ultimate 日本語版 通常版 買った。

今年買ったデジカメのRAW現像ができるようになったのが魅力。
いやまぁ、私がその道の人間なら業界標準のこっちを買うけどね.

     

所詮、私はアマチュアだからこんな高いソフトはいらない。

さて、本題。
この通信販売に申し込んだとき、配送業者の表記がなかったんだ。
なんとなぁく、嫌な予感はした。
そして、配送開始のメールが来たとき…嫌ぁな予感は大きくなった。
そのメールには荷物の配達をする宅配便業者の社名と、配達状況確認のための情報が記載されていたのだ。
その宅配便業者って、ドライバーに過酷な勤務をさせていたとか、政界に賄賂をばらまいたとか…なにかと話題の多い会社なのだ。
実際、今までも通販の類でこの会社を利用した場合、配達時間の指定をしても時間内に間に合わなかったり、とんでもない時間に到着したりしてたんだ。
…で、今回も…まぁ、品物は届いたんだけど。
配達状況のステータスが「配達中」に変わったのを確認してから、待つこと、待つこと…待つこと11時間!
いやね、私が待たされたことも私怨としてあるけど(なんせ、届くまで在宅してなきゃいけないのだから)。
それより、配達時間が10時間を超えてるってことは如何なものか…と。
通常の場合、1日あたりの法定労働時間は8時間を超えないことってのが労働基準法に書かれてるわけで、配達開始から家に物が届くまで、休憩時間を非常識に何時間も挟んだかも知れないけど、普通に考えれば明らかに法定労働時間は使い切ってるわけだ。ちなみに、私の家からその宅配便業者の営業所まで小一時間はかかる。そんだけ、当該業者のドライバーは働かなきゃいけないわけだ
で、繰り返しになるけど、この宅配便業者の配達って、こういうケースがやたら多いのだ。
この宅配業者の場合、私が住んでる地区の競合他社に比べて、段違いに営業範囲が広くてね。これがこういう現象を生む要因の一つだとも思うけど。まぁ、営業拠点を集約することで営業所の運営コストは安くできるし、それにより利用者に提示できる料金も安くできるんだろうけど。

配達を依頼する業者にとっては、物流コストが安いってことで、この宅配便業者を利用してるんだということはわかるよ、わかるんだけどね…その安い物流コストが労働者の過重労働によって支えられてるってことだと、それはいかがなものか…と考えざるをえないんだよね。おまけに、顧客(私)も11時間待機でつぶしたわけだし、この宅配業者を利用するってこと自体が、企業のCSRからみて、また顧客満足度からみてマイナスなんじゃなかろうかと思うわけなのだ。

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2008年10月 6日 (月)

成果

さめさんから久しぶりにTBをいただいた。
泡瀬干潟と浅海の埋め立て中止を求める署名が、3336筆になったそうです。
限られた時間でよくここまで集まったなぁ…と思います。

そして、重要なお知らせ。
引き続き12月末までこの署名活動は継続することにいたしましたので、またご協力お願いします!!!

◆【署名説明文(写真付)】http://www.awase.net/maekawa/shomeisetumei.pdf
◆【署名用紙】http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf

ここまでは良かったんだけど、さめさんの記事を読んでやっぱり悔しい。
もう読めなくなってるんだけど、以前サンゴの産卵の写真を見せていただいた。
力強い生命の躍動にあふれる写真だった。
それが…
ただ官僚の意向で強行されているとしか思えない工事により、サンゴが、海がダメージを受けている。
それが悔しいし、哀しい。

---関連過去記事(1)---
---関連過去記事(2)---

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2008年9月22日 (月)

ラノベもしくは三文小説

ライトノベルとか三文小説とかって、結構好きだったりする。
「純文学」だと妙な衒いがあって書かれない様な台詞や解説がぽんぽん飛び出す。
田中芳樹氏の「銀河英雄伝説」はその典型みたいなもので、「民主主義とはなんぞや?」なんていう「純文学という言葉遊びの世界からは絶対でてこない」問いかけがされていたりする。
古くは五味川純平氏。実体験を基にさらに取材を重ねて、敢えて三文小説として「人間の条件」や「戦争と人間」などの大作を仕上げている。
そこで行われている問いかけは非常にプリミティブなものであり、その故に読者が自分の置かれている社会状況を振り返る縁になっていたりする。

最近のWeb回覧先で起きた騒動なども、これに当てはめてみると興味深い面がある。

「純文学」VS「三文小説」

純文学系統の方が書かれている文は、私には非常にわかりにくい。だらだらと意味不明に長い文章で、起承転結もはっきりしない。現場実務には絶対向かない文章の山である。おまけに作者の意図から逸脱した読みをするとファンから悪口の嵐が来るらしい。
だから、私は三文小説系統の方が書かれている文章の方が好きだ。なにより、文意が明確だから少々長くても苦にならない。

そういえば、三文小説でこういう文章があった
「レッドサン ブラッククロス パナマ侵攻(1):著 佐藤大輔 発行元 中央公論新社 新書」p196より引用
----------------引用1開始----------------------------
連中、整ったものを目にすると、それがなにを語っているかではなく、そこにある瑕瑾を見つけだして自分の卑小な優越感を満足させることに喜びを見いだす
----------------引用1終了----------------------------
----------------引用2開始----------------------------
他人へ勝手に自分を仮託した末に、なにか自分の思い通りならないとなると莫迦な女子供のように裏切られたのどうのとわめきちらす。それでいて、自分はいっぱしの理屈を通していると信じて疑わないのだから始末におえない。
----------------引用2終了----------------------------

純文学のファンって、外野からみるとこんな感じなんだよね。

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2008年9月 4日 (木)

887人の方々へ

泡瀬干潟の問題について、切り口や立ち位置は様々ながら『埋め立て反対』という具体的な事柄において問題意識を共有させていただいた皆様に御礼申し上げます。
とりわけ、このオンライン署名プロジェクトを立ち上げてくださった泡瀬干潟を守る連絡会 の皆様には敬意を表します。

とかく『長い物には巻かれよ』がまかり通るこの時代に、身の回りの些細な事柄に囚われてなにか大切なものを見失いがちになる傾向に一石を投じ得たのではないか…などとも考えます。

また、直に訴えかけられる街頭署名と違い、署名するか否かの判断材料を、プロジェクト記載の限られた情報に留めることなく、少しでも多くの情報を提供してくださった何人もの皆様にも敬意を表します。そして、その情報から署名することを選択された皆様にも…。

私はオンライン署名はハンドルネームで行いました。
それは、この署名活動を推進した方々に見てもらっている名前を使用することで、些少なりとも連帯の意思を伝えたかったからです。
オンラインの署名数は888件…これを多いと見るか、少ないと見るかは人様々でしょう。
限られた時間であったこと・問題が(一見)特定の地域の環境問題に絞り込んだものであったことを考えれば、寧ろ予想外に多かったとも言いうると考えます。

これからも、泡瀬はもとより全国的には知られることのないまま進行する同種の事象に、なんらかの歯止めがかかることを信じて行動しましょう。

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2008年9月 2日 (火)

無題

なんといってよいのか…
週末から、ペシャワール会の記事を読みふけっていた。

そこに書かれていたことに一人頷く。
いろんな意味で、深い…。
現地代表の中村氏が、マスコミで取り上げられるたびに訴えていたこと。
・外国軍の介入が治安維持につながるものではない。むしろ逆だ。
・日本は外国軍の行動に加担していないと「誤解」されてきたからこそ、受け入れられている。
・日本政府が戦争に加担していることが知られて以来、周囲の日本人を見る目が悪化している。
・現地で望まれていることは「食べていけること」と「平和」である。

※以上はペシャワール会のHPから、私が読み取った内容である。誤読があった場合、それは私の責任である。
詳細については、是非とも会のHPをご一読されたい。
    ↓
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

そして先日、一人の日本人が亡くなられた。
日本の政府は…そして、その政権を選択した日本人は、彼の生命を守ろうとしていたのだろうか?

他人事?自己責任?
そんな言葉は聞きたくない。その言葉はいずれブーメランの如く、自らに(あるいは子・孫の世代に生きる日本人に)還ってくるであろう。
そのことに対する畏れはないのか?

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2008年8月31日 (日)

右手をご覧ください

以上…ではなくて

本日最終日でございます。
本ブログでは再々書いてまいりましたが、この問題は単に沖縄の泡瀬干潟だけのことではありません。
ここにお見えの皆様のすぐ側の里森や、磯だっていつ同じことになるやも知れません。
また、ご自身やお身内の方が、このような破壊に従事することを余儀なくされるやもしれないのです。
その危機感を共有していただけたら幸いでございます。

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2008年8月28日 (木)

哀しみ

本来なら共に手を携えて笑い合えるはずの人々が、分断され互いに対立しあう構図に哀しみを覚える。

おおかな通信2さん より
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今朝は10隻の船が、嘉陽でコドラート調査を行うようです。(嘉陽はジュゴンとウミガメが現れる小さな素敵な集落です)。2隻は米軍のキャンプ内にあるビーチ前で生物調査を行っています。名護は大雨、洪水、雷注意報がでており、落雷、突風を警戒せよと天気予報では言っています。実際に雷が鳴っていても作業船を出し、ダイバーを潜らせています。以前は注意報が出ていたり、雷が鳴っていれば、船を引き上げていましたが、だんだんと作業員の安全への取り組みがおろそかになっています。防衛局からの圧力が激しい所為なのか、防衛局職員が責任者を現場に置かなくなっているので、作業員だけなら雷に打たれても良いと考えているのでしょうか。

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リーフチェッカー’さめ’の日記さん より
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 大浦湾の調査をするため汀間漁港に行く機会が多いのですが、また別の側面からやり切れない問題が生じています。沖縄防衛局が雇っている作業ダイバーの中に明らかに先輩ダイバーがいます。後輩に関してはそんなものかと割と割り切れたのですが、先輩に関しては難しい。防衛局の船と私たちの船は少し離れたところを使うので、よく見なければ向こうのことはわからない(向こうにはこちらが見えていると思いますが、先方作業ダイバーはみな黒のウエットスーツなので判別は難しい)のでなるべくよく見ないようにしているのですが。現場では私も手一杯であまり余計なことを考えられないのですが、昔、彼らの論文を読んで感動したこと、慣れない国際学会で優しくしてくれたこと、年賀状に書き添えられた優しい言葉など、後日になってさまざまな出来事を思い出してしまいます。

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サンラーの日記さん より
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 工事関係者がこう言った。「サンゴの命も大切と言うなら、
我々の生活はどうする!」
 自然を守り子孫の代まで豊かな故郷の姿を残していこう
と行動するメンバーに、工事の若い現場監督らしき人物は
真剣な表情で食い下がる。

 このシーンこそ沖縄の抱える問題の核心だ。利害を共に
する県民同士が対立する構図を、国の政策が作って行く。

サンラーは同じ状況を辺野古・大浦湾のアメリカ海兵隊新
基地建設の現場でも見てきた。

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みんな一所懸命なのである。
これが自分の仕事と決めたことに…。
たとえ、内心それが誤りであることに気付いていたとしても、自分の仕事として引き受けた以上、それをやり遂げなければ「お飯の食い上げ」になるから(泣。
サンラーの日記さんに出てくる「若い現場監督らしき人物」の気持ちが、私には想像できる。彼は彼なりに責任感の強い人だと思う。現場の作業員の生活を守らなきゃならない…その責任感は痛いほど良く判る。

…なればこそ、手をつなぐ道は無いのか…と考え込んでしまうのである。
分断することによって利益を得ている誰かに「アッカンベェ」をして手をつないで笑い合える日がいつか来ないものか…と。

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2008年8月26日 (火)

ここにも・・・

前の記事に、さめさんからTBを頂きました。
泡瀬干潟も、この松戸市の例もやっぱりどこにでもある風景です。
壊したらそうたやすくは戻ってこない(少なくとも人の一生の内には戻せない)ものがある。
それを壊すということは、どれだけの度胸がいることなのか。人の想像力というものはこういう場面にこそ発揮されなければならないのではないでしょうか?

さめさんから頂いたTBから転載します
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 千葉県松戸市の新松戸駅から歩いて数分のところに「関さんの森」という名前で親しまれている広さ約2.1haの森林と住宅・庭がございます。その一部(1.1ha)は、1995年に「埼玉県生態系保護協会」に寄付され、以後同協会と市民団体「関さんの森を育む会」とによって管理され、地域の子どもたちの遊び場や環境教育や福祉・文化の拠点として機能してきました。近年では、関家の住宅等を含む全体を「関さんの森エコ・ミュージアム」として保全する構想が立ち上がり、去る7月21日には、市内外から500人以上の参加を得て発足記念シンポジウムも開催されています

 ところが、この「関さんの森」が現在危機に立たされています。こ甲森の一部を縦断する都市計画道路(市道3.37号線)の計画が40年以上前からあるのですが、ここ数年の間にその推進のための動きが活発となり、このたびその道路づくりを行うために土地収用法にもとづく収用作業が行われることになって、7月25日からは実際に事務作業が開始されはじめました。関家及び上記「関さんの森を育む会」等の市民グループは、自然と共生する道路の実現を求めて話し合いによる問題の解決を松戸市に求めてきているのですが、市の態度は強硬で、市長は関家や市民との会見をも拒んでいる状況です。(7月3日に朝日放送のお昼の番組『スクランブル』で、この間題が「癒しの森を道路縦断」というタイトルで取り上げられました)

いまの時点では、世輪の力によって松戸市に「土地収用手続の凍結」を迫り、「森と道路との共生」の可能性を探るしかないものと関係者の皆さんも私も考えている次第です。

1)以下のアピールへのご賛同をぜひお願い申しあげます。
私たちは、松戸市が市道3.3.7号線にかかわる土地収用手続を停止し、関家及び市民との対話によって、「自然と共生する道路」づくりをすすめてくださることを心から願います。

2)アピールにご賛同いただいたことを、記者会見や松戸市への要請文/チラシ/ホームページ等で公開することをお認めめください。

3)できれば、松戸市への要請文、ないし「関さんの森」を守る運動をすすめておられる市民の皆さんへのメッセージ、をお願いします。

4)よろしければ、こうした活動にご協力いただけそうなお知り合いをお知らせください。

詳細および最新情報は「関さんの森を育む会」のホームページおよびブログで紹介されています。
関さんの森を育む会
関さんの森応援団
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東葛方面にお住まいの方は、上記「関さんの森」をご存知でしょうか?
常磐線(武蔵野線)新松戸駅のすぐ近くなんですね。
googleで見たら、近くの中学校の敷地より一回り大きいくらいの里森です。
リンクされていた先のHPを見たら、北西方向からの市道を延長するんですって…。
延長する先の市道だって、写真で見る限り広いとは思えないけど、地図ではやたら広い…。
このあたりって、以前は田畑ばっかりだったんですけどねぇ…。

閑話休題
右サイドバーに泡瀬干潟と浅海の埋め立て中止を求めるオンライン署名サイトへのリンクを貼ってます。
ここへ来る人で、未だしてないという人はいないと思うけど…万一未だだったとお気付きの方は是非。
ちっぽけなことと笑う人もいるでしょう。
オンライン署名が何の役に立つという人もいるでしょう。
そういう人はご自分でできるでっかいことをしてください。
私はちっぽけなことを積み重ねることが、結果としてでっかいことにつながると思ってます。

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2008年8月24日 (日)

事実と真実(囚われないこと)

事実:実際に起こった事柄。また、実際に存在する事柄
真実:物事の奥深くにひそむ本質的な事柄
(出典:明鏡国語辞典)

「事実を以って真実を語らしむ」という言葉がある。
事実は事実として存在する。
しかし、その事実から同一の認識を真実として共有できるとは限らない。
いろいろな事実を組み合わせることによって、初めて真実を共有できることのほうが多いだろう。
そうやって、多面的な事実の積み重ねにより、人は真実を知識として共有する。

例えば、ここに円柱がある…とする。
ある人(A)はこれを円断面の方向から見て
「これは丸い」という事実を認識する。ここで、Aはこの円柱を球体として認識しているかもしれない。Aから見た円柱は丸いのだから、彼にとっては見えているものは球であることが真実なのだ。
さて、同じ円柱を90度違う角度から見ていた人(B)がいる。
Bにしたら、この物体は四角柱というのが真実なのだ。
ここで、AとBがそれぞれ「自分にはこう見えているという『事実』」に依拠して、己の「真実」を絶対無二のものとして主張したらどうなるか?
円柱(これが本来の「事実」)を、Aは球であると言い張り、Bは角柱と言い張る。
挙句の果てに喧嘩なんぞ始めたら、笑い話にもなりはしない。

だからこそ…事実というものは多面的に検証され、共有されなければならない。
それによって、人は「真実」を共有することができる。
例は極めて単純なものだ。世の中に起きている出来事を、全てこのように単純化できれば楽だろう。
だけど、それは夢物語だ。なればこそ、物事を安易に見極めたとは言いたくないし、言われたくない。見極めたと錯覚した瞬間、目の前にある「事実」に囚われて「真実」を見極める機会を失うのだから。

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2008年8月19日 (火)

縮図

泡瀬干潟の件、お話を伺っていて思ったのが、これはどこにでもある情景だなぁ…ということ。

自然は資源であり地域社会成立の拠り所であるとする立場、自然で食べてはいけない(自然が金を払ってくれるわけではない)とする立場…この対立。どちらにもそれなりの理がある。後者の立場を弱虫と罵るようなまねは、私にはできない。
今の世の中、物々交換だけでは生きていけないのは当たり前。

目の先にぶらさげられたニンジンを毒と判っていても飲み込むしか無い…ならば飲み込まずに済ませるにはどうすれば良いのか。一旦立ち止まって考える余裕があれば周囲にたくさん見える毒じゃない食物も、余裕の無い目にはニンジンしか見えないというのは、あまりにもありふれた話。

じゃぁ、おまえになにができるか?と問われたら…直接的には何もできないと答えるしか無いなぁ。でも、それも悔しいなぁ…。だから、ここで書いてるのだな。

やはり、キーワードは「経済」かな…。いや、失敗事例かもしれないな。これなら書けそう?

いやね、私の郷里でもスケールは桁違いに小さいけど、似たようなことがあったんですわ。総合保養地域整備法(リゾート法)とか、ふるさと再生基金とかの絡みでね。
その1
海岸沿いの国道に面して、ちっちゃな箱物作ってね…その箱物雇用でUターンしたのも数人いたけど、その箱物が稼動し始めたら何故か海岸(磯)が荒れた。調べてみたら、その箱物から流れ出す有機性の廃棄物が磯の海産物に致命的な被害を与えていたという。まぁ、この事例では箱物を作った業者が廃棄物を沖合いに投棄するための工事を手抜きしていたのが原因だったんだけど…稼動する前から、被害現場の磯に行ってる人たちからは「あれで大丈夫なんかなぁ。なんか変だ」とのささやき声は上がっていたそうで。ただ、その声は田舎特有の事情でささやきに留まってたんで、いざ荒れたとなったら「そら見たことか」の大合唱だったとのこと。
その2
実家の前は200m足らずの海岸線をもつ浜なんだけど、そこの沖合い30mくらいかなぁ…消波ブロックを積んだんだよ。それまでは浜といっても砂利浜で、観光客が落ちてこないから砂浜に変えようとしたらしいんだけど。で、まぁ、砂は溜まった。しかし、同時に泥も溜まった。近くの川から流れてくる泥が一旦外海でもまれなくなったためじゃないかと言われている。
まぁ、砂利は覆われたから良しという考え方もあるだろうけど、昔の海岸を知ってるものとしては、なんか小汚い感じが否めないのだな。で、観光客もそのあたりのことを良く判っているらしく、隣町にある昔っからのきれいな砂浜のほうへやっぱり行くみたい。

でもって、何が言いたいのかというと…
やっぱ、目先の金につられても良いこた無いよと…。
さんご礁は有限な資源と考えて、そこから何が生産されるかをきちんと分析しないと、一度壊したら取り返しがつかないと思うのだな。「自然」などというと、いかにも再生可能なようにとられるかもしれないけど、土地を変えるということは本来大事業だよ。

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2008年8月16日 (土)

行ってきました

救え・沖縄泡瀬干潟とサンゴ礁の海写真展

行ってきました。
水野さんの講演、意外に判りやすかった。
泡瀬干潟の現状を訴えるだけでなく、御自身の経験に基づく日本の環境保護(破壊)の過去事例をベースにした訴えかけでした。
マスコミなどで流される環境保護団体のイメージにありがちな、しゃかりきなところが無く、それだけに生活実感が伴っている運動であることが想像されます。
水野さんに引っ張り出される形で、さめさんのセッションもありました。

概要メモ
・過去事例
 むつ小川原:
  新全総で巨大開発(自然破壊を伴う)が行われた。得られた教訓は「自然を守ること=地域を守ること」なのだ。
 尾瀬:自然破壊を伴う開発の中止が、地元の声を採りあげた中央の決断でできた。

・泡瀬の自然環境の特徴
 沖縄で既にラムサール条約に登録済の漫湖に比べ、倍以上の鳥類が確認されている。(しかし未登録)
 沖縄県作成の「レッドデータおきなわ」に記載されている絶滅危惧種の貝108種を含む豊かな海洋生物群の存在。
 泡瀬ではサンゴとウミクサが共生している。これは非常に珍しい生態系で、泡瀬と大浦湾(辺野古)だけ。
 98年に発生したサンゴの白化現象が泡瀬では少なかった。サンゴはストレスに弱い生き物で、海水温度の上昇で簡単に白化(死滅)する。
 ダイバーの経験からも泡瀬の海水温は他の地区に比べ低く、海水の入れ替えが活発な地形であるものと推定される。

・現状
 漁業権は既に失われているため、それを以って開発阻止をできない。
 6年前に1次工事が着工して、既に生息する貝類の種類が単純化してきている。
 サンゴは海水温度の変化だけでなく、赤土がかぶっただけでも死んでしまう。今進んでいる1次工事範囲でも、その周辺海域への影響は出る。
 既に進んでいる埋め立て予定地の堤防だけでも湾内の海流に変化が起きているはず。
 沖縄県の外部監査でも、この埋め立てによる経済効果は期待できない。
 事実、埋め立て予定地に建設するはずのホテルは、立候補する企業が無い。

・フリートーク(雑談)
 隣に座っていた方が、泡瀬のご出身だった。
 子供の頃はもっと海の部分が広く、しょっちゅう蛸を採りに行った(そしてとれた)そうである。
 キーワードは「経済性」かもしれない。
 埋め立てに使う浚渫土砂は航路の拡張によるものだが、そもそも航路の拡張自体が無意味なのでは?

---メモ ここまで---
えぇと、あと3日しかありませんが、行かれる人のために…。
入り口はかなり道路から奥になります。「閉めきり」の表示がでていても諦めずに奥に進んでください。
今日は講演会という形でしたが、水野さんや仲間の方は気さくな雰囲気です。
話しかけてみてください。いっぱい説明してくれます。
(今日は講演会が始まるまで、Oさんと1時間近くおしゃべりしてしまった私^^;)。

なお、24日から名古屋で写真展が開かれます。中京地区の方は是非。
あと、8月25日7:00からのNHKで数分間だと思いますが全国放送に乗ります。

当然、署名用紙も準備されてますよ。
◆【署名説明文(写真付)】http://www.awase.net/maekawa/shomeisetumei.pdf
◆【署名用紙】http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf   

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記憶

に書いたときには、ここまで続けているとは思わなかった。
ブログを始めるちょっと前から、いろんな人のブログを拝見していて、ムヅカシイだろうなぁ…と思ってた。
それが、初めてTBを送った先で好意的なコメントを頂いてから調子に乗って書いている。

お気付きの方もいるだろうけど、ここのところ沖縄の話題である。
これは、家にTBを下さっている「そいつは帽子だ」さんや「リーフチェッカー’さめ’の日記」さんの思いに、自分ができる範囲で応えなければならないという衝動によるものである。

「本土」で生まれ育った私でも、意外に沖縄が身近だったりもする。
大和の出撃の際、「お前は若いから下りろ」と命令されたという特年兵を父上にもつ方とお話したこともある。
会社勤めを始めたころの派遣先には沖縄出身者が多く、豪快な呑みっぷりに圧倒された。その中にいたある先輩から「5㎞…この数字わかるか?」と問われた。なんのことだか判らなかった=沖縄島の最大幅(一方の海岸から陸地に向かって歩いていって対岸までの距離)だそうである。その先輩曰く、「その狭く細長い島で、沖縄戦が行われたのだよ…」。いつもニコニコと笑顔を絶やさない人だったけど、そのときの目は笑っていなかった。

さて…昨日は8月15日=敗戦記念日である(正式な降伏文書の取り交わし日がどうだこうだという話は混乱を招くだけであり、無視する)。

母たちの戦争体験は、どうもここから本格的に始まっているらしい。
戦争中はB29が遥か上空を飛んでゆくのを見て、「あ、今日もまた関東のどこかが爆撃される」というのはあったらしいが、なにしろ田舎である。上陸作戦ともなれば「どうにでもなれ」という心境だったのかもしれない。それが敗戦で交通の自由が確保されたとたん、都市部の混乱が田舎にまで押し寄せてきたそうだ。

むしろ、東京に嫁いでいた大叔母のところが大変だったという。
当時物理学校の学生だった従叔父から、焼夷弾による空襲てのは…という話を聞いた。
凄絶な話だった。ここではちょっと書けない。

高校を卒業して全国戦災障害者連絡会の杉山さんのお話を聞く機会があった。
この人の話も、従叔父に共通するものがあった。

その8月15日があって、11月3日があって、5月3日があって、今がある。
それは忘れてはいけないことだと思う。

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今日ですが…

救え・沖縄泡瀬干潟とサンゴ礁の海写真展のお知らせに追記

講演会のお知らせ
日時:2008年8月16日(土)14:00-16:00 (by 泡瀬干潟を守る連絡会 水野さん)
   写真展(地球環境パートナーシッププラザ)は10:00~17:00となります。

えぇ、先の記事でアップいたしました写真展にあわせて、主催者のご担当者による講演会があるそうです。写真だけでは、もしかしたら伝わらない、現地の様子なども教えていただけるかもしれません。

…私は行くつもり。

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2008年8月 9日 (土)

続報

先の記事にリーフチェッカー’さめ’の日記さんからTBを頂きました。
TBだけにしておくにはもったいないので、アップします。

1.写真展が東京で開催されます。
 関東近辺の方は、この機会にお出かけしてはいかがでしょうか。

救え・沖縄泡瀬干潟とサンゴ礁の海写真展のお知らせ

日時:2008年8月8日(金)~20日(水)
平日 10:00~19:30 土曜 10:00~17:00
休館 日曜日、月曜日
会場: 地球環境パートナーシッププラザ(03-3407-8107)
150ー0001 渋谷区神宮前5-53-70 国連大学ビル1F
地下鉄銀座線、半蔵門線、千代田線表参道駅B2出口より徒歩5分

Photo_3

この写真展終了の後には、名古屋の藤前干潟の稲永ビジターセンターでも
同じ、写真展を続けて開きます。とにかく、12月のサンゴ礁群落の埋め立て
開始をストップさせるまで、走り続けたいものです。
また、日弁連がこの埋め立て工事に反対する声明を7月末に発表しました。
泡瀬干潟を守る連絡会www.awase.netで記事をトップで掲載しています。
なお、 NHK沖縄の1年間の取材努力がみのり、8月末に短いけど全国放送
が実現しそうです。決まればお知らせします。     
銀座の写真展では、来場者との出会いが次の保護運動につながり広がり
が出始めています。行徳や三番瀬の方々をはじめ多くの出会いに元気が
出ます。
表参道の会場でも私、水野は会場につめますので多くのかたに お会いする
のを楽しみにしています。

泡瀬干潟を守る連絡会(http://www.awase.net) 広報担当 水野隆夫

2.署名のお願い
 web署名も用意されました。
 webの方はニックネーム可です。また、サイト表示では匿名にすることも可能です。本名を明かすのはちょっと…という方も多いと思います。そんなあなたにお勧めです。

web署名のご案内です(8/31まで) 
http://www.shomei.tv/project-97.html
(管理 by KEN子さん)
みなさま、引き続きご協力お願いいたします!

 紙の署名はこちらです。
 署名の送り方はE-mail、Fax可となっていますが、集約される方の負担を軽くするためにプリントアウトに署名したものを郵送されるのが宜しいかと思います。

◆【署名説明文(写真付)】http://www.awase.net/maekawa/shomeisetumei.pdf
◆【署名用紙】http://www.awase.net/maekawa/shomei.pdf

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2008年8月 5日 (火)

小さなリンク集

先のエントリにTBを下さった「そいつは帽子だ」さんのエントリーを拝見して考え込んでしまった。
自分に何ができるだろう。何かしなくちゃいけない。でも、やっぱり、自分に何ができるだろう…無限ループ…。

こんなちっぽけなブログでも定期的に見てくれている人がいる。
そんな人に情報を提供するのもありかな…と。
まぁ、こんなちっぽけなところまでご覧頂いている方なら先刻承知の情報ですが。

現在の動きは「そいつは帽子だ」さんのところや「リーフチェッカー’さめ’の日記」さんのところを読んでいただければ、ある程度把握できると思います。

・泡瀬干潟って?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A1%E7%80%AC%E5%B9%B2%E6%BD%9F

・日弁連の「泡瀬干潟の埋め立ての中止を緊急に求める意見書」
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/080718_2.html

・「海上」着工 動きだす泡瀬埋め立て(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/awase20021008.html
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/awase20021009.html
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/awase20021011.html
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/awase20021012.html

・『アメとムチ』の構図~普天間移設の内幕(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/ame_to_muti/index.html

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2008年8月 3日 (日)

はも

はもと言っても、鱧のことではない。(一度食べてみたいけど^^;)
係助詞としての「は」と「も」のことである。
※係助詞:他の語の後に付き、そのついた語に意味をそえ、かつ、その語を受ける述語にまで勢いをもたらす助詞

「は」が幾つかの中から一つを採りあげる(それ以外を退ける)語であるのに対し、「も」はそれを付け加える意を表す。【広辞苑】

まぁ、ちょうど敗戦の記憶を思い出させてくれる時期ではあるので、例えば…。
サイパンというのは、現在ではわりと手軽な海外リゾートだよね。
ただ、第2次大戦では、民間人の集団自殺が起きた場所でもある。これは、当時の敵である米軍の記録フィルムが再々放送されるから、ご存知の人も多いと思う。
また、戦火に巻き込まれたのは日本人だけではなく、元々そこに暮らしていた人だって、皆巻き込まれていたはずだ(こういう事を忘れちゃいけない)。

…でね、
「サイパンでは、日本人の集団自殺が起きた」っていう書き方だと、いかにもサイパンだけで起きたっていう解釈がされかねない。ふぅん、そうだね…って具合に。
でも
「サイパンでも、日本人の集団自殺が起きた」って書くとどうだろう?
「『でも』っていうことは、他にもあったのか?」という疑問を持つ人が出てくるだろう。
実際にあったわけだよ。沖縄で軍の圧力による集団自殺が…。
「サイパンでは」という書き方には、その後発生した沖縄戦を切り捨てる役割があるのだな。

更に一般論
私はサイパンや沖縄の観光地には行ったことがない。だけど、タイには仕事の都合で行ったことがある。異邦人の旅行者が表だけ見る限り、美しい国土だったよ。でも、やっぱり、そこで人が暮らしている以上、いろんなことがあるわけだよ。喧嘩とか、腹の探り合いとか、貧困とか。だから、表面の美しさだけがタイじゃないことは判っている。
だけど、
「タイは美しいばかりではない」
とは、私には書けない。
だって、日本も同じことが言えませんか?
だから
「タイも美しいばかりではない」
と、私なら書く。

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2008年7月19日 (土)

何故に消費税?

昨日の夕刊見てぶっ飛んだ。
全国知事会、消費税率引き上げを提言」である。

この不景気に、さらに景気を悪化させる提言を行うとは信じがたい愚挙である。
一応、全国知事会のHPで内容チェック。(内容は上のリンク先)

なるほどなぁ、こういう発想をするんだ…(-"-)

・地方消費税は、偏在性が小さく、景気変動の影響を受けにくい安定的な基幹税

そりゃ、確かに偏在性は少ないよな…そこに人が金を媒介として生活している限り、とることができる税だもの。
ただな、景気変動の影響を受けにくい…ってな…、簡単に言うなよな。
これから景気がよくなっても、税収は少ないまま…で良いと言うのかね?

この提言から読み取れることは、「地方行政の財政が苦しい=獲りやすいところから獲ることを認めろ」という主張だ。
獲られる方がどう思うかは考慮されていない。

行政の役割は住民サービスだっていうよね。それは、民間に任せていては落ちこぼれる階層(有体に言えば「貧乏人」)へも、憲法25条に規定されたサービスを提供することではないかね?
言い換えれば、富の公平化(所得の再配分)でしょ。
年間所得ン億円なんていう人なら、別に行政に頼まなくても民間のサービスで賄えるんだから…。

その財源を逆進性の強い消費税で賄うってのは、収奪する側の論理に過ぎないし、結局蛸が足を食うようなもんでいつか破綻する。そして破綻したときにはパニックである。
(逆進性の強さはここ参照:財務省の資料だよ。見事なくらい低収入=高負担が明記されてる)
それより、今「好景気」に湧いているというところから獲ることの方が先ではないか。
端的に言うと、法人税の減税特別措置はまだ続いてるんだよね。【恒久的】所得税減税はもう取りやめになってんだけど…。
こういうところを先ずちゃらにしてから、貧乏人からふんだくることを考えてもらいたいのだな。

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2008年7月13日 (日)

プライバシーガラスは嫌い

いつも愛車の点検整備をお願いしているディーラーから突然の電話。
ここ何年か、点検の時に買い替えのセールスは無かったのでもうとっくに諦めていると思っていたのだが…。

「燃料代が高くなったねぇ」とぼやいたら、すかさず
「AとかBとかに替えれば燃費、倍ですよ」
…いや、AとかBとかの燃費が今乗ってる車よりはるかに良いのは判ってるんだが、買い換える金が無いんだけど。
「ローン金利とか勉強しますよ」
「いや、大体Aは良いなぁと思って調べたことはあるんだけど、オプション設定が…」
「え、いろいろありますよ」
「俺、プライバシーガラスって嫌いなの。でもってオートエアコンは欲しいの(実はAでオートエアコンを付けられる車種って、デフォルトでプライバシーガラスがくっついている)」
「……うまくいかないものですねぇ(笑)。ま、来週タイヤのセールやりますから一度来ませんか。」
「(タイヤが減っていて不安なのは確かなので)そっちの話なら行きますよ(^^)」

些細なことなんだけど、いまどきの新車には普通についてるプライバシーガラス(以下スモーク)って、我が愛車を購入したころは一般的でなかった。
で、運転していると傍迷惑なんだな。なんせこの手のガラスをつけた車の後ろにつくと、その前の車が見えない。これって結構怖いのだ(私の運転が下手というのは大前提)。前の前にいる車がどう動いたか判れば減速判断も早めにできるんだけど、前がスモークだとこれが見難い。実家に帰って田舎道を転がしているときには車間距離を空けられるから良いのだけれど、都市部では下手に車間を空けると、まぁ、原付やら自転車やら歩行者やら四輪やら滅多やたらに飛び出してくる(特に怖いのが原付)。
さらに、スモークと太陽の角度によってはリアウィンドウが鏡になってしまうのだ。これは後続車にとってはかなり鬱陶しい。
そんな恐怖を味わっているから、自分がスモーク付きの車に乗ってたら、追突される危険が高くなると妄想するのだな^^;。今の車を買った頃には、スモーク付きの車の運転は傍若無人なのが多かったから、なおのこと、そう感じるのだな。

大体、公共の場である道路でプライバシー云々って根性がみみっちい。道路を走っているときに他人様に見られて迷惑なもの積んじゃいけないよ(見られたくない行為ってのは運転中にしちゃいけないってのはそれ以上に当たり前)。

さて、来週売り込みかけられたらどうしよう(スモークじゃない車にオートエアコンつけるからって言われたら…まぁ、素直に「金が無い!」って言うしかないな)

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2008年7月 5日 (土)

古臭いテーゼ

「ルンペンプロレタリアートはプロレタリアートに敵対する」なんてのはとっくの昔に消えたテーゼだと思っていたのだが…。
未だ生きているらしい。

底辺労働者の悲哀は、底辺にいないものにはわからねぇ…って、言うのは勝手だけれど、傲慢に過ぎるんじゃないのかな?
だったら、それを改善するためにはどうすんじゃ?ってこと。手近にいるものをプチブル扱いして攻撃することが、その方法なのか?
攻撃している個別の「敵」が自分たちと同じレベルまで落ちたら、それで満足か?
そうじゃねぇだろ…そりゃ当座の鬱憤を晴らすだけならそれでも良いさ…でもなぁ、敵はそこかよ?
そうやってるうちに、味方がどんどん分断されてるってことに…何故気付かない?
本当は味方として共通の敵に対することもできたはずなのに、易々と分断されている。
なんでだよぉ?

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評価するということ

片言隻句を以って全人否定(肯定)の評価を下すことは、正しい評価の姿なのだろうか?
どうも、最近気になってしょうがない。
A(という人)のa(という発言(行為))には合意できるが、b(という発言(行為))には合意できない。
普通、そんなことは当たり前にあるんじゃないかと思うのだ。
そういう判断の基準を個々人が持っていることが、民主主義社会の基本だと考える。
これが、aをしたからAの発言(行為)は全て正しい。したがってAが為したbも正しいものとして受け入れなければならない…これは判断するという責任の放棄であり、全体主義への一里塚であろう。

具体的な事例として…ナチズムの入門編…(ソースは実家の本箱の中に埋もれてるんで提示できない;興味のある人は図書館なり、本屋なりへ行ってくれ)
ナチスは、ケインズ的経済政策により困窮したドイツ経済を一時なりとも立て直すことに成功したかに見えた。
この事実によって、ナチスのホロコースト・侵略戦争行為は肯定されるか?

されるわけが無い・・・と思うのが、民主主義はその社会を構成する個々人の自由を相互に尊重されることによって成立するという私の定義から導出される結論だ。

まぁ、上の事例は大げさと思う諸氏が多いとは思う。しかし、自戒をこめて言うのだが、往々にして安易な2択をしているんじゃなかろうか?特にネット上では…リアルな社会では安直な2択なんぞできはしない。
また、aという「正しい」行動をしたAが、bという「誤った」行動にでたとき、X,Y,Zといった人がaは正しいがbは誤りであるという指摘をすることはそんなに間違ったことじゃないと思う。
Aが民主主義的感性を持っているなら「あ、そうか m(__)m」で一旦事は収まり、A,X,Y,Zでb'という正解を一緒に探すことができるんじゃないかと思う。

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2008年6月29日 (日)

エコなら地産地消だろう

なんか、書きたいことはいろいろあるけどどうもまとまらない。
という言い訳は置いといて(/_;)

コンビニの営業時間短縮でCO2削減だそうである。
言いだしっぺは京都の方らしいのだが、東京・神奈川の知事さんたちも乗り気らしい…。
…まぁ、彼等らしいっちゃ、それまでなんだけど…

違うだろ!

どうやら、首都圏の知事までになられる方は「理科」や「社会」のお勉強が済んでないみたいだ。

・大規模発電所、特に原子力発電所は何故か首都圏から離れたところに立地されている。即ち、送電損失が生じているのだ…オームの法則「W=R×I×I」を知ってりゃこれくらいは分かるだろう…。
・ピーク電力は真夏の平日の日中帯にあることを知らないらしい。オフィス・工場の空調がピーク電力を押し上げているのだ。そして、一時のITバブル期に首都圏に作られたデータセンターの冷却需要がそれに加担しているのだ。通信設備もデータ通信需要対策のため、音声通信主体のころに比べ桁違いの冷却需要を生じている。そういう産業構造になったという「社会」への理解が足りない。
・車は急に止まれない…これは発電所も同じこと。需要が減ったら発電機を停めて、需要ができたら発電機を動かすって、そんな簡単に起動・停止を繰り返せるもんじゃないぞ。そんなことしてたら、あっという間に発電機が壊れる。壊れたら交換すれば良いというのはエコじゃない、使い捨て時代の発想だ。
・冷蔵庫は何のためにあるのか?人がいなくっても冷蔵庫や冷凍庫の運転を止めるわけにはいかんだろう。コンビニに入ってみれば冷蔵庫・冷凍庫がどれだけの空間を占めているのか…知事様くらいになると入ったことねぇから、わっかんねぇだろうなぁ。
・コンビニの24時間営業が成り立つのは、需要があるからだ。それだけ、個人の私的生活時間が夜にシフトしているのだ。田舎へ行けば24時間営業じゃないコンビニはいくらでもある。

さて、本題。
省エネとかエコとかいうなら、首都圏の電力需要のピークを削減する(=ピークが削減できて、初めて発電所の稼動が止められる)か、トータルの送電システムで全く無駄になっているところを減らすか…だろう。前者については、産業社会構造の変換を伴うもので、それこそ大規模なビジョンの策定からかからにゃならないし、その過程で試行錯誤が繰り返されるのは目に見えている。
ならば、後者ならどうか?先に述べたように、遠隔地に発電所を設置したときの送電損失は全くの無駄となっている…単純に発熱してるだけだから、地球温暖化におおいに貢献しているともいえる。

極めて乱暴な結論
首都圏でそんなに電気が必要なら、首都圏に発電所を作れということだ。
なんなら田園調布の都知事宅の周辺を買収して(強制収用の好きな知事様だし)原子力発電所を作ればよい。まぁ原子力発電所は後々面倒だから、それは冗談として…。
発電所を作る場所が無い?…なにをおっしゃる、あるじゃない。…さて、電力需要のピークはいつだっけ?夏の日中帯=お日様がギラギラ輝いているときだ。これを使わないという法はなかろう。都庁の壁、あれを太陽光発電パネルで覆う。丸の内や汐留のオフィス街、あのビルの壁面を同様に処置する。お日様の輻射熱が入らないから、冷房に要するエネルギーも減る。一石二鳥だ(笑
…ここでは、労働安全衛生法の規定や建築基準法の規定は無視している。もちろん、発生した電力を売電するために必要な位相同期等の技術的問題も無視している。しかし、「コンビニの営業停止=エコ」よりは乱暴な議論ではないと思う。

補足
コンビニの24時間営業を全面的に肯定しているわけじゃない。そこで働く人たちの労働環境がどうなのか、どうあるべきなのかという事についての議論は未だこれからだと考える。ただし、それを捨象して「エコ」を振りかざすのは如何にも乱暴な議論だと思うのだ。

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2008年6月20日 (金)

息抜き

中島みゆきさんの新DVD歌旅-中島みゆきコンサートツアー2007-が届いた。
初回限定豪華函入りである。

見てみる………

すげ…

「夜会」では、DVDとライブは別物と聞いてはいたけど…
もう、完全に別物。
コンサートツァーの、特定のある日のステージを撮ったものではない。
コンサートツァーという長い日々を一つの作品として捉えて映像化したものというほうが適切だ。
それは正に「中島みゆき」の歌の世界である。

「ライブだぞぉ、コンサートだぞぉ(^^♪」と思っていたら、オープニングの映像から大間違い。
きれいな、そしてどこか懐かしさを覚える屋外の景色が広がる。

曲と曲の間に、モノクロで挟まれる光景…さりげなく挿入される屋外の光景がいい。
ただのメイキングビデオではありえない、ロケハンを重ねて計算されつくした映像がそこにある。
そして、ステージには立つことのない裏方さんたちの景色がいい。
ツァートラックの後部を掃除している人(運転手さんだろうか)が、自分を撮影していることに気付かず通りかかった人と談笑している映像・舞台の建付けを一歩一歩踏み込んで確認している大道具さんの背中…こんな映像がさりげなく入っている。

ステージの映像は、あくまでも楽曲のみに徹している。みゆきさんの独特のオープニング「なっかじまみゆき_でぇす(どっから声が出てるんじゃ?)」も出てこない。もちろん紅白の裏話その他観客を和ませるあの名調子は出てこない。唯一の例外は、エンディングの「重き荷を負いて」の前に語られるお土産言葉
「同じ時代に 生まれてくれて ありがとう」
という静かな語りだけである。
観客の姿も楽曲の場面ではほとんど出てこない。ほとんどが楽曲の最後の拍手だけである(例外はアンコールの最後…正真正銘最後の「背広の下のロックンロール」だけ)。そして、あれだけの拍手の波を、この映像ではさざ波に抑え込んでいる…録音・編集に投じられたパワーの凄さを感じる。

そして、圧倒的なエンディングロール。
夜会のDVDでもそうだけど、アシスタントとか裏方の人たちの名を(たぶん)全部入れてる。
だから、長い。長いけれども、それがみゆきさんの歌の世界である。これを省略するような人の歌なら、私もこんなにのめりこまなかったと思う。
そして、エンディングロールの背景に出てくるのが…観客であり、街を往く人である。
それは、このコンサートツァーが誰によって成り立っていたかを黙示的に語りかけているのだと解釈する。すなわち、このコンサートを作ったのは「製作スタッフ」だけではなく、いわんや「中島みゆき」という存在だけではなく、コンサートチケットを買って入場した観客を含めた、この世界があったからだというメッセージだと考える。

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2008年6月15日 (日)

思いっきり変

あの事件の報道スタンスについて思う。
思いっきり変だ!

なんで民法上成人と規定される個人の起こした犯罪について、親が糾弾されなくちゃならないのだ?
というあまりにも基本的な点はもちろんなのだが、一部の政治家がポツリポツリと漏らしている言葉にこそ、報道が深くかじりついて広めなきゃいけない点があるのではないか?

事件の普遍性の有無・再発防止に向けて報道が取りうることとはなにか、その点に思いをいたすとき、原因を個々の特異性に求めていけば、「(事件の普遍性は)無かったことになる」。そして、また似たような背景を持った事件が繰り返される。

与党の閣僚級も「これはまずい」と感じ始めているわけだし、報道だってそこに気がつくセンスはあるだろう。
まぁ厚生労働相の発言は、官僚が書いた原稿だろうけど、そういうことに気が回る官僚がいるというのが救いだし、報道もそういう官僚をソースにして記事を書けばいいじゃないか。
少なくとも私はそういう報道を期待しているのだが…

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なんか変

その一
腹減った…インスタント食品を開封しようとして、ひょいと表示に目がいった。
「本品の原材料には下表の内、枠内が■で塗られたアレルギー物質が含まれています」
で、延々と材料名が書かれている。

・小麦
・そば
・卵
・乳成分
・落花生
・豚肉
・鶏肉
・牛肉
・いか
・えび
・かに
・さけ
・さば
・いくら
・あわび
・魚介類
・やまいも
・くるみ
・まつたけ
・りんご
・オレンジ
・バナナ
・もも
・キウイ
・ゼラチン

食物アレルギーが大変な結果を引き起こすというのは聞いていたけど、ここまで表示しなくちゃならない世の中になったのだなぁ…。
んでもって素朴になんじゃこれは?と思ったのだが…
烏賊、海老、蟹、鮭、鯖、いくら、鮑って「魚介類」じゃないのか?
魚介類一般でくくったら海産物は概ねNGだろうから、ちょっとこの括りは大雑把に過ぎて拙いんじゃないかと。

その二
タバコをまとめ買いするとライターがついてくる。最近は燃料の再充填が可能なものがついてくるようになった。おかげで部屋に燃料切れのライターが散乱するようになった。…使い捨てライターだったら燃料が無くなってから分解して、燃えないごみに出していたのだが…なまじ再利用可能だと判っているとなかなか捨てる気になれない<単に貧乏性(^^ゞ
…まぁ、これは禁煙すればいい話ではある。問題は私がニコチン依存症にかかっているだけである。

その三
どっかの自動車会社が「エコのために車を買い替えましょう」って宣伝をしていた。
素朴な疑問として、そこまで言うなら、その会社の製品は全部受注生産にしないと辻褄が合わないはずなのだがどうもそうではないらしい。車一台生産するために使われているエネルギーは、ユーザーの手に渡ってから消費されるエネルギーと比べてどうかという話だ。んでもって流通ルートには在庫があるというのは、生産に要したエネルギーの無駄ではないか…と。
いやまぁ、その会社が低年式(低燃費)の車と新車(高燃費)を無償交換してくれるっていうなら話は別だけど…そんなことはないよね。

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2008年6月14日 (土)

民主党HPへ投稿してみた

前原という幹部が自党の政策を非難した云々とそれに対抗した同党シャドーキャビネットの閣僚という話を見たので、ちょっと民主党のHPを覗いてみた。「ご意見・ご感想」というコーナーがあったので、ちょっと書き込んでみた。書き込んだときの自動応答メッセージはいろんなところで見かけていたので、特に不審はなかったけど、翌日「ご意見メール担当」という方から改めてメールが届いたのにはちょっとびっくり…一応担当者が見てるのね。組織が機能してるのねと、ちょっと見直した。つぅか、政党へのメールなんて初めてやったもので他党がどうかはよく判らない…自民・公明・共産なら同じ対応がありそうだけど、社民は懐が寂しそうだからなぁ…多分できないんじゃないかな?
もっとも、自民・公明・共産には、あたしゃメールなんぞするつもりは無いけど(個人情報をどう扱うか知れたもんじゃないという不信感がぬぐえないのだ<この3政党の場合)。

日ごろの鬱憤が溜まったら、こういうところへ投稿するのもありかな…先様の担当者には迷惑な話だろうけど。

今回書き込んだのは以下の内容…ネグられても無理はないけど、マエハラからオザワに代わって、さらに時代がこうなってきた今、ほんの少し位は期待したいから。

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所謂無党派層に属するものとしてお願いいたします。

貴党の掲げる「国民の生活が第一」というスローガンに条件付で賛同いたします。
条件付と申し上げた理由は以下の通りです。

1.国民の中のどの階層の生活を第一に考えておられるのか?これまでの小沢代表のご発言からは「下から数えて多数の国民の生活を優先して考える」と理解いたしましたが、「国民」一般ではその点が曖昧になるような気がいたします。

2.そのスローガンを具体化する上で、どこに財源を求めるのか?という点が曖昧です。国民下層の生活がもはやぎりぎりのところまで追い詰められて、なおかつ、国債発行残高が巨額に及ぶという苦しい国家財政上どこかに犠牲を求めなくては済まないと考えます。この国民生活と国家財政の双方の建て直しのためには、税制の直間比率において間接税収への依存度を高めるのは困難ではないかと考えるのであります。むしろ、直接税の比率を高めるべきではないか、端的にいえば法人からの税収のあり方の見直し、特に消費税の戻し税のあり方の見直しが必須ではないか。あるいは、所得税における累進税率の見直し、これは間接税では捕捉しきれない高額所得者への課税上限の引き上げを検討するべきではないか。

3.国際社会の中で今後日本の生きる道はどこにあるのか?これだけ国民下層の生活が苦しくなってまいりますと、働き場を海外に求める方向も模索されなくてはならないと考えます。このとき、私たち日本国民が海外諸国のなかで平穏に生活できること、即ち平穏に現地社会に受け入れてもらえることが必要となります。この点において、海外諸国と協調できる外交が求められると考えます。

上記3点は、必然的に現与党である自民党・公明党の行ってきた諸施策を逆転させることになります。
これらの点を明確にすることで、初めて国民生活第一というスローガンが実現可能となるものと愚考いたします。
なお、貴党の内部に上記の施策には反対する方がいらっしゃることは承知しております。例えば、前原氏(彼が代表のとき、私は明確な反民主でした)、XX氏、YY氏等々。それが私の貴党への支持が「条件付」の所以でもあります。場合によっては、彼らと決別することも、私のような無党派層を確固たる支持層に変換する上で必要であることをご検討いただければと存じます。

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投稿時にはXX、YYには同党有力者(国会議員・県知事)の名前を入れました。

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2008年6月13日 (金)

原因は一つだけなわけがない。

人間は、生き物である。
一定の規格で大量生産される工業製品ではない。
だから、人間は一人一人がそれぞれに違っている。得手不得手もある。それを個性と呼ぶ。
社会はその個性の集合体である。

特定の個性が、社会の中で問題と看做される行動を起こした時…その個性を否定するだけで話は済むのだろうか?
その個性の特殊性を殊更にあげつらって、その問題は片付くのだろうか?
他の個性が同様の行動を起こさない保証はどうやって見つけ出せるだろうか?
その個性が具体的な行動を起こすに至る経緯の中から、普遍的な要素を拾い出しその要素についての対策を講じることが、その社会の安定性を維持することにつながるんじゃなかろうか?

疑問符ばっかり並んだな(苦笑

でもね、そういう疑問を抱かずにいられない今日この頃なのだ。

たまたま事件が起きた…大抵の人間はそういう事件を起こさないで生きている、だから彼は特殊なのだと言い募って何が改善できるのだろうか。無論彼が取った行動は、集団を維持していく上での各個性が共有するべき概念に反するものだ。しかし、その行動の原因は彼・彼の家族といった狭い範囲に限定されるものだけではないだろう。誰もが抱えうる原因だってあるんじゃないか?それが偶々その個性には耐えられないものだったのかもしれない。
誰もが抱えうる(=共有している)問題点を潰していくことがこの社会をより良い方向へ導くことじゃないかなと思うのだ。

(冒頭に戻る)
工業製品でも規格外の品物が製造されてしまうことはある。その場合、その品物は欠陥品と呼ばれ排除される。
しかし、人間は工業製品ではないのである。規格外だからといって排除してしまっては、人間の社会から進歩が無くなる。それは社会の死につながる。

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2008年6月10日 (火)

だからといって検閲が許されるわけじゃない

こういう話があると、必ずと言っていいほど出て来るんだが…

毎日新聞から
魚拓の取り方がわかんないんだけど、これはマヅイと思うので…
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東京・秋葉原通り魔:有害情報規制に努力--増田総務相
 東京・秋葉原の通り魔事件で、加藤容疑者が事件までの経緯を携帯電話サイトの掲示板に書き込んでいたことが、10日午前の閣議後の閣僚懇談会で取り上げられた。

 石破茂防衛相が「犯行予告が出ている。技術的に察知してアクションが取れないのか」と指摘したのに対し、増田寛也総務相がネット上の有害情報の規制策について「努力してみる」と応じた。また、泉信也国家公安委員長は「情報を入手できるように、警察庁が9日付でインターネット接続業者に通達した」と説明した。

 渡海紀三朗文部科学相は閣議後会見で「今の子どもはキレるといわれるが、脳科学で解明したい」と述べた。近く発足させる発達と徳育に関する調査研究会で、幼児期の脳の働きと行動について解明に乗り出す。

毎日新聞 2008年6月10日 東京夕刊
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だ・か・らぁ…
確かに今回の事件は悲惨なものだったが、それを利用して検閲行為を正当化するのは許されない

この事件に限らず、問題の解決方法は原因を探んなきゃ出てこないんだってば。
原因に触れずにビッグブラザーを気取っても、所詮「臭いものに蓋」でしかない。
臭いものに蓋をしてたら、そのうち発酵で発生したガスで入れ物が破裂するぞ。
元を断たなきゃダメってCMが昔あったでしょ?

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秋葉原の通り魔殺人事件の報道に思う

お亡くなりになられた方に哀悼の意を表し、怪我をされた方の一刻も早い回復をお祈りする。

この事件の動機については、警察の捜査~送検~裁判の過程でおいおい明らかにされるだろう。
動機を解明した上で、本当の意味での再発防止策を講じる必要がある。
あえて「本当の意味での」と記した。
気になるのは、報道内容が時間を経るうちにおかしな方向に変化しているからだ。

当日の夕方のTV報道(NHK・TBS)では、おおまかな住所と職業・それを取っ掛かりにした周辺取材だった。
そこで明らかになったのは人材派遣で工場に勤務・住所は派遣会社の法人契約で大家も入居人について具体的なことはよく判らないという情報だった。
それが深夜のニュース番組(日テレ)では…派遣社員だったということは完全にスルーし(当然派遣元・派遣先の会社名や仕事の内容は全く無し)、いきなり中学校の文集が飛び出してきて、そこのイラストに描かれている剣に注目。
まぁ、よくあるパターンの報道ではある。…あるが、そこに悪意を感じる。

派遣労働という雇用体系の内包する問題点は、近年各社の報道により明らかにされつつある。
容疑者の動機を探ろうというのなら、彼の直近の過去から追っていくのが普通ではないか?
直近の過去の容疑者の言動や彼の置かれていた環境を取材し、それが何故なのかを掘り返すのが報道じゃないのか…と。
そうやって辿りついたところが中学校の文集だったというのなら、それはそれでよいが、今の時点でそれは走り過ぎだろうと考えてしまうのだ。

新聞はどうだろう
毎日によると、
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工場での担当は塗装ライン。月曜から金曜の週5日勤務で1週間交代で日勤と夜勤についていたが、勤務態度はまじめで、公休以外は休まなかった。時給1300円で月約20万円の収入があった。契約期間は今年3月31日までだったが、1年間更新されていた。

 派遣社員を6月末で200人から50人に減らす計画があったが、加藤容疑者は、自分が対象ではないことを派遣会社から知らされていたという。

 一方で、加藤容疑者は5日の始業直前の午前6時ごろ「自分のつなぎ(作業着)がない」と大声を出して騒いだため、同僚がリーダーに報告。リーダーが駆けつけたときには、姿を消していた。

 この日、加藤容疑者が「犯行予告」をした携帯電話サイトの別の掲示板に「作業場行ったらツナギが無かった 辞めろってか」(午前6時17分)▽「やっかい払いができた会社としては万々歳なんだろうな」(午前7時44分)とあり、午後零時5分には「『誰でもよかった』 なんかわかる気がする」との記述もあった。つなぎのくだりは、加藤容疑者が騒いだ時間と近接しており、加藤容疑者が「解雇された」と誤解して書き込んだ可能性もある。また、「やりたいこと…殺人」などの記述もあった。

 加藤容疑者の裾野市富沢の自宅は人材派遣会社借り上げの4階建てワンルームマンション。3階に1人暮らしをしていた。管理会社によると、04年12月から派遣会社が32部屋のうち5部屋を借り上げている。入れ替わりが激しく、加藤容疑者の居住は把握していなかった
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もう、ここだけで素人の私にも3点掘り下げ取材してもらいたい対象が指摘できる。
その1
工場のラインの仕事では、基本的に残業は無い。その点は記事にある時給と月収からも推定できる。
※ 月収÷時給÷8(時間/日)≒20日
そこから、家賃や保険料・税金等々引かれたら…手取りは幾らだ?
その2
減員計画の存在…。
これは、当座は対象外としても、当人にはかなりのプレッシャーだろうと想像がつくのだが…
大体、長期にわたる派遣の場合は派遣先が正規雇用するのが本来の人材派遣のありかたであり、正規雇用を抱えないようにしたい経営者団体が色々な圧力をかけて立法趣旨を捻じ曲げてきた経緯があるわけだ。よって、減員計画がどのようなものだったのかという点も…読者としては知りたいのだな…減員といいつつも、派遣社員から正社員への変更による派遣者数の減員だったりしたら、さて、どうだ?
「減員の対象外=正社員になる機会の先送り」という解釈も成立するわけだ。
その3
入れ替わりが激しく、容疑者の居住は把握していなかった。
これって…飯場の現代版と違うか?更に言えば、仮に派遣先企業への派遣社員専用で準備されていたとしたら、その派遣先での労働がかなり過重な(だからしょっちゅう辞めていくし、そこへ補充が頻繁に入る)ものだったとも推定される。

以上の3点は個人的な疑問である。が、それを解く事はこの事件の本当の再発防止策につながることだと思う。なぜなら、彼が「世の中が嫌になった」原因を解くことこそが本当の再発防止策だと思うし、彼が「世の中が嫌になった」と考えるのも無理は無いかもしれないと思える種が上記報道に含まれているからだ。

但し、いくら世の中が嫌になったからといって無関係な他人を殺すのは話が別だ。
思いを表現する方法・思いの向け先…両方とも間違っている。
容疑者もそんなことは百も承知の上だったかもしれない。威圧だけで上下関係を維持しているのなら「言っても無駄だ」との思いに陥ることは私にだってある。
でも、やはりそれは駄目だ。言っても無駄な関係を言えば稔りのある関係にしていく…これは立場上相対的に強い側が意識しなきゃだめだ。

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2008年6月 3日 (火)

方言

例えば
「われ」という人称の表現…
これが専ら一人称として用いられる地方と、二人称として用いられる地方がある。
(後者の場合、「なれ(汝)」が訛ったのかもしれないが、詳細は知らない。)

で、「『われ』を嘲笑う」表現を聞かされた場合、前者と後者では当然聞いたほうの反応は異なるものとなる。
前者の場合は、話し手が自嘲しているものと理解するから、喧嘩を売られたとは思わない。後者の場合には学校教育等の機会により「われ」が一人称の場合もあるということを承知しているので、まぁ大事にはならない。
いずれにしても、同じ発音でも異なる意味があるということを前提としていれば、その違いを超えて理解する努力が可能になるだろうという話ではある。

ネットを徘徊していると、どうもこの点に思いがない人がいるようだ。で、言葉の違いを乗り越えようとして言葉の意味を確認しようとすると怒り出す…始末に悪い…。

最近とあるところで、そういう人を見かけてしまった。
はっきり言うと、方言が自分の言葉と異なることを承知で乗り込んできて、そこで使われている言葉が自分の知ってる言葉と違うと駄々をこねられても、困るのだな。
言葉が違うと判っているなら、違いをきちんと理解しようとすれば良いのに…そこの方言を使っている人たちも一所懸命彼にその違いを教えてあげようとしているのに…。

…ツラツラ考えるに、こういう人たちって、まともな教育受けてないんじゃなかろうか?
人を蹴落とすための手段を得るのが教育って思ってるんじゃなかろうか?
「自分が人を蹴落とす可能性⇔誰かに蹴落とされる可能性」という自意識が、ああまで駄々をこねさせるのだろうか?

本当は気の毒な人なのかもしれない…が、しかし、彼が「多数派」じゃ困るんだよ、こちらが。
そんな殺伐とした世界は、リアルの世界だけで十分なのだ。
それとも何か?彼はリアルの世界がどれだけ残酷なのかをわかってないのか?
これだけ情報の溢れる世界で、それはただの○○だ。

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2008年5月28日 (水)

またかよ…

「小中学生には必要のない限り携帯電話を持たせず、」だそうである。

その昔、「3ない運動」というのがあったっけ。
それを思い出すなぁ…。
いや、まぁ大人になってから、いきなり情報の海に放り込まれて溺れても「自己責任」の世の中ですから、こういう発想が出てきても不思議じゃないのではあるが…。
昨今の流行り言葉に「リテラシー」というのがあるが、リテラシーは目隠ししてちゃ身につかないと思うのだが、どうも「偉い人」の考え方は違うようだ。
突っ込みどころはいくつもあるが、「3ない運動」への批判がほぼ当てはまる。
とりあえず、高校生になったら完全フリーで良いの?ってとこを押さえとこう。
次に、情報通信産業を次代の主役とおだててきたお上の方向性との矛盾を指摘しておこう。
親の判断としてフィルタリングをかけるというのはあっていい話だが、それだって子供の成長段階に応じた個別対応(段階を踏んだ解除)が必要であり、それができないと認めることのほうが大きな問題じゃないか?

まぁ、これを言い出した教育再生懇談会なるもの…そのほかにもいろいろ傍迷惑な事を言ってらっしゃる。
英語教育の抜本見直しとか…。
あのな…そこになんで「日本の伝統・文化」が出てくるんじゃ?
「真の国際人」ってなぁ…だったら国外で地元の人と仕事している人の足引っ張るようなことすんじゃねぇよ!
「靖国」上映禁止圧力なんかを、「国民の代表」たる国会議員がやってて「国際化」が聞いて呆れるわ。

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2008年5月24日 (土)

秋葉原ぁ

久しぶりに秋葉原を散歩してきた。
随分と街の景色が変わっていた。秋葉原デパートが無い。中央通りの日通ビルはすっかり撤去され、工事の目隠し板で覆われていた。ラオックスのコン館は未だシャッターが下りたまま…。ラジオデパートに入ってみる…空きスペースがやけに目立つ。頭の中では判っていたものの、昔足繁く通った秋葉原ではない…。
それでも、ラジオセンターは(店の入れ替えはあるだろうけど)昔のまま。これがありがたい。
秋葉原の魅力は、そこに行けばとりあえず何とかなるという品揃え。
仕事で使う消耗品や工具はやや特殊なものが多いため、一般のホームセンターではどうにもならない。普通は専門の問屋から見積もり貰って、相見積もりかけて、決裁書書いて、経理の承認貰って、注文書書いて、発注かけて、納期確認して、検品して、請求書貰って、請求書を経理に回して…とこれだけの処理をしなくちゃならない。面倒くさいことおびただしい。秋葉原にくれば、(いざとなったら自腹の覚悟だけしておけば)現物が手に入る。
PCパーツでも同様で、アンチintel & nvidia派の私でも納得できる品揃えのお店がいくつか残ってる。大手の店は無茶な安さは無いけど、そこに行けば一式揃うという安心感がある。
こういう安心感は街の歴史の蓄積だろう。

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2008年5月20日 (火)

築地市場移転?(2)

オリンピック以前の問題として、こりゃ大事ではなかろうか?
予定地の汚染対策、1000億超も--専門家会議

この前のエントリーでメディアセンターを豊洲に作ったら?なんぞと書いたのだが…
どうやら、問題はそんな呑気な話じゃなさそうだ。

土壌汚染防止法に定められた特定有害物質が、上記記事によれば、土壌からベンゼンが最高で環境基準の4万3000倍、シアン化合物が860倍検出され、地下水ではベンゼンが561カ所(全面積の14%)で環境基準を上回ったという。
で、慌てて土壌汚染対策法水質汚濁防止法を読んでみた。
これは…東京都がやることは、とりあえず当該の土地に立ち入り禁止命令をだすこと、次に汚染された土壌や水の外部への流出防止策をとることではなかろうか?
それは確かに排出者責任という問題はあるだろう。…だろうが、そのための資金貸し出しとか東京都にできることはたくさんあるだろう。

これは築地市場移転云々以前の問題だ。
豊洲を、まず法令基準に照らして安全といえる場所にすること。
それをもって、やっと上物に何を作るかのスタートラインに立てるのだ。
現状ではメディアセンターだって無理だ。

その対策の結果として、もう市場移転に出せる金がないというなら、すっぱり移転を諦めればよい話だ。
また、対策を打ってるうちにオリンピックが…というのは論外の沙汰だ。
どうせオリンピック誘致は困難なのだから招致活動にかける金もこっちに回せば良い話だ。
…だいたい、こんだけ話題になった土地に開催地が回ってくるという考え自体…甘い!

調べていたら、こんなものまで見つけてしまった
築地市場移転について
平成18年2月13日付けの文書
ここには、浄化処理にかかる費用は東京ガスに出させると書いてある。
ほぉ…1000億円超を民間企業に出させるのか…東京ガスのガス料金が高くなるな…

参考リンク:Gazing at the Celetial Blue
各種報道がまとまってます。

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2008年5月18日 (日)

死語?

「直打ち」:パソコン通信の掲示板の記入欄に、自分の脳内の思考を直接タイプすること。これは自分の主張という結果のみを一方的に言い募ることにつながりやすく、その思考過程がそれを読む人には見えにくいことから、往々にして掲示板の持つ対話機能を否定することになるため、基本的にマナー違反とされる。

これ、その道の先輩からよく言われたことなんだよねぇ…。ネット上に出すテキストは発酵熟成してから出せ…ってね。
…まぁ、私の場合は発酵ではなく腐敗だともよく言われたけど。

でも、昨今の立ち回り先を見ていると、どうも直打ちが一般的みたい(特にコメント欄は)。
どうやらこの言葉は死語となったようだ…が、それで良いのかなぁ…と考えてしまう。

まぁ、相手は直打ちで入って来たにしても、それに直打ちで答えるのはどうかな?と思うのだ。
自分がやった直打ちの場合を思い出すと、やっぱり相手への感情、それも負の感情がむき出しになるのだな。これをまともにやり返すと本当に泥沼になる。
相手にも同じことをすることで、相手に非を気付いてもらおうという心遣いのつもりかもしれないけど、はたからみていると「やられたらやりかえせ」にしか見えない場合が多いのだな。
なんかそういうのって、息苦しい。

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2008年5月11日 (日)

ビフテキの話

ビーフステーキというものを初めて食べたのは20代後半になってからだった。
はっきり言って…不味かった。どんな味だったかというと…ものすごく青臭くて、かつ肉は硬くて…ナイフで切るのにまず一苦労、顎がくたびれるまで噛んでもまだ噛み切れず飲み下すまでがまた一苦労。

まぁ、「レア」なんて恐ろしくて注文できないような衛生環境と脅かされた場所だったし、その周辺で見かけた牛(生きているの)は、日本のテレビ番組などで見るようなふくよかなものじゃなくて、あばら骨がくっきりはっきりと見える牛ばかりだった。当然育て方も日本で食用に供されるものとは違っていただろう。牛肉の味はえさによって大きく変わるものらしいし。
ただ…ねぇ、そちらの方が育て方としては自然だったように思うのだな。絶対に専用の飼料は使ってないような土地だったから…。そのあたりの草を適当に食わせて、大きくなったら食肉用に売ってるような雰囲気だった。
…で、その土地でポークステーキを食べたら…これが美味しかったのだ。
以来、私の脳内には豚の方が美味しいという観念がこびりついている。日本じゃ一般に牛の方が高価だから、それでOK(笑。

…こんな与太話をアップするのは、日本の食用肉って、とっても手間と金をかけているんじゃないかと思うから。さっきポークステーキが美味しかったと書いたけど、その土地でも豚はかなり管理されて育てられていたから…実際、豚の方が高価だった(需要と供給のバランスも大きいだろうけど)。

でね、手間に見合った価格で供給されて、かつ、それが容易に入手できるような経済状態なら問題は少ないんだけど、そうじゃなくなったら…という不安が拭えないのだな。

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2008年5月10日 (土)

海豚の話

海豚=かわいい!・殺すなんて許せない!という人は、以下読まない方が良いでしょう。

前の記事から、食べ物つながりでの海豚の話。

子供の頃、口にする畜肉というと海豚だった。
理由は簡単、安いから…。
学校の給食では鯨肉が多かった…この理由もおそらく同じだろう。
霜降りの牛肉なんてとんでもない、豚肉だって滅多にお目にかかれない高級食材…そんな時代があったのである。そんな時代、海豚は魚網を破る「害獣」として捕獲され安価な食材として市場に出ていた。
あるとき、ある種の団体がその漁の現場に乗り込んで妨害をした。彼らの言い分が後日報道され、その言い分にカチンと来たのを覚えている。

彼らの言い分:海豚は知能水準が高い高等生物であるから、殺してはならない。

カチンと来た理由:
・海豚の行動による漁業被害の補償について何も答えてない。
・回りまわって…自分たちが肉を食えなくなる。
・海豚は高等生物っていう物言いに、物凄い選別・差別主義を感じた。

今、海豚を積極的に食べようとは思わない。
しかし、当時感じたことは今でも有効…のような気がする。

現在漁業被害への対案として具体的になっているのが、海豚を食料資源から観光資源へ転換することである。また、豚や牛の値段も、当時と比べ相対的に安くなり、容易に入手できる環境にある。
これらは経済的に豊かになることで得られたものと考えて良いだろう。>経済的に余裕ができたから観光産業が成り立つので、お客が来ないことには観光は産業として成り立たない。また、豊かになったからこそ家畜の価格が相対的に安く感じられる。
そういうふうに環境が変化することで、3番目のカチンにも正面からぶつからなくてすむようになった訳だ。…牛や豚は高等生物じゃないのか?って問題も、おめぇらに言われる筋じゃねぇってことになるのだし(少なくとも同水準での原罪みたいなものだ)。

さて…環境は変化するものである。これまでは都合の良い方向へ変化してくれたからいい。しかし、昨今不景気である。牛や豚の安定生産の基礎には安価な輸入飼料の存在が欠かせなかったと考えるが、これもバイオ燃料やら原油高騰やらでそろそろ怪しい。そうなったときに、海豚を再び食用に捕獲することが無いといえるだろうか?私にはいえない。
そのときに、また同じ言い分で海豚を食うとは何事だと言われたら間違いなく…切れる。

何故か…。それは相手の言い分が感情だからだ。
3番目のカチンの理由もそれだ。「高等」<->「低級」の線引きの根拠を示すことなく、ただ「海豚は高等生物」と言い募る行為に嫌悪するのは、それが感情に因るものであるからだ。そして、その感情は、容易に人間という種のなかにも同様の線引きを持ち込むものであるという「事実」があるからだ。
…と、今になれば言える。その頃はただなんとも言いようのない嫌らしさだけを感じていたのだ。

彼らが海洋資源の再生可能性を根拠にしていたら、これほどまでにいやな記憶として残りはしなかったと今にして思う。

そういえば、「環境保護」と「動物愛護」は往々にして対立するものだそうだ。
これも「環境保護」が科学的アプローチをするのに対し、「動物愛護」は感情からのアプローチに陥りやすいため…と誰に聞いたんだっけかな。まぁ、環境保護のためには人為的に淘汰することも必要になるのだから、安直な愛護精神では対応できないよなぁ。

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2008年5月 7日 (水)

築地市場移転?

毎日新聞から…
東京・築地市場移転:豊洲新市場建設予定地、4万倍ベンゼン検出--都調査

昔、とある海岸沿いの民宿での笑い話…
東京から来たお客さん。「活きのいいマグロやトンカツが食いたい」
民宿の主「こんな地魚の美味しいところへきて、わざわざ東京(築地)から来たマグロやとんかつを食べたがるのかねぇ」
まぁ、これは笑い話で済む。

だが、リンクした先の記事を読むとのんびりとしてはいられない。
「頼むから東京市場に出さない魚を食わせてくれ」
ということになるだろうなぁ…。

大体、築地を移転してその跡地をどうするのか?
都の計画では来るべきオリンピックのメディアセンターなるものを建設するそうだが、そもそもオリンピック誘致ができなかったらどうするのか?
誘致が失敗したとしても、メディアセンターは有効に機能する…として、それが築地である必要がどこにあるのか?
むしろ、豊洲の方がメディアセンターの立地としては好ましい気がする。
メディアセンターと称する以上、通信網の整備は必須となるが、この点で最寄のNTT局はどちらがどのくらい近いか<この場合、NTT局の拡張余地も考慮に入れなければならないので、詳細は検討できない。ただし、推論はできる。銀座から築地までの立地の混み方と豊洲周辺の立地…双方のNTT収容局規模は素人にはわからないにしても、回線設備の新規敷設を見越した場合、明らかに豊洲の方が有利に思える。
…え、ニュース記録の配送に交通渋滞があったらまずいだろうって?あのですね、日韓ワールドカップは光ケーブルで各競技場とTV局の間を(中継センターはあったけど)結んだんですぜ。日本の通信基盤をなめちゃいけませんな。

食い物を大切にしなさいって、よく言われることだよね。
それを冒頭に挙げたような土地で扱うってことは、食べ物を大事にしてないってことにつながるような気がしてならないのだな。
Wikiで調べたら、築地市場って70年を越す歴史があるんだってね。
ある意味、枯れた土地だよね。
それを、毒物で汚染された土地に移転するって…しかもその跡地には食べ物とは無縁な設備を作るんだって…なんか倒錯している。

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2008年5月 6日 (火)

憲法前文読み比べ

あるところで、日本国憲法と自民党改憲草案の前文を掲載してあった。

憲法前文とは、憲法の解釈において基本となることを要約したものである。
というわけで、改憲草案の方を私流に注解してみることとする。

-----自民党 案-----
前文

 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

 象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。

 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。

 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
------ここまで------

…さて…

>日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

何故憲法を書き換えるのだという理由が、まったく説明されていない。
あのな…どんな法律だって、日本国民が主権者として制定しているのだぞ。
そのために立法府の議員を選挙で選んでるんだ。議員はその権能を委任されているだけだ。
法律の上位・下位の概念がわかっていないことを最初から露呈している。

>象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。

普通の会話・文書で物事を列挙する場合、重要なものから始めるものである。
さて…天皇制を最初に持ってきてますね。接続詞「また」はこの場合どういう使い方なのかなぁ?
どう解釈しても
(象徴)天皇制の維持≧国民主権・基本的人権の尊重・平和主義
という位置づけになりますなぁ…
さらに国民主権に「自由主義」という限定をわざわざつけているという点も胡散臭い。
すなわち、天皇制の維持のためなら国民主権・基本的人権の尊重・平和主義は捨てる可能性をこめているわけですな。

>日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し

出たな ばけもの。
一番問題なのはここである。
憲法をせせこましい「日本」に閉じ込めて、世界の中の日本という視点からの宣言を否定する。
偏狭な「愛国心」全開である。
ここは現日本国憲法前文の生存権について記載してあるところと比較するのが良いだろう。

----日本国憲法 前文より抜粋------
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
-----抜粋終わり-------

「全世界の国民」ですぜ。独り日本国なる制度に留まらず、全世界にまで普遍すべく書かれているのですぜ。改憲をいうなら、これを超える論理を提示して欲しいものですな。
こんな偏狭な精神世界を陳述しているから、後段の平和主義が色あせてしまう。

>日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。

京都宣言を踏まえて書いているものとは思うが、前文に書くほどのことか?
逆に、これさえしていれば良いのか?
現日本国憲法の前文末尾と比較してみよう。

----日本国憲法 前文より抜粋------
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
-----抜粋終わり-------

改憲草案の薄っぺらさが際立つなぁ。

最後に、改めて現在の日本国憲法前文を…前出改憲案と読み比べ、格調高い文章である。

------日本国憲法 前文(1947年施行)------
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
------------------------------------------

現行憲法と改憲案の読み比べをするための参考URL
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/jiminkaikenann.htm

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2008年4月28日 (月)

なんだ この裁判は?

出先でTVに流れていたニュース
この事件も随分マスコミにほじくり返されていたものだったが、量刑についてどうも釈然としない。
いや、釈然とする解釈はあるのだが、そこまでこの国の司法が腐ったとは思いたくない。

釈然としない点
・弁護側のみならず、検察側の精神鑑定結果においても心神喪失状態であったことが報告され、判決要旨でも、それらの鑑定結果は信用できるとされている。
・遺族感情を配慮したというが、一番近い遺族は加害者である。
・被害者による加害者への日常的暴力の存在を認めている。
・殺人行為後の隠蔽行為を以って、殺人に至った時点での責任能力を認定している。
これだけ、加害者有利の事実認定をしていながら、懲役15年って重過ぎない?
最初にあげた点からいって、死体損壊の適用が関の山だと思うのだが...。

釈然とする解釈
この法廷の裁判官が「人が死ねば加害者は原則死刑、または検察の言っていることは基本的に正しい」という前提で法解釈・量刑判断をしている。
…と考えればこの量刑判断も納得いくんだが、それでは被告・検察の間で中立的に事実認定をする裁判官のありようとして失格だろう?

えぇと、来年から裁判員制度が始まるんだよね…こういう裁判官に指揮された裁判員が判断する裁判って、人民法廷じゃないか(怖

(参考)
刑法第39条
 心神喪失者の行為は、罰しない。

同法第190条
 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。

夫遺体切断事件の犯罪心理学

東京新聞

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2008年4月26日 (土)

サーカスの国

パンとサーカス…古代からの統治原則だが、この国の政治を委任されている部門には、もうパンを作る能力がなくなっているのだろう。ならば、委任を辞退すればよいものを、サーカスの出し物を過激にしてごまかしているのではないか。

この国は…この国民はサーカスを見続けたがっているのではないか?
そして、サーカスのお題を探すことがマスコミの使命となっているのではないか?

ある事件でこういう報道があった。
そして、別の事件の差し戻し裁判の判決が出た。
両方の事件(および最近の諸々)から感じる不安。

前者の事件で、マスコミやネットに湧いた被害者へのバッシングを私は忘れていない。
被害者が日本の国内法で訴え続けることを断念したときの彼らの勝ち誇りっぷりを私は忘れていない。
そして、今…前者の事件について、米軍が加害者の行為を犯罪の可能性があると認めたことについて、彼らがその当時の自らの行動を振り返って語られているところは見当たらない(※)。
※わざわざ探したりはしていない。
 あの当時(といってもたかだか2月前のことだ)は見たくなくても、視界に入ってきたものだ。

それは何故か…
…あの事件も、彼らにとってはおもちゃに過ぎなかったということであろう。
…あのとき、マスコミやネットに溢れたセカンドレイパーがたった2ヶ月の間にほぼ全員改心したなぞという御伽噺は信じられないから…

そして、後者の事件…これはこの数年間にわたり、彼らのおもちゃであり続けた。
「吊るせ・殺せ」と大合唱の渦。そして、最高裁の差し戻し理由は、刑事訴訟法405条による上告を退けた上で、411条を適用している。さりながら、この事件については原判決では無期懲役とされていたわけで、そこに「無期懲役≒15年の有期刑」とかなんとかキャンペーンが張られて今回の死刑判決となった…が、無期懲役の理解が違っている。ことに近年になって仮釈放までの期間が長くなる傾向が見られることは留意すべきだ。
この差し戻し審理での弁護活動さえも否定する阿呆(職業:弁護士?)がどこぞの知事になっているということには、この国のサーカス化の進行を看て取られても仕方あるまい。

サーカスを見て拍手喝采している人々…
彼らが恐れていること…「次はお前だ!」と指を差されることなのかも知れない。
だからこそ、マスの中に身をおこう、次に指をさされないように大樹の陰に隠れようという心理がはたらいているのかもしれない。

彼らには、他の道があること、法治主義・民主主義こそが自分たちを守ってくれていることが忘れられている

眼を開けよう…次は自分かもしれないという恐怖に怯えなくて良い道を歩こう。
誰しも、この社会に生きる限りいつ何時加害者になるかもしれない。
そのとき、ネガティブな感情に基づく判断を下されることを回避する道は、「法の下の平等」を字義通りに機能させるしかないのだ。

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2008年4月24日 (木)

あぁ 腹が立つ

まったくもう、誰かに責められたくないって気持ちはわからんじゃないけど、なんでこう他人の言うことを真っ向から否定できるものかなぁ…
まぁ、それ位じゃなきゃ出世はできんわな…あんたがなんで、俺が尊敬している人みんなに嫌われていたかよぅく判ったよ。
ま、おとなしくしておこう。
あ、あとで責任転嫁されないために証拠をとっとかにゃいかんなぁ…これはこれで結構しんどそうだ。
寝首をかくのはやつの方が上手だからな…
まったく、口と書類に手間をかけるより、手を動かした方がなんぼか早いのに。

自分が手を使ってない輩に、手の動きを説明することがどんだけしんどいか。
あぁ、早く出世なり独立なりして俺の前から消えてくれぇ!

(はい、ここは私の愚痴のはけ口です。)

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2008年4月20日 (日)

情と知は対立するものか?

私は情に溺れやすい人間であると自覚している。
それゆえ、知と情が己の中で対立したように感じるときには知を選択するように心がけてきた。
その選択により人生で大失敗もしている。また、情を抑えきれないことによる失敗も数え切れない。
ところが、そんな私を冷静沈着・冷淡・薄情者などと評価する人がいたりするから面白い。

ところで、コミュニケーションにおいて情と知は対立するものなのだろうか?
あるいは、情は知によって克服されなければならない負の存在なのだろうか?

たとえ、動機が情にあろうとも、他者に対する発話は一旦知のフィルターを通すものである。
とすれば、情は知によって支配される存在なのか?
知は知のみにて存在しうるのか?
存在しうるものだとして、純粋に知のみにて他者とのコミュニケーションを行っている人が世の中にいるのか?

なんか訳わかんなくなってきたぞ。

コミュニケーションの成立とはなにか?

そもそも、何かを相手に伝えたいという発話の動機は情によるものではないか?
外部に自らの言葉を発したいというモチベーションは情ではないだろうか。

感情のままに知の制御をうけないまま吐露される発話。
あえて知のフィルターを外して行われる会話。
期待された答が返ってきて万々歳。
そんな会話もあるだろう(まぁ、普通は喧嘩になると思うけど…)。
でも、期待していた反応が返ってこなかったらどうしよう…。
いつも、その恐怖と期待をを抱えながら発話してるんじゃないんだろうか。
期待する反応を返してもらうために、自分の情を他者に理解してもらうために、知というフィルターをかけているんじゃなかろうか。

「情に溺れる」ことは克服される対象かもしれないけれど、情そのものまで克服する必要はないんじゃないかなぁ。

(いきなり話を変える)
知の蓄積が、情として顕れることだってあると思うのだ。
ある事象を目の当たりにしたとき、細かい理由なんて考える前に「あ、変だ」と反応することは、よくあること。
ここにおいて、変だと感じるのは知の蓄積の結果であることが多い。
いちいち理由なんか説明せずとも反射的に思考が進むってのは、その手の経験を積んだ(知を蓄積した)人のほうが多い。

(むりやり結論)
「情あっての知」であり、同時に「知あっての情」だ。
どちらか一方が、もう一方によって克服されなければならないと一般的に決め付けるのはいかがなものかと思う。

(誤解なきよう)
特定の条件下において、知をもって情を抑える(逆も)ことはある。
その条件はケースバイケースだ。

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気持ちが晴れないときは…衝動買い(いいのか?)

ここ数日気持ちが晴れない。
そんなときは、ヤケ食いか衝動買いに限る。

…で、AMAZONを見ていたら「ウィンター・ガーデン」が、以前から涎をたらして見ていたときの半額で出品されていた。
…クリックしてもうた^^;
…そうなると騎虎の勢、「夜会―中島みゆき」「海嘯」までクリックしてもうた。
…「ウィンター・ガーデン」に比べたら安いものだ…

これで、一応「夜会」関連の本は揃ったな…あとは文庫だけ入手済みの分のハードカバーだ…
そんなことして良いのか…という理性の声はもはや聞こえない(笑

ネットで買う古書の場合、現物の状態は古書店のブランドイメージに頼るしかないという一種の怖さがある。
これまで買ったみゆきさん系の本は、古書店がすべて「良」判定で、実際開封してみるとほとんど未使用では?というような状態の本が多かった。

ひょっとして、中島みゆき様の本は手袋して読まれているのだろうか?
そういう世界はちょっと怖い。
だから、私の手に落ちたこれらの古本は容赦なく手垢にまみれるであろう。

もう一つの可能性…「著者:中島みゆき」ということで、買い占めて倉庫に保管している業者がいるんじゃなかろうか…だとしたら…ゆ、許せん!!!

本は読まれてこその本。

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2008年4月17日 (木)

繰り言

立ち回り先で「実録・連合赤軍」という映画に端を発する言葉のやりとりがあった。

連合赤軍以降、右にせよ左にせよ【政治】を公然と語り合うことが困難になった印象がある。
右は反動に取り込まれることによって未来を展望することができなくなり、そして…いつのまにか【政治を語ること】=【左翼】=【過激派】=【排除されるべきもの】という刷り込みが浸透した。

自らを省みれば、幼いなりに平和・平等というものは追求するに足りるものということくらいは認識する年齢であった。
それだけに、平等や平和を追求するという目的の下に集ったはずの人々がなぜあのように陰惨な姿に変貌せざるをえなかったのか…今でも完全に解けたとはいえない衝撃であった。

そして、物言えば…という時代になっていく。
その時代にあっては、民青や民学同といった行動面においてのラジカルを失った部分であっても、容赦なく排除された。
その排除は理論的な排撃ではなく、個々人の目の前の利害に訴えかけるものであり、それだけに効果的な反撃がなし得なかった。そして、その排除を正当化するための道具の一つに使われたもの--それが連合赤軍事件であった。また、その排除を正当化させるにたる悲惨な事件でもあった。

その攻撃に対する理論による反撃は、生活を確保するという強さが無いことに加え、メディアが報道したあの事件の悲惨さも相俟って、有効なものとはなりえなかった。

その後に続く年齢層の人たちには、「三無」とか「しらけ」とかというラベリングが行われた。
※三無とは「無関心」、「無感動」「無気力」のことなり。

大抵の人間にとって、三無になるのはむしろ当然である。
【余計なこと】に関心を持ち、感動し、それにのめりこむ気力をもったものがどういう扱いを受けるかを知ってしまえば、その扱いに耐えうるという自信を持ち得ない限り、大抵は逃避する。その心理を私は軽蔑することなどできはしない。

しかし、そんな時代の流れの中に三無であることを拒否した人たちも確かにいる。
深い情と鋭い知性をもって、物事に対峙している人たちがいる。
その人たちの営為に触れるたび、襟を正さなければと思う自分がいる。

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2008年4月12日 (土)

間違いなく見ないだろうけど

最近話題の映画「靖国」。
この映画、騒動になるまで知らなかったし今まで公開された情報からしても、間違いなく見ることは無いだろうと思う。
…思うが、今回の騒動は、日本の国内にある種の人々が一定の力を持って存在していることを、世界中に晒してくれた。
そのことは評価されるべきことだろう。
それは確かに日本人としては恥ずかしいことだし、海外で暮らしている日本人の中には肩身の狭い思いを余儀なくされている方もいらっしゃることだろう。
しかし、これが現実なのだ。

で、靖国神社…
そのありように異議を申し立てると飛んでくるのが「死者を政治の具にするな」という言葉なのだが、これは言う方と言われる方が逆なのではないかと思うのだ。
以前、ここの記事にも書いた私の伯父は「戦友は靖国に祀られている」という人だった。
靖国神社の存在を肯定する人の多くは、伯父と同様に「靖国神社を慰霊の場」としているのだろう。
そういう機能を彼の地に求めている人がいることは私も否定しない。

ただし、そういう機能を持って良いか否かの判断はまた別である。
問題は、靖国神社の由来と現状において「示威」の機能が大きいことである。
慰霊と示威、両者が共存しうる機構とは一体なんだ?ということだ。
明らかに顔見知りの近親者が祀られているとは思えないほどの年齢の子供が、異様な作業服姿で大挙して行進を行う光景は、さて、慰霊であろうか、示威であろうか。
はたまた、○○の会とかなんとかを名乗って集団で出向き、マスコミにその行為を報道させる国会議員たちの目的はいづれにありや?

仏式の慰霊に馴染んだ眼から見て、あれは慰霊ではないだろうと思うのだ。
明らかに国家主義者たちの示威行為だろうが…。
あのオバサンたちも、それが示威行為だということを自覚しているから今回の騒動を起こしたんと違うか?

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2008年4月 7日 (月)

耳栓が必要なので…

今更ながら、厄介な病気になったものである。
とにかく人の中にいるのが煩わしい。

そうはいっても生物としての生存本能は機能しているから、飯の種は欠かすわけにはいかない。
よって、通勤や勤務という苦行が毎日やってくる。
まぁ、勤務の方はしゃぁない。やり方次第である程度他人から離れていられる仕事だし。
問題は通勤である。
傍若無人な会話に留まらず、他人の気配がとにかく鬱陶しいのだから厄介である。

そんな時間に耳栓として愛用しているのが

 と 

クラシックのほとんど無音に近いピアニッシモでは流石に無理だけど、POPSを聞いている分にはほぼ完全に外部から遮断される。
スピーカーの直下にいても車内放送が聞こえないのだからたいしたものである。

ヘッドホンは、プレーヤーの最大出力が大きいので他の機種でも良いようなものであるが、自分がいやなものは他人にもいやだろうと考えてしまうので開放型のヘッドホンは使えない(音漏れがひどいから…)。音質もまぁまぁ好み(高音が伸びないのは嫌いσ(^^))。

プレイヤーも韓国製の良さが出ている。
とにかくファイル操作が楽。ドラッグ&ドロップで曲のファイルが転送できるというのはやはり便利だ。日本製や米国製の類似品は専用ソフトが必須なのに、そんな余計なものを使わなくてよいというのはPCにもストレスがかからない。
再生ファイルも、ライセンス料のいらないflacやoggに対応しているのがいかにも韓国製。
メモリ容量が大きいから、flacでも10枚位のアルバムが楽に入る。

でも、なぁ…本当はこんなもん使わなくても平気でいられなくちゃいけないんだよなぁ…。
他人の気配から逃げていると、実生活でも支障をきたす。
実際に電車事故の車内放送を聞き損ねたこともあるし^^;。

まぁ、こいつらを使わなくても平気で通勤できるようになれば、「治った」と言えるんだろうなぁ。

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2008年4月 5日 (土)

はしたない

はしたないという言葉がある。
私の経験は些細なことである。
そして、そんなことで大人が騒ぐのは「はしたない」とされていた時代・土地柄だったのだろう。

私の子供の頃…といっても高校生だったが、生徒会総会を延々とやったことがある。
議題は…なんだったかなぁ…忘れた(笑
とにかく、みんなが納得できるまでとことん話し合おうじゃないかということで始めた集会ではあった(裏で糸を引く集団と目された面子の一人だったりする σ(^^))。
かなり険悪な空気も流れたりしたが、教師は最後まで介入しなかった…介入しようとしたら追い返された。最後は、帰宅者が最終電車に間に合わなくなるということで散会したような記憶がある。

後日になって、一部の親から学校にいろいろクレームが架電していたということを知らされた。
なんでも「アカ」とかいう言葉も出ていたらしい。
それでも、教師はそれを生徒に知らせず、電話に粛々と対応していたとのことであった。
クレームの存在を理由にして、生徒の活動を萎縮させようとはしなかったのである。

クレームをつけてきた親の方も、それより大きく騒ぐようなことはなかった。(小さな田舎のことであるから、騒げばそれなりに私たちの耳に入ることになる)
騒いだところで、別の親たちが「子供たちのことにいちいち口をはさむなんて、はしたないことしなさんな(そんなに手前の子供が信用できないの?)」と抑えて終わり…だったのだろう。

さて…昨今の君が代斉唱問題…
起立・斉唱を強要する側に「はしたない」という感覚があるのだろうか。
君が代斉唱の指示に対して着席程度の意思表明をした子供たちの目に、彼らはどう映るだろうか。
それまで一緒に生活の一部を共有していた教師を罵倒する行為が、子供たちの目に快いものとして映るだろうか。

ほんと、もう「はしたない」行為は止めなされ。
自分たちの主張を成熟した大人のものとして見てもらいたいなら、はしたない行為は逆効果ですぜ。
…そりゃ、ガキの騒ぎで結構というならそれでも良いけど、年齢的に大人といわれる部類に入ってるのなら、それこそ「責任」はついてまわりますぜ。
威力業務妨害とか脅迫とか名誉毀損とか刑法に規定はあるんですがねぇ…

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2008年4月 2日 (水)

2006年11月を思い出す

Gazing at the Celestial Blue様のところの記事を読んで、一年余り前(2006年11月)のことを思い出してしまった。
あのときより事態は深刻な気がする。

あのときは生徒さんの側の対外的なアクションに対するリアクションだった。
今回のケースは、産経新聞社(およびその裏にいる連中)が、積極的に悪意を向ける先を探し出したように思うのだ。
何というか、日本は監視社会を志向しているぞ、俺はその尖兵たるぞと産経新聞社(およびその裏にいる連中)が宣言しているような…そんな薄気味悪い気持ちのすることだ。

前掲記事にも引用されているが、なんでわざわざ2週間経ってから報道するのか?
それだけの時間があったのに、特定の学校だけを取り上げるのか?
意図は明白だろう…その学校を特殊な存在と印象付け、特殊な存在=叩くべき存在と認識させようとしたのだ。
それを補強しようとしているのが、街宣をかけたり、罵声電話や無言電話をかけている連中だ。

君が代なんて、たかが歌じゃねぇか。
いちいち起立しろとか、歌えとか命令していてどうすんだよ。
国歌だから命令しても歌わせなきゃならないのか?
笑わせるんじゃないよ。

それとも…お上の命令が無ければ行動しない人間を作りたいか。
上見て歩くな、下見て暮らせ…てか?
そんなにこの社会を閉塞させたいのか?
日本から自由な発想を生む活力を奪いたいのか?
それで、この社会に何が得られる?

門真三中の先生方には頭の下がる思いがする。
今のこのご時勢に、君が代が背負った過去をきちんと伝えたのだから…。
そして、自分の判断で着席なり起立なりした生徒さんがいることに安堵する。

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2008年3月29日 (土)

花は散り際…なんてことはない

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世代を引き継ごうとして、幹に咲いているこの花。
枝に密集して咲いている花も美しいが、この花を愛おしいと思う。

無粋なことを言うと、ソメイヨシノは種から繁殖しない。
品種改良の結果、種で増えることができないようにされてしまったのだ…人の手によって…。

当たり前のことだが、花が散れば実が残る。
その実によって種は生き残っていくのが自然の姿だ。
それによって、種の中の遺伝子の多様性が確保され、環境の変化にも対応していく。

ソメイヨシノにはそれができない。それでも、世代を引き継ごうと精一杯に咲いている。
その花の散り際を美しいと思う心は、ある種の残酷さを秘めているのかもしれない。

人の世ではどうだろう?
精神の根本を「かくあるべし」と固定したものたちで溢れかえったら…
高みにたった(と信じている)ものたちが、かくあるべしと決めた価値観の精神のクローンたちで溢れかえった社会を想像してみる。
外部からの刺激に画一的な対応しかできない集団になるだろうとは、素人考えで思いつく。
その刺激が、種の生存に不適当な方向の刺激だったら…
なぜ、そのことに思いが至らないのだろう。
それを考えているのなら、なぜ画一的な価値観(=偏狭な価値観)を教え込もうとするのか。
自由な価値観の存在を教えようとする行為を押しつぶすのか。

教育は国家百年の計…と誰かが言っていた。
それをたかだか60年で方針転換というのは、間違いだ。
少なくとも、さまざまな価値観の自由を押さえ込む方向は昔言われた「逆コース」そのものだ。

ソメイヨシノは確かに美しい。しかし、ソメイヨシノだけが美しいわけじゃない。
オオイヌノフグリだって美しいじゃないか…

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2008年3月27日 (木)

なんで…物陰に隠れるのだ?

ネットへの自由なアクセスができない環境にいたので、更新もできなかった(←言い訳)
もちろん、仕事中にネタを考えてる余裕なんかないのだが、休憩中にニュースサイトなどは見ている。
…で、ここ数日「なんで?」ということが立て続けに起きているわけだが。

かなり、ひっかかったのが「 沖縄の怒り全国に訴え/きょう午後 県民大会」。
特に、当該記事の第三節。
先日の事件の被害者について名前を出して批判し、県民大会を潰そうとしたらしい。
国旗国歌推進なんていう運動体の本質がここに顕れていると考えるのは、私の独断に過ぎるか?

個人の尊厳よりお国が大事なのか?
人がいて、共同体があって、国家がある。
この順番は逆にはならない。

そんな簡単なことが何故判らないのか、否、判ろうとしないのか。

国家大事と唱える人々だって、社会の中で生きている(はずだ)。
ならば、顔の見える仲の良い知り合いもいる(はずだ)。
その顔見知りと、顔の見えない「お国」…どっちが大事だ?

私は顔見知りを大事にしたい。
顔見知りをお国のために犠牲にするという考え方を受け入れることはできない。
そういう考え方をする人の言葉は、物陰に隠れて顔を見せない行為に思える。

なんで…物陰に隠れるのだ?
そんなに「人を大切にすること」が怖いのか?

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2008年3月24日 (月)

「狂信者なら殺しても良い」に反対する

先の○○に関連して…
今新聞にも出ているチベット自治区の問題について、犠牲者を「一般市民」と「狂信者」に分類した上で後者は殺されて当然と抜かす腐れ外道があちこちに出没している。
前回の記事では伏字にしたけど、こうまであからさまだときちんとした単語にせざるを得ない。

無論、私はこの種の言動をする輩に好感は持たない。
人間何十年かやっていれば、「殺したろうか この野郎」と思ったことが無いとは言わない。
しかし、その怒り・憎しみは具体的な顔をもっていた。

それと比べ、この腐れ外道は「狂信者」なら殺しても良いと抜かす。
果たして、この外道の頭のなかで、己が殺されても仕方の無いと処断した人々の顔は見えているか?
断じて「否」
具体性の無い「狂信者」をでっち上げて国家権力の暴走を後押しする。

こやつの精神構造は、前記事にあげた○○の意識が膨らんでいったものである。

人殺しに正しい・悪いの区別なんかあるものか。
この外道が…

あ、外道がここを見た場合のために言い添えておく。
このブログにきても無駄だよ。コメント・TBどちらも削除するから。

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2008年3月22日 (土)

無自覚な○○たち

そもそも「この国に住まわせてもらっている(からお上にたてつくな)」なんぞと一見謙虚に言ってる輩の心中は、自分が「お上」になったと錯覚した瞬間に「この国に住まわせてやっている(からお上にたてつくな)」になるわけで。共通している部分は「お上にたてつくな」という権力者に媚をうる醜態でしかない。
そこにあるのは、自分より上か下かでしか他人を見ることのできない=差別主義であり、下劣な利己主義の残骸でしか無い。彼らには「知識」はあっても「知性」はない

それゆえに、彼らの言動には一貫性が欠けることになる。
最近の例では…
(1)あるところでは、国歌・国旗に対する敬意の外形的表明の強要は当然であると主張し
(2)別のところでは、国家権力への反発を称揚する

(1)と(2)が国家というものの捉え方において、まったく逆のベクトルを有していることに気づかない。
通常、こういうのは「ダブルスタンダード(略称:ダブスタ)」と呼ばれるのだが…

彼らにとって、自分が快であることがいかなる場合であっても最優先されるべき事柄であり、他者は彼らに仕える下僕でなければならない…と信じているとしか思えないのだな。
そして、強者に媚を売ることによって快を得ている彼らとしては、身近な自国においてはそこでの強者にすりよる(1)の主張を行い、国際社会での出来事についてはそこでの強者へすりよるために(2)の主張を行う。
そこに人類普遍の考え方とか理想とかいう概念は入ってこない。

その点について、彼らはまったく無自覚なのだ。

そういう手合いから「日本国民として云々」とぎゃあぎゃわめかれるのは、非常に不愉快なのだ。
彼らが日本国のあり方を規定している精神から程遠いところにいるのは明らかだから。

以上について異論はあるだろう。異論を持つ自由を私は認める。
しかし、それならばせめて下記の文の持つ意味を勉強してくれ。
国際社会から名誉ある地位を占めるにあたり、自分たちの行動が専制と隷従・圧迫と偏狭にどう対峙しているのかを考えてくれ。

日本国憲法前文より抜粋
----------------------
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
----------------------

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2008年3月19日 (水)

ぼやき

昔々のお話だが…
「教職を目指さないか」とか「弁護士を目指したら」とか言われていた時期がある。
いろんな人から言われたこの勧めを、かなり頑固に蹴って今に至っている。

なぜか?
その種の職業は、他人の生き方にコミットし、それを評価することにより成立するからである。
場合によっては、その他人の人生を大きく狂わせることもありうる。
その可能性に耐えられなかったからである。

教えること自体は、結構好きな方かもしれない。
教えあうことはもっと好きだ。
でも、その結果を評価することは嫌いなのだ。
職場で後輩にあたる人たちに技能的なことをいろいろ教えて、それが彼らの身についていく過程を一緒に過ごせるのは、ものすごく楽しい。
彼等がこちらの期待するほど吸収してくれなかったときは、自分の教え方が悪かったのかなと反省したりもした。
でも、それは自分に対する評価であり、相手を評価しろといわれたら震えが来るのは変わらない。

私は変わり者なのかな…
世の中には他者を自分の価値観で評価すること、ことに負の評価をすることに喜びを覚える人も多いらしい。
なんでだろう?
そこまで自信をもてる価値観ってあるのかな?
いや私だって価値観はあるよ。でも、その価値観は「相手を貶めない」という価値観なのだ。
それは、相手に自分の価値観を押し付けないということ/押し付けられた価値観には反発することにつながる。
だから、「相手を貶めることで自己を優位の立場におく」という価値観の持ち主とは猛烈にぶつかる。

世渡りには不向きな価値観だな(笑

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2008年3月18日 (火)

ハリネズミ

いかん いかん
よそ様のところへコメントつけてたら、自分のところに書くことがなくなってしまった(笑

ということでハリネズミ。

防御のために針毛を逆立てる

何があったのか
何に怯えているのか
何から身を守ろうとしているのか
手を差し伸べても
ひたすら毛を逆立てているだけのハリネズミ

人にもいますねぇ。
自分だってそういうときがある
そういう人に何を言っても無駄かもしれない…と思いつつも、
手を差し伸べたくなるのが人の性。
いや、それは業か?

そして、それを拒否するのも人の性か…
知ることの面白さよりも
知らないものへの怖れを抱くようになってしまったから

なんで、そんなに怖がるの?
それで何が守れるの?

えぇ…中島みゆきさんの「ハリネズミ」の歌詞を紹介しようとしたらリンク先が見つかりませんでした。関心をお持ちの方はこちらへ→夜会 VOL.7 2/2

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2008年3月15日 (土)

美談を美談とすることの怖さ

前の記事を書きながら、つらつら考えたこと。
「公共の精神…」が盛んに強調されると、ひょっとしてこんなものが教材に使われるんじゃなかろうか?
小説「塩狩峠 (新潮文庫)

所謂「美談」である。
しかし、これは美談と受け取って終わりにできるような代物ではない。

主人公を死に至らしめた事故の原因。
当時の鉄道の技術的限界や社会環境等々徹底的に突き詰めて、それでも主人公の死を当然と受け入れるか、それを「美談」で終わらせるか。
終わらせてしまった時、物事の改善や発展が否定される。
「美談」はそれが特異な事象であり、かつそれを利用するものがいるから「美談」足りうる。
物事を(世の中を)良いものにしていこうという努力を否定するものたちが「美談」を利用するのだ。
これが怖い。

あえて言う。
「美談」は起こしてはならないことなのだ。
起きてしまったら、また起こさないためにはどうしたらよいかを考えなくてはならない。
子供たちを、次の「美談」の主人公にしてはならないのだ。
子供たちには、美談の影に隠れている「WHY」「WHAT」を知り、次の美談を起こさないよう努力する人物になってもらいたいものだ。

…使われ方によってはもっとヤバイ小説(童話)を思い出したので付記
グスコーブドリの伝記 (宮沢賢治絵童話集)

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「道徳」とか「どう解く」とか「どう説く」とか

教育基本法の改正に対応した学習指導要領案の主な改訂点の1ページ目…
まぁ、よくも並べた「道徳」という単語。

正直なところ、学校に「道徳の時間」というものがあるのを忘れていた。
これ、はっきり無駄だと思う。
具体的な中身が見えてこないんだな、「道徳学習」ってやつは…。
だいたい、「各教科等においても、道徳の教育内容を適切に指導することを明確化。」ってのがわからない。理科で道徳って何?まさか水伝説を真実として教える気…(ちょっとありそうで怖い)

大事なことは事柄の問題点を見つけて「どう解く」か、そしてその解法を他人に「どう説く」かという手法を身につけることなんじゃなかろうか?

それなら「道徳の時間」なんてご大層なものはいらんだろう。
むしろ、その時間を数学・国語・理科・社会・保健体育をきちんと、正確に教えることに使った方が良いんでないかい?
(英語は日本語をある程度こなせれば、生きていくうえでの最低限の会話ぐらいは何とかなる←海外の工事現場にて実感済:そもそも個々人において今後必要になる外国語が英語とは限るまい。)

数学において、結論は同じでも解法は一様ではないことを知り、
理科において、物理法則は人間の意図では変えられないことを知り、
国語において、論理的な或は情緒的な文章を読み解き表現できる技法を知り、
社会において、人類の試行錯誤の経過を知り、
保健体育において、頭の中で考えたことを肉体で表現することの難しさを知り、
全ての学科において、人間は工業部品ではないこと、即ち個々人は各々違っていて当たり前、その違いを相互に尊重しあうことで社会が維持できていることを知ってもらうこと。

「教えてやる」というのではなく「知る」ということの手助けをする…それが学校教育、特に初等教育の主眼であろう。

歴史の流れの中で「道徳」って規範はどんどん変化した。
私が生まれる前には「修身」ってことで、「臣民」教育がされた。
その結果がどうなったか…。
その反省を受けて、それまでの人類の英知の蓄積を理想を高らかに謳い上げたのが現在の憲法であり、一昨年までの教育基本法だ。
そのことを踏まえたうえで「道徳」単体を教えることに困難を感じないような人間には、教員をやってほしくない。

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2008年3月 8日 (土)

サービス低下

公共事業の民営化=サービス低下という概念ができて久しい。
古くは国鉄→JR、最近では郵便局→日本郵便グループである。
国鉄の場合、都市部の民鉄と競合していたところに住んでいた人にはサービス低下は判らないかもしれない。が、国鉄しかなかったところでは料金値上げは言うに及ばず、第3セクタ化した後の行政の赤字補填(当然財源は…)等々サービス低下は明らかである。
電電公社はどうなんだ?という声が聞こえてきそうだが、業界の端っこに棲んでいるものから見ると、あの民営化でFTTHは10年遅れた感がある。

で、郵便局のサービス低下の事例である。

その1:
夜間窓口の終了時刻が異常に早くなった。以前なら0時まで開いてた局も、軒並み19時~20時で閉店してしまう。月曜の夜に不在通知なんぞ届いていた日には、受け取るまでまるまる1週間かかってしまう。…その分、夜間配達を増やしましたって言い出す馬鹿もいそうだけど、18時から21時の間にお届けします(だから18時には家にいてね)って言われても、その時間に帰宅できないから苦労するんだ。
夜間配達を増やすより、窓口の営業時間を長くしてくれた方がなんぼかうれしい。
郵便局に働く人だって、その方が(体は)なんぼか楽だろう。

先日、ネットで注文した古本が…火曜日に不在通知が入っていて、読めたのは土曜日の夜(泣
古本屋さんもネットの発注をうけて素早く発送してくれたのに…。
役所(現業)時代なら、夜間窓口が20時まで開いてたから水曜日には読めたのに…。
本だから良いようなもの、生ものだったらどうするんじゃ!

その2:(こっちが本題)
料金が高くなった。
公共料金でもきっちり手数料をとりやがる(怒

本当のサービスとは、なんだろうと考えさせられたこと。

いい歳こいてファンクラブなんぞというものに入っている。
そういうものに入っていると、会費というものを払わなければならない。
先日、その払い込み用紙が送られてきた。
ミシン目が2本入っていて、郵便局での払い込みとコンビニエンスストアでの払い込みを選択できるようになっている。
印刷されている会費は郵便局払い込みのほうが100円安い。ところが…油断大敵、郵便局は払い込み手数料120円が必要なのだ。
おまけに、コンビニエンスストアは営業時間が長い(これはこれで別の問題があるのだが)。
はっきり言って、近所にコンビニエンスストアがあるなら、そちらの方がお得なのだ。
だったら、コンビニエンスストアでの払い込み用紙だけにすれば良いだろうって?
確かにそういう支払い方法を指定する会社もある。
でも…さぁ、コンビニエンスストアが近所に無い場合はどうすんのよ?
このファンクラブを運営している会社はそこまで見越して、払い込み方法の手配をしてくれてるわけ。
もちろん、そのコストは会費に織込み済みだろうけど、それなりにサービスを理解しているように思えるのよ。
ここまで書いたから、このファンクラブは、中島みゆきファンクラブで、運営はヤマハってとこまで書いて終わりにしよう(笑)。

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2008年3月 7日 (金)

メーカー名を知りたい

先月の東京航空交通管制部のトラブルの件、広報資料を読んで思ったこと。

設計ミスじゃん!

どんなバス使ってたかまでは書いてないけど、普通BUS-TimeOut位は監視項目に入れるんでね?つか、昔は入れたぞ。
それとも、現代のハードウェアは信頼性が著しく高いから、昔とは設計手法やBUSの仕様が変わってるのかな?

明らかにデバッグ漏れ。
この装置のメーカーをぜひ知りたいな。
このメーカーの設計部門なら、まだ私のようなものでも使ってもらえそうな気がする(笑)。

しかし、自分たちの身近なところの劣化を見せつけてくれるような事例だ。

これもまた、「自分は正しい」思考のなせる業か…。
ネットなんぞで駄文を書き散らしてる分には「自分は正しい」思考も、まだ「勝手にしたら」と流せないこともない。(私の駄文なぞ流されまくっておるわけだし)
流せない駄文を書き散らしているマスコミ人もいるにはいるが…。

しっかし、一技能者としては、技術者にはそんな馬鹿はいてほしくないと願う次第である。

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2008年3月 4日 (火)

憲法前文を国語科で

いまさらといえばいまさらなんですが

みんななかよく様で紹介されていたパブリックコメントなんてのを考えていたら…
これを社会科だけで教えるのは、あまりにもったいない。
国語の教材としても取り上げたら面白いかな…なんて不埒なことを考えてしまい、思考停止状態。
もちろん、けっして読みやすい文章じゃないよね。
それをもっと読みやすい文に直してみるなんて学習方法も「国語科ならあり」かな…なんて。
その過程で、この憲法が自分にとって良いものかどうか、現状はどうなのかなんて風に学習範囲を広められたら素敵なことなんじゃなかろうか。

日本国憲法 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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2008年3月 3日 (月)

PDSC(または言葉の暴力)-追記あり-

タイトルを読めば判る人には判ると思う。

PDSC(またはPDCA)という言葉があります。
品質管理に関わったことのある人なら、必ず聞いた事があるはずです。

Plan→Do→See→Check→Plan→Do→See→Check→以下循環

問題が発生したとき、このループをぐるぐる回して解決をはかるということです。

・問題の原因を見極めて対策aを考える(Plan)
・対策aを実行する(Do)
・対策aの結果を観察する(See)
・対策aにおける問題が無いかを検討する(Check)